紅蓮・勢 | 57

 

 

イ・ソンゲに会わなきゃいけない。開京に戻る前に、どうしても。
あの人の部屋の中、イライラしながら親指の先を噛む。
治療してくれてありがとう、じゃあ さようならなんて冗談じゃないわよ。
あんなに嫌な思いをしてまで、恩を売るために我慢したんだから。
「ねえ、テマンさん?」
私が猫なで声で振り返ると、テマンが驚いたように目を丸くした。

 

そんな風に呼ばれたのは本当に久しぶりだ。
最近医仙にはいつもテマナって呼ばれてた気がする。
驚いて、下腹の中の風船が少しつぶれる。
「は、はい」
そんな俺に医仙が機嫌を取るように
「テマンさん、ちょっとだけ行きたいと」
そういうことか。
「駄目です」
「あらら」

俺が即座に答えると、医仙はふざけたみたいにそう呟いた。
だからか。大護軍には内緒なんだろう。
黙って抜け出るよりはましでも、大護軍に秘密ではどこにも行かせる訳にはいかない。
唇を結んで、鼻から息をする。
真っ直ぐな俺の目を見て、医仙が困ったみたいにへらりとその目を、笑う形に細めた。

 

初めて会った頃はほんとに身軽で、いっつも飛び跳ねてた。
トクマンさんと2人なんだか末っ子みたいで、皆可愛くて仕方がないみたいに構ってた。

今目の前で、唇を結んで、真っ直ぐこっちを見る目。
あの人の為なら何でもする、このテマンの目は変わらない。
大護軍に助けてもらった。
そう言ったこの子の真っ直ぐな心はきっと一生変わらない。
「テマナ」

そう呼ぶとテマンが困ったみたいに首を傾けて、私をじっと見た。
「お願い、少しだけでいいの。明日じゃ遅い。
今じゃなきゃダメなの。あの人が帰ってくる前に」
「医仙」
「わかって。テマナがあの人のために何でもするみたいに、私もあの人のために今行かなきゃいけないの」

 

医仙は、何をする気なんだろう。何でこんなに泣き出しそうな目で俺を見るんだろう。
うまく言えない。どこかは言えない。
でも医仙はこんな風にまっすぐ俺を見て、何かを一生懸命頼んだりはしなかった。
すぐ大護軍や俺たちから逃げて、いつも影で一人こっそり何かをしようとしてた。

大護軍を刺したとき、こいつは敵だと俺は思った。
その後神様みたいに死にそうな大護軍を治した時、少しだけなら大護軍の傍にいても我慢すると思った。
そして大護軍に息を吹き込みながら泣いた顔を見た時、悪い奴じゃなかったと思った。
その息で大護軍が息を吹き返した時、俺は初めて認めた。

こいつは大護軍の味方だって。敵だから刺したわけじゃなかったんだって。

そして奇轍の屋敷からの旅の時も、典医寺での診察の時も、大護軍のために迂達赤の皆のために走り回る姿を見た時も。
大護軍と一緒に、迂達赤の兵舎に住み込んだ時も。毒にやられながら、一生懸命生きようとした時も。

何より医仙を見て笑う、大護軍の顔を見た時に俺は初めて知った。
あんな大護軍を見たのは初めてだった。

大護軍が医仙を許したんだ、全部受け入れると決めたんだ。
なら俺は何も言わないでこの人を受け入れる。
俺の大護軍がそう決めたんだから。

この人と大護軍が離れてる時、俺は思ってた。
この人はどこかで大護軍のところに帰って来るために絶対待ってるって。頑張ってるって。
俺が大護軍の事を裏切らないように。
見つけてもらって心からうれしくて、一生ついてくって決めてるみたいに、この人もきっと思ってるって。

どうしてだろう。俺には分かる。
まるで迂達赤の皆が大護軍に思ってるみたいに、この人は大護軍が大切で、守りたがってる。
そのためなら命だって捨てる気なんじゃないかって。
まるでチュソクやトルベみたいに。先に逝った皆みたいに。

でも大護軍の事が心配で、一人にしたくなくて、だから自分は死んだりできないって思ってるんじゃないかって。
まるで隊長やトクマンや俺みたいに。

そんな大護軍を見つけられて、この人はすごくうれしいんじゃないかって、俺は思うんだ。
だからそうやって困ったみたいに泣き出しそうに眉をしかめられると、なんて言って良いかわからなくなるんだ。
「医仙」
そう呼ぶしかなくて。

 

困ったみたいな顔で、テマンが繰り返す。
「医仙」

でもごめんね、私もひけないの。
ここで恩を売っておかなきゃ。
あとで忘れてた、ああしておけば良かった、じゃ、私の悔し涙も無駄になる。
ううん、私の涙が無駄になるだけなら構わないわ。
だけどあの人に何かあってからじゃ遅いの。
「お願いテマナ。あの人のためなの。ううん、今じゃなくて将来そうなるはずなの、だから」

だからお願い。イ・ソンゲに、あの子に会いに行かせて。
でもそれをテマンに言うわけにはいかないの。
だから目に力と願いを込めて、目の前の困り顔の君をじっと見つめるしかないの。

言ってしまえば、知ってしまえば、テマンもそして迂達赤の皆も必ずイ・ソンゲをどうにかするはず。
そうしたら取り返しがつかない。
私がしたいのはイ・ソンゲを今のうちに殺す事じゃなく、未来のあの人を殺させないようにする事だから。

だからごめんねテマン、今は言うわけにはいかないの。

 

どうしよう。大護軍の命令は
「この方を護れ」
そうだ、この方を護れ。
ここから出すな、どこへも行くなとは言われてない。
俺にとってもう姉さんみたいなこの人が、大護軍にとって悪いことをするとはどうしても思えないんだ、だから。

ヒドに教わった通り、深く息を吸って、吐いて、
「絶対俺から離れないって、約束して下さい」
そう頼むと、医仙はほんとに嬉しそうに笑って
「約束する」
目を見て、しっかりこくんと頷いてくれた。

 

あの人の部屋から二人で飛び出して、大急ぎで医務室を目指す。
自慢じゃないけど方向感覚は鈍いわ。無事に医務室にたどり着けるかが心配。
でも明日には帰る。そんな事をグダグダ言ってる場合じゃない。
行動あるのみよね。全ての道はローマに続くって言うし。

それにしても双城総管府って何でこんなに広いの。
これを他国に無償貸与してたって言うんだから、本当に税金の無駄遣いもいいとこよ。
おまけに当然だけど見慣れない顔ばっかり。誰に道を聞いていいかすらよく判らない。

夕焼け空、総管府の庭を二人で早足で歩きながら、テマンが横を歩く私に首を向ける。
「医仙、どこに行くんですか」
「医務室に行きたいの」
「治療ですか」
「ううん、医務室にいるイ・ソンゲに会いに行きたいの」
「医務室ですね」

 

医仙のその言葉に俺は頷いた。その時すれ違った手近の総管府の兵に
「医務室に行きたいんだ」
そう訊くとそいつは
「すぐそこの建物です」
そう言って夕暮れの中の大きな建物の影を指さした。
「ありがとう」
俺と医仙の、その声が揃う。
そして目と目を見交わすと、指さされた建物へ同時に小走りに駆けだした。

 

 


 

 

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