2014-15 リクエスト | 藤浪・15(終)

 

 

「瑩様」

大望の声に顔を上げると、その懐から茶巾筒が取り出される。
「聖上さまのお気持ちだそうです。お汲み取りをと大納言様が」

渡され開いた茶巾の中の手蹟は見慣れた大納言様の物でなく、あの主上の貴い御手蹟だった。
その御手蹟を目で追い二度読み返し、信じられず腰を上げた。

感謝と謝罪と、そして身分を隠した遣欧使節団への参加の御下問。
その短い御手蹟を記された文を握り締め、俺は駆け出した。

 

「急に使節団への参加など、何故ですか。主上は開国には反対であられるはずだ」
「そうでは御座いません、瑩様」

駆け込んだ大納言邸。
突然の夜の訪問にもかかわらず人払いをし、大納言様は話を聞いて下さった。

「現状をご覧くださいませ。朝廷側に入って来る異国の情報も意見も、全ては幕府の手を経ております。
万が一幕府側が朝廷を、そして畏れ多くも今上様を謀らんとすれば、こちらはそれを知る手立ても、相手方へ確かめる術も御座いませぬ。
それを防ぐためにも現状打破すべしと、今上様も良くご存じです」

そのご意見に頷いた。確かに一理ある。
「ご存じですか、瑩様」
大納言様の声に顔を上げると
「今上様が、西洋の時計を大切にしていらっしゃることを」
知らなかった。俺は首を振った。

「今上様は日の本の天子さまでいらっしゃいます。武力や圧力に屈する方ではあらせられませぬ。
ただし異国の文化全てを否定し、間違っていると思われるような狭量な方でも御座いませぬ」
そして大納言様は、こちらをじっと見た。
「もしも今上様よりのお問いにご了承頂けるならば、私より今上様にお伝えします。
観行院様の周囲を通じ瑩さまの御身分を隠したうえで、使節団へ御招聘いたします」
「返答はいつまでに」
「卯月には発ちます。畏れながら今上様におかれましては、一刻も早いご回答をお望みかと存じます」
「二人、連れて出ることはできますか」
「勿論でございます。一人は大望ですね」
「はい」
「分かりました。その旨も今上様へお伝え致します」

そこまでを確かめ、俺は大納言様へ頭を下げた。
「出来るだけ早く、回答します」
その声に大納言様は、そこへ深々と平伏された。

「瑩様」
屋敷の庭の隅に控えた大望が、玄関を出た俺の後に付く。
「今夜はもう良い。このまま、あの方にお会いしに行く」
「畏まりました」
大望はそこで頭を下げる。俺は一人、大納言邸の門を出た。

 

あの方の宅の門をくぐり、静かに庭へ踏み入る。
この寒さで庭に居られる訳はない。
玄関に回ろうとして、庭に面した居間の障子が大きく開け放してあるのに気付く。

冷たい縁側に腰掛けて、あの方が空を見上げていた。
凍った色の月が、葉を落とした木々の細い枝先まで、庭景の全てを白銀に染めている。

鼻先を紅くし白い息を吐く小さな横顔。
その睫毛の先までを、じっと見つめる。

どこかで見た気がする。
月に染められるその横顔を。胸が暖かくなる笑顔を。
震える細い指先を、以前もどこかで握った気がする。
ただ護りたくて、あなたへ走った日がある気がする。

それが何処か思い出せない。思い出せないのに懐かしい。
懐かしいからもう離せない。離れてはいけない気がする。

待っているわけではないのかもしれない。
俺以外の者を待っているのかもしれない。
それでも駆けて行かねばならぬ気がする。

空を見上げた横顔がこちらに気付く。
その瞳が、月から俺へと落ちてくる。
そしてゆっくり緩む目許に、引き寄せられるように寄る。
「寒いでしょう」
「寒いでしょう」
縁側に腰掛け見上げるあなたと、その前に立ち月を負った俺と。
二人同時にそう言って、驚いたまま見つめあう。

「中に、どうぞ」
笑うあなたに、俺は静かに首を振る。
「忙しいの?」
「いえ」
「じゃあ中に」
「その前に、お伝えする事が」

あなたが小さく息を吐く。
そうだ。龍馬さんと発つと伝えるたびにこの溜息を聞くのだけが、どうしても辛かった。
だからもう離れたくない。離れてはいけない気がする。

「遣欧使節団に」
「え?」
「異国を回ります。恐らく一年か、それ以上」
「決まったの?」
「返答すれば、決まります」
「・・・そうなの」

あなたの唇が震えて閉じて、そして無理に笑おうとする。
「頑張って」
「恩綏殿」
「異国の女性は美しいと聞くけど、信じてます」
「・・・は?」
「金糸の髪に湖の瞳と聞くけど、瑩さんを信じてるから」
「恩綏殿、暫し」
「龍馬さまにもお伝えしてね。龍馬様はお龍さんに心底夢中だし、そんな心配はないと思うけど」
「お待ちくだ」
「私こう見えてもしつこいし。決めたんだから。あなたが帰ってくるまで、ここで、京で待ってるから大丈夫」

そこまで言った処で俺の顔を見、あなたの目が眇められる。
「・・・違うの?」
「違います、まずは」
「じゃあ、諦めろと言いに来た?」
「恩綏殿」
「待って、それはちょっと待って」

忘れていた。この方は納得するまで動かない。
そして納得したら、走ってしまう方なのだ。

「恩綏殿」
「今聞く準備は出来てないから、待って」
慌てるように首を振り、胸に手を当て息を整えている。
今からもっと驚かせてしまうかもしれぬのに。
「恩綏殿」
「良いわ、言ってちょうだい」
深呼吸をし、こちらを見る目を見つめ返して伝える。

「共に、来てくれますか」
「・・・・・・」
目を丸くするこの方に、静かに伝える。

「典医としてではない。それが申し訳ない。何しろ俺自身が、身分を隠さねばならぬそうなので」
「瑩さん」
「これから見るもの聞くものが、この国を良くすると信じたい。主上も龍馬さんもお助けすると信じたい」
「瑩さん」
「離れるべきなのかもしれません。ただひたすら国を思い主上を思い、良くするつもりであれば。
それでもあなたと離れて、龍馬さんと旅して、学んだことがある」
「何ですか」
「俺はあなたがいればもっと大きなものが見え、もっと大切な事が聞こえる」

正直な心境の吐露に、この方の頬が赤らんだ。
「龍馬さんのように、周囲の力を繋ぐ人も必要だ。そして俺だから出来る事もあると信じたい。
あなたさえいてくれれば成せる気がする。だから」
「うん」
「一緒に来てくれませんか」
「連れてって」
「・・・即断ですか」
「考えてほしいの?」
「いや、考えるとおっしゃるかと・・・」
「一緒に行く」

この方は真直ぐに俺を見て、はっきりと言った。

「あなたさえいればいい。身分とか、立場とかどうでもいい」
そう言った後でにこりと笑って
「思い出した。同じ事を言ってたわ、お龍さんが祝言の時。何もいらない、龍馬さまさえいればいいって」
「ええ」
「同じよ、私も。あなたさえいればいい」

そういう方だった。最初から。
賢く恐れ知らずで、無鉄砲で、大切なものを御存知の方。
俺を信じ、俺の為に笑って下さる方。
相手が誰であれ何であれ、納得するまで尋ねる方。
返った答に嘘がなければ、それ以上傷に触れるのではなく、優しさで癒そうと努めて下さる方。

素直な声に俺は頷いた。
「龍馬さんに、報告に行きます」
「私も行きたいな」

声に頷き、俺は立ち上がるこの方を見る。
「行きましょう」
沓脱石に置かれた草履を履くこの方に手を貸し、小さな体を支える。

こうして支えたことがあった気がする。
それがいつだったかは思い出せなくても、きっとこれからも。

 

そのまま訪れた伏見の寺田屋で、龍馬さんと合流する。
寺田屋の娘扱いになっているお龍殿も、その場で俺たちの話を静かに聞いてくれた。

「いやっちゃ、二人で行くかよ」
「実際は三人です。大望も共に」
「大望も難儀ぞね」
「あいつだからこそ、見えるものもあるでしょう」

その声に、龍馬さんが大きく頷く。
「見てきとうせ、瑩。帰ったらわしに教えとうせ、これからのこん国に必要なもんを。
おんしなら見ゆる。わしは信じちゅう」
「必ず見てきます」
「愉しみちゃ。戻ったおんしらぁとまたいっこにあれこれやるんが、今からまっこと愉しみちゃ」
「その時まで、必ず元気でいて下さい」
「当然じゃいか。まかしとけ」
「恩綏、ほんま良かったなあ」

お龍殿が笑って、この方に言った。
「のんびりして来たらええ、今まで忙しすぎたやろ」
「のんびりなんてしません、学びたいことがもう今からたくさんで。
帰ってきたら、その分も楢崎家に孝行しますね」
「何言うてんのや」

首を振ったお龍殿が、厳しい声になる。
「今まで皆が恩綏に甘えてきたやろ。これからは自分の事だけ考えてほしいんや。倖せになってほしい」
「必ず、なります。大丈夫です」

そうして頷くこの方は、今まで見た中で一番倖せそうに笑んだ。

この笑顔を護りたいと思った事がある。
それが何処だったかは思い出せなくても、きっとこれからも。

 

話し込んでいるうちに、気付けば夜半を回っていた。
「今からいぬるんはやめとうせ。途中で新撰組にでも絡まれればおっこうじゃいか。休んで行きやあ」

龍馬さんはそう言って、続きの間に床を延べてくれた。
何故か一組しか敷かれなかった其処にこの方を寝かせ、俺は横の床に手枕でごろりと横たわる。
それを見た龍馬さんは苦笑し、
「おんしまっこと、がいな男やねゃ」
それ以上何も言わずに、襖を閉めた。

浅い眠りから醒めると、障子の外はまだ薄暗い。

体を起こし、横の布団の寝息を確かめる。
その深さまで確かめてからそっと襖を開け、廊下を渡り庭へ出た。

朝早い空気を胸いっぱいに吸い込み、静かに吐き出す。
気が付けば薄暗かった庭、東の空がかすかに染まり始めている。

そんな俺の横に、廊下を抜けてきた龍馬さんが静かに立った。

「宮さんが、海を渡るか」

呟いた龍馬さんに、苦笑いして頷く。
「良い機会だと思います。龍馬さんの安全だけが心配だ」
「こう見えても、剣術も修めとる」
「先日、新撰組の沖田とやりあいました」
「どだい速いろう」
「噂以上に。気をつけて下さい」
「心配いらん、なるようになる」
「はい」
「なあ、瑩」
「はい」

龍馬さんは染まり始めた東空の明るさに、目を細めて呟いた。

「今の日本じゃ。まだ明けきらん。そいでも待っとる。
わしの安全よりも、案じにゃならんこつが山ほどあるんじゃ。
その為には薩長の仲直りも、幕府と朝廷の橋渡しもする。
日本を良くするなら、何処へでも走るきに」

その通りだろうと、龍馬さんの横顔を見て頷いた。
皆、走っている。信じるものに向かい走っている。
信じなければ走れない。一人では走れない。心の中に何かを抱いて走っている。
「瑩」

その瞬間、龍馬さんが大きく呼んだ。
大きな手が指差す東の空を、真っ直ぐに見詰める。

「夜明けぜよ!」

東の空、あの時あの方と潜んだ大文字山の稜線を染めて、白い光が庭へと真っ直ぐに射す。
この焼けた町並みもいつかは元に戻る、いや、もっともっと大きな町になるかもしれない。

横顔を朝日に照らされ、龍馬さんの目が輝いている。
この人がいる限り、この国の舵取りは任せられる。
夜明けを迎えたこの空は、そして海は続いている。
いつかこの人の笑う空へ。この人の夢見る海へ。

そう信じ俺たちは肩を並べ、夜明けの明るい空を見上げた。

 

 

【 藤浪 ~ Fin ~ 】

 

 

 

 

リク話【 藤浪 】 終了です。
haruさま、素敵なリクありがとうございました。
そしてヨンで下さった皆さま、ありがとうございました。

正直これをUPした時点で、何処にいるのか不明でした。
入院中なのか、すでに自宅か・・・
結局未だ病院に居り、PCも限られた時間のみの許可で思うように書けず。
うーん、ストレス溜まりまくりです。
コメ返もこの時点では、相当遅れています。
本当に申し訳ないばかりです。

次回リクエストシリーズ最終話、
テマン、酔います。

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