紅蓮・勢 | 38

 

 

「これで最後です。どうしますか」
重く沈み込んだ部屋に私の声だけが響く。
「開門は絶対に許さん!!」
癇癪を起こしたその叫び声に、顔を背け溜息を吐いた。

「総管。許す許さんではないのです。もう決まった事だ」
私は椅子の上、懐手で首を振る。
「誰の許可を得て決めたというのだ!!」
「高麗王です。元との断交が成されれば、高麗の中のこの城は、敵の海に囲まれた陸の孤島になる。
戦になる前に 国へ還れとお慈悲を頂いているのですよ。お分かりか」
「こ、こ、高麗王の慈悲だと!!」
チョ総管の剥いた目が破裂しそうなほどに飛び出る。
「元の奴隷の飯粒ほどの領の、公主の婿の慈悲だと!!」
喉が裂けそうなその悲鳴、聞いているだけで頭が痛くなる。

この言葉が元の行く末を物語る。
羽織る豪華な絹の着物も烈しい雨を避ける傘も、もうその肩、その手にないと言うのに。
裸というのに、濡れているのにも気付かずに。

元に力があれば、往時の姿のままなら、そもそも高麗の翻意などとうに気付いて対処しているはずだ。
政の乱れを纏めれぬのも、紅巾族に蜂起されるのも、既にそれを抑える力のない証拠だろう。

「チョ総管。道は二つに一つです。籠って徹底抗戦し、陥落後に罪人として処刑されるか。
若しくは一旦引き、元へ戻り、高麗との和平を講じるか」
噛んで含むよう伝える私のその声に
「ふ、ふ、ふ」
総管の震え声が、覆いかぶさる。
「ふざけるな!!」

決まりだ。勝手に双城総管府と心中するが良い。
これ以上は時間の無駄だ。私は静かに腰を上げた。
「申し訳ないが、私はこれで失礼する。
この後高麗軍が開門を要請した暁には、私が開門する。
あなた方は不満であればまず私の兵を倒し、その上で高麗軍に応戦されるが良いでしょう」
「イ千戸長!!!」

総管の叫びも聞き飽いた。鬱陶しい。
必要であれば、血縁など切り捨てる。
昨日までの敵とも、喜んで手を結ぶ。
李家の復権のためには、吠えたてる弱い狗を匿う双城総管府など不要。
荒野を駆ける若き虎、天翔る若き龍の双つを頂くこの高麗こそ必要だ。
総管の声を無視し、居並ぶ千戸たちを順に見る。

彼らも私かそして総管か、どちらに付くかを決め兼ね惑う目で、ふたつの姿を遠慮がちに盗み見比べておる。

「心の決まったものは、本日酉の刻、私と共に門を開けよ。高麗軍のお迎えに参列すれば良い」
全ての目が当たるのを感じつつ、扉まで進む。
そこで振り返り、
「最後に一つ。此度の高麗軍を率いるはチェ・ヨン大護軍」
この声に、その場の全員が息を呑む。

今までの四年間、鴨緑江の元の八の軍事基地を奪還した大護軍の武名勇名はとうに知れ渡っておる。
思い出すが良い。あのチェ・ヨン大護軍。
元の兵不足の折、要請によって幾度も高麗より元に派兵され、元国内でも武功を重ねているではないか。
たとえ立て籠もろうと、その場凌ぎにしかならぬ。
結局は勝てる戦などではない。チェ・ヨン大護軍が戦場に立つ限り。
「もちろん貴殿共も、その名はご存じであろう」

思わず頷くその頭を目掛け、最後の一石を投じてやる。
「チェ・ヨン大護軍の最近の武功は、つい先日。
鴨緑江で紅巾族を相手に、雷一発で一万五千を討った。
嘘だと思うなら、国元に連絡を取るが良い。元の中とてその噂で持ちきりの筈」

そう言って微笑むと、扉を押して外へ出る。
この後の酉の刻、門前に誰が馳せ参じるかが見ものだ。

 

******

 

「徳興君だ。あの男を担ぎだしてやる。その為にここまで危険を冒して預かっていたのだ」
イ千戸長とチョ総管が、はっきりと袂を別った会議の後。
足音高く回廊を進みながら、前を行く総管の叫びを聞く。
周囲の千戸たちが、うんざりした様子で顔を見合わせる。

イ千戸長の仰る通りかもしれぬ。もう潮時だ。
あのチェ・ヨンが出陣し、負けた戦はないと聞く。この双城総管府とて例外ではない。
第一、この双城総管府が元の手先となったのは、そもそも 我らの祖先の裏切りが発端。
いつまで祖国を裏切った恥を晒して生きて行けば良いのだ。

迷うにしても、酉の刻まですでにゆとりはない。 戦とはそうしたものだ。
瞬間の迷いが生死を分ける。
「高麗王など潰してやる。たかが隷属国の婿が慈悲だと。殺してやる。
徳興君を必ず傀儡として王位につけてやる」

目の前の総管。私の甥でもある。
しかしこの男には既に、信義も忠心も羞恥もない。ただ損得と金勘定があるだけだ。
「私は行く」
そう唇だけで呟くと、周囲の千戸たちが黙って頷いた。
ただ目前、総管の横に付く卓都卿に声は届かなかった。

その時回廊の隅、呼ばれた気がして目を上げる。
回廊の物影にイ千戸長の息子、ソンゲの従者の男がいた。
私が目でチョ総管を示し首を振ると、従者は頷いて姿を消す。
もう動いておるのだな。当然だ。内通しているのだろう。
チェ・ヨン大護軍とて、すぐ目と鼻の先まで迫っている。

瞬間の迷いが生死を分ける。私は足を止めた。
「総管」
「何だ!!」
額に青筋を立てた総管が、悪相で振り返る。
「私はここで失礼する」
「趙暾!!気は確かか!!」

確かに官職はこの男の方が上だ。しかし私は叔父である。
その叔父に向かいこの口の利き方。この男の器も知れる。
最後に軽く頭を下げ、私は回廊の列から外れた。
私の後ろについて、そこから二人が抜ける。
回廊の真ん中、棒立ちになった総管が叫ぶ。
「こ、この、裏切り者が!!二度と元の地を踏めると思うな!!お前たちなど殺してやる!!」

二度と踏みたくないから今離れるのだと、 結局最後まで判らんようだ。
その声に続き、卓都卿が叫ぶ。
「チョ千戸!」

その声を残し館の出口に向かい、後ろの二人と共に足早に回廊を進む。
最早、止まる事は許されん。

 

 

 

 

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