2014-15 リクエスト | 藤浪・3

 

 

あの夜。

典薬寮の仕事が終わり、私は御所を出る為に歩いていた。
冬の終わりの夜の空気はまだ冷たく、私は底冷えの京の冬の長さにうんざりしていた。
骨身に染み入るような、歯の根が合わないような冷たさに。

凍った色の月が上がり、辺りを白銀に染めていた。

昼の間の僅かな春の気配も消え失せた、痛い程の冷たい夜の空気の中。
肩からぐるりと掛けた襟巻を指で直し、禁門を出ようと、疲れた足を一歩一歩進めていく。

今上さまや女御様、典侍様や皇族の方々と万一にもすれ違わないよう、白壁沿いの脇道をただ門へ。

その時添って歩く松林の中から聞こえた音に、私は歩を止めた。

「・・・誰」

小声で誰何すると、松林の中からの音が止まった。

誰かいる。殿からも、門からも死角の林の中に。
動物ではない。それなら声を掛けて音が止むわけがない。

私は御所の殿の方を振り向いた。
見張りの衛士たちの姿も、その手に持つはずの目印の篝火も、ここからは見えない。

足を返そうとした瞬間に林の中から飛び出て来た影から伸ばされた腕に口を塞がれ。
抱えられるようにこの体ごと易々と、私は音もなく松林へと引き摺りこまれた。

松の枝の重なる闇の中、耳元で切れ切れの浅い息が聞こえる。
「怪しい者ではない」
こうして御所の中で、誰もいない死角の松林に潜んでいる者が怪しくないわけがない。
「ここで人を待っているだけだ。頼むから静かに」

その時真っ暗な松の影で確かに感じた嗅ぎ慣れた匂いに、叫ぼうとしたこの口も、逃げだそうとした手足も動きを止めた。

暗闇の中だからこそ分かる。視覚に頼れず、他の感覚が鋭くなっている。
「出血していらっしゃいます。あなたですか」

返り血ではない。それならこんな噎せるような濃い匂いではない。
私は小さな声で、抑えられた口の隙間から訊いた。
この不審者なのか、それともこの松の影のどこかに血を流した別の者が倒れているのか。

どうにか探ろうとして指先を動かす。
触れた不審者の着物の左肩口が、濡れた小さな音を立てた。
びしゃり。
その音と共に、凍えるこの指先にぬるい水がついた。
その指先を擦り合わせるとその水はすぐに粘度を持ち、鼻先へ持って行くと、あの噎せる匂いが濃くなった。

この人だ。そしてかなりの出血だ。
そう思った瞬間に私は小さく伝えた。
「私は典薬寮のものです」

私の声に、口を塞いだ手に力が篭った。
「お分かりにならない方だ」
耳元の切れ切れの声が、月よりも夜よりも冷たく響く。
「典医殿に診せられるなら、此処で隠れたりしません。待つ者が戻ればすぐに去る。その間、どうぞ静かに」

そして最後に、ざらりとした声で言った。
「無関係な者を斬りたくない」
「ならば手をお放し下さい」
私はどうにか首を動かし、後ろの不審者を振り返る。
その影が僅かにたじろいだように身を引いた。
耳元に掛かっていた切れ切れの息が遠くなる。

「ここで私が診ますから、林の切れ目の明るいところへこのまま連れてって下さい」
押さえられた口の隙間から、ようやくそれだけ私は告げた。

荒い治療には慣れている。今の京では町人でも、誰かに斬られて運ばれるなど日常茶飯事なのだから。
今の京には冬風よりずっと冷たく、血腥い風が吹いている。
金策の提案を断った大店の店主やその手代、家人。隠れ場の提供を渋った茶店や、旅館の関係者たち。

典医と呼ばれていても非番で宅にいれば、そんな患者が運び込まれることはしょっちゅうだ。
持ち運ぶ匣の中にはいつでもそんな者に行き合った時すぐに治療ができるよう、最低限の診察道具と薬がある。

この不審者だろうが、路に行き倒れる浪人だろうが。大店の店主だろうが、髪結い傘張りの町人だろうが。
壬生狼だろうが、尊王攘夷派だろうが、私には関係ない。

「早く。今すぐに」

私は林の影に引き摺りこまれた時にも、両腕で抱えたまま身から離さなかった道具匣を、今一度抱え直して声を張った。
押さえられた口からは、篭った声しか出て来ないけれど。

「診せなさい」

その声に不審者の手が一本、押さえつけていた胴から離れた。
啖呵を切ったは良いものの、後から襲う怖さにこの身が竦む。
このまま打たれるか、斬られるか。

けれどその手は私の肘へゆるりと回ると、後ろからそっと抱えるように、地べたに据えられたこの身を起こした。
「お見せしますから、静かに」
そしてそのまま支えるように、この足を何処かへ導き始めた。

ほんの少し歩いた林の中。
頭上の松が途切れた、 枝に切り取られた歪な丸い夜空の見えるその場所で、私の体から不審者の両の手が離れた。

その丸い夜空、白銀の冬の月の明かりの下、私は不審者へ向き直って息を呑んだ。

白銀の月明かりの下の逆光の影は、冬の終わりの月に頭が届くかと思うほどに、背が高かった。

この身を後ろから抱える肩の幅や高さ、口を塞いだ掌。
そんなところから、大きな者だと思ってはいたけれど。
私は黙って、その振り返った大きな男の左肩を指した。
「着物を肌蹴て下さい、そちら側だけで良いので」

小さな声に無言のままの影が左の片肌を脱ぐ。
私は丸い空の下を用心深く動き、一番明るい場所を探す。
そこへ座り込み、影に手招きをする。
「ここへ座って」
影は無言のまま音も立てずにそこへ寄ると、地面へ座り込む。

丸い空の下、月明かりでその傷を見る。
斬られて熱をもった肌にはこの指先が冷たいのか、男が微かに息を吐いた。
「冷たいですか」
「いえ、そうではない」

男は微かに首を振った。
「おかしな方だと思って。普通なら傷を見る前に、この顔を確かめるのでは、と」
「医者でなければ、そうしていたかもね」

私は未だに顔を確かめないままその傷を見る。
少し深い、けれど出血はかなり収まっている。
そう判じて匣を出来るだけ静かに開け、中から薬を取りあげる。

「沁みますよ」
そう言って薬瓶の蓋を開け、一気に傷へかける。
男は黙ったまま声もあげず身じろぎもしない。我慢強い患者だ。

「麻酔はありません。このまま縫います」
黙ったまま顎だけで同意を示した男を確かめ、私は白銀の光の中、それより冷たく光る針へと手を伸ばした。

 

 

 

 

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13 件のコメント

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    和製 ウンスと、ヨンですね。
    流石 医者。
    ここでも、淡々と自分の天職を貫かれるお方ですね。
    続きが楽しみでござる。

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    いつの時代 どんな背景でも さらんさんのお話はとても素敵です! 毎日 朝晩 更新をチェックして 読ませていただいています。
    私も現在 健康のありがたさを痛感している一人です。その中で さらんさんのお話を読むことが 唯一の楽しみとなっています。アメ限定のお話も読みたいです。アメンバー募集をお願いします。
    これから 入院されるとのこと、、、治療に専念され 元気いっぱいで帰ってこられるのを お待ちしています。

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    なぜヨンが御所にいたのか気になります。
    前話の様子だと,高貴な身分だけれど事情があって秘密にしているみたいだし。
    龍馬と知り合った経緯等,これから明かされるんでしょうけど,何か目的がありそうですよね。
    先が全く読めない分,楽しみです♪
    さらんさんコメ返,気にしないで下さいね^^
    スルー出来なくて,つい又コメしてしまいました(。-人-。)

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    さらんさんこんばんは♪
    こうなったら
    あと休むまでもう少し
    とにかく
    リク話が終わるまで
    さらんさんファイティン(~▽~@)♪♪♪
    さらんさんの人柄&お話に I Iove

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    ヨンとウンスの御所での出会いは
    こんな風にしてはじまったんですね。
    毎回 毎回 ゾクゾクしながら ヨンでます。
    さらんさん
    御所の桜は そろそろ終わりを告げ
    ピンクの景色から緑の景色へと
    かわりはじめてます。
    今日 このお話を頭の中で思い描きながら
    御所の中を通って帰りました。
    脳内 ヨンだらけ
    もうほとんどヨン廃人です。私

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    さらんさん、藤浪第3話をお届け頂き、ありがとうございます。
    高麗の寡黙な武士・ヨンは、こちらのお話の世界でも言葉少なで、我慢強い男…❤
    恋はいつでも、大なり小なり「事件」から始まるものだと思いますが、此度の二人も正に「訳ありの男」の出会いから始まるのですね。
    そうそう、このお話のヨン、もちろん髷は結ってないですよね?(*^。^*)
    恐いもの見たさ…、いえ、見たくはありません(*^_^*)。
    ポニーテールか、肩くらいまでの伸ばしっ放しという感じでしょうか。
    さあ、これからの展開が楽しみです!
    さらんさん、今日も外はとても寒い一日でした。
    美味しいもの、召し上がってますか?

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    >hanaさん
    こんばんは❤コメありがとうございます
    遅コメ返、本当に申し訳ありません(x_x;)
    あああ、ありがとうございます。
    退院したばかりの自分には、身に染みるお言葉です。
    今回のGWなどの大型の御休みの間は、勝手に信義イベントやら
    アメンバー様限定話をUPする予定なので、
    アメンバー様募集、是非したいとは思っているのです・・・
    体と時間にゆとりができ次第、なる早で検討します❤
    その折には、是非お待ちしております(*v.v)。

  • SECRET: 0
    PASS:
    >すんすんさん
    こんばんは❤コメありがとうございます
    遅コメ返、本当に申し訳ありません(x_x;)
    これ、このお話はほんとにこの長さで納めるのは
    無理のありすぎるくらい細かく設定したお話だったのです。
    でもすべて書くと、すでに【信義】ではなく、
    別の歴史小説になってしまう~~~と
    苦肉の策で、最後もあんな感じでしたが。
    本当なら、このお話こそ【信義】最終話以降に書いてみたいと
    熱望する設定だったりします(〃∇〃)

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    >せーらさん
    こんばんは❤コメありがとうございます
    遅コメ返、本当に申し訳ありません(x_x;)
    もうこの二人の出会い方は、これしか考えられません。
    これ以外ではどうも、ヨン&ウンスでなくてもよいのでは、と思ってしますのですww

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    >愛知のひとみさん
    こんばんは❤コメありがとうございます
    遅コメ返、本当に申し訳ありません(x_x;)
    正にお言葉の通り、リク話の後に尻尾までくっついていましたww
    でもしっかり3kg太って帰ってきました!
    このままいけば、夏にはビキニも着られるかもです!
    肉が戻らない事には、む、胸が・・・汗

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    >haruさん
    こんばんは❤コメありがとうございます
    遅コメ返、本当に申し訳ありません(x_x;)
    壁ドンが書けなかった・・・これが今話の最大の後悔です。
    くうう、書きたかった。いやでもそれやると・・・と
    なかなか悩み深かった記憶がw
    ヨン廃人 万歳ですよ~~~❤

  • SECRET: 0
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    >muuさん
    こんばんは❤コメありがとうございます
    遅コメ返、本当に申し訳ありません(x_x;)
    この国境眸を頂いた時には、既に先日ご覧いただいた
    龍馬&瑩のイメpicが出来上がっていて、
    ただそれを、病院に持ち込んだこぱち(ラップトップ)に
    移していなかったなあ、と思ったのです。
    その後一時帰宅でUSBに移して、やっとUP出来た時の嬉しさも
    今思い出しましたww
    懐かしいです・・・(〃∇〃)

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