紅蓮・勢 | 63

 

 

「戦果のご報告に参りました」
頭を下げると部屋の中、王様の歩が止まる。
座れとおっしゃることもなく其処から此方をご覧になる。
その御目に宿るものを、透かすようにじっと見る。

またか。
俺はもしやまた誤解していたのか。
王様はただ徳興君の利用価値故に、殺さずに生捕れとおっしゃったと思っていた。

王妃媽媽を傷つけら御子を亡くされても、王様がこの国の王様として立つ。
その政での駆け引きを一義として掲げられるのかと。
あの時あの方に毒を盛られ、心が灼け胸奥まで凍った憤怒の痛みは判っては頂けぬかと。

出立前にこの胸を過った、王様への小さな蟠りが溶けて行く。

読み違えた。
王様は誰より凍り、灼けついていたのではないか。
そうでなくば此度の宿願成就、双城総管府の奪還の報告に、これ程までに怒りのみを湛えた御目をされている理由など全く思い当たらぬ。
王様は怒っておられる。肚の底から憤っておられる。
もしかしたら、この俺よりもずっと烈しく深く。

鬼剣を振りあの男を組み伏せ、縄をかけて轡を噛ませ、牢車の檻を蹴飛ばし罵倒出来た俺はましだった。
こうやって開京へ戻し、王様の御手に堕ちたあ奴をいざとなれば斬れると思えるだけ、俺はまだましだ。
斬りたくとも斬る事の出来ぬ王様の御怒りはより大きく、その積もり積もった恨はより根深いものだった。

俺は大きな計算違いをしていたのではないか。
「王様」
その声を右から左へ聞き流し、王様は無表情に頷く。
「此度はご苦労であった、大護軍」
「王様」

何をされる気だ。
「双城総管府より連れ戻した、二千の兵が居ります。
うち高麗側に付きたいと願うものが、およそ千ほど」
「善きに計らいなさい」
その声には、何の感情も読み取れぬ。
「残りの千は、どうされますか」
「全て大護軍に任せる」

重ねる言葉だけが上滑りする。
その目で今、何をご覧なのだ。
「先の報告通り、連れ戻った謀反の大逆人が居ります」
水を向けると、洞穴のようだった御目に初めて光が差した。
「よく判っておる」
「王命どおり、生け捕って参りました」
「よくやってくれた」

王様は、ようやくわらわれた。
あの口端を僅かに上げる笑みでもなく。
目尻だけを微かに下げる笑みでもなく。
心から、大きく嗤われた。
その嗤いの向く先は御自身か、あ奴か。

「さっそく詮議に入る」
「今は縛ってあります」
「腐っても王族。解かねばならぬ」
「危険です」
「そなたに同席してもらう」
「・・・王様」
「何一つ落ち度なきよう、全て形式通りに執り行う。
たとえ謀反人とはいえ牢に入れた後、縄をかけたままには出来ぬ」
「は」
「宣任殿に大臣達が控えておる。
そこで詮議を宣言した後、すぐに始める」
「は」
「大護軍は宣任殿にて戦果報告を行い、寡人と共に牢へと向かえ」
「は」

それだけおっしゃると部屋を横切り、俺の脇を過ぎ、王様は無言のまま康安殿の扉を抜けた。
その背を守り従いながら、回廊の前を進まれる王様を見る。
何をするおつもりだ。

 

*****

 

「お呼びと伺いました。王様は」
康安殿の扉前、お部屋を守る兵に尋ねる。
「王様は既に、宣任殿へとお出ましです」
刀を腰に、頭を下げた兵に頷き返す。すれ違いだったか。
回廊をゆるゆると戻りつつ、僅かに息を吐く。

ウンス殿も戻っていらしたのだろう。
今頃は、王妃媽媽の元へお出かけだろうか。
さすがに今回の戦、事後処理に時間がかかりそうだ。

兵の戻った皇宮内は、何処も彼処もざわめいている。
百年以上も元の地であった双城総管府を陥落した。
落ち着くまでどれほどの時間がかかるだろうか。

王様が宣任殿とおっしゃるならば、何かしらの会議だ。
それが終了するまで、お待ちすべきだろうか。
若しくは一旦典医寺へ戻り、出直すべきだろうか。

回廊を抜けて行き場に惑い、刻潰しに東屋へと進む。

蓮花の咲き誇る池に浮かぶ橋の途中。
初夏の陽に暖まった石造りの欄干に両手をつき、空を見上げる。
今、急を要す患者がいる訳ではない。大護軍が無事に兵を率いて戻って下さったおかげだ。

チェ・ヨン殿、あの方はウンス殿に本当に相応しい。
ウンス殿の無茶を時には聞き、時には宥め、時には叱っても、その道を遮らず、拒まず、ただ腕の中に庇っている。
ウンス殿の為ならご自身の保身など計算もされない。

ウンス殿の御命を救うため、その心の蔵が必要です。
もしそんな時が本当に訪れれば、喜んで胸を開かせるに違いない。

お二人を見るたび懐かしい。胸の奥が焦げ付くほどに。
あれ程に相手を真っ直ぐに思いこの身から離さず守れば、そうすれば失わずに済んだのだろうか。
何を敵に回しても構わない、国の制度など糞喰らえだ。そう怒鳴って彼女の手を握って逃げる事を選べたなら。

梔子の濃く、甘い香りが沈む初夏の庭。
吹く風は天竺の更紗のように、そよりと軽い。

彼女の体もいつもこうして軽かった。吹く風に長い髪を揺らし、日差しに頬を光らせて。
どの風より軽く、どの陽射しよりも暖かい声。今も夢で私を呼んでいる笑顔。

幾度も幾度も抱き、その儚さに胸が潰れそうになった。
骨も内腑も血の重さも感じず、ただ温かさだけを感じた。
だから最期にその体中から噴き出した赤い血を見た時、私はたいそう驚いたものだ。
この細い体の中に、これ程の血があったのかと。

その後天竺で人の血は、体の重さの十分の一ほどと知った。
そしてその半分が流れれば助からぬと。
あの時彼女は半分どころか、全て流してしまったに違いない。
そうでなければあの体が、血の海に沈むなど考えられない。

もう戻らない。その笑顔も、あの声も。
構いませんよ、徳興君様。
彼女がいないこの世に、私は未練など全くないのです。
その体の中の血は、一体どれほどの量があるのでしょうね。
必ず最後にこの手で、目で確認させていただきます。

剣を振るう才も勇気もない私が選んだ途の果て、そこにはいつでもあなたがいる。
いつ何処で再会しようと、次は絶対に逃がさない。
出来る限り、隠れた方が良いでしょう。
ご自身の血がどれほどの量か、今すぐに知りたくないならば。
何れ必ずその目でご覧になるのだから。

仰ぎ見た空に向かい、大きく息を吐く。

やはり典医寺には戻らず、宣任殿にて控えた方が良いようだ。
口の中に沸いた酸いものを無理に飲み下し、欄干の上で踵を返す。

宣任殿へ向かい、戻る私の足元に伸びる黒い影。
その影がもう一度二つ並ぶなら、私は何でもしよう。

 

 

 

 

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1 個のコメント

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    王様とキム侍医ふたりの静かな怒りが伝わってきて、本当に極限まで怒ると青い色が見えるんだなあと感じました。色は勝手な感想ですがイメージが同じでしたら嬉しいです。
    ふたり、なにをしでかすかドキドキです。ヨンは止めるのでしょうか?

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