2014-15 リクエスト | 碧河・1

 

 

【 碧河 】

 

 

碧瀾渡の市の雑多な人の波に紛れ深呼吸をする。
横にいた薬員が微笑みながら、私に向かってそっと頷く。
「先生、愉しそうですね」
私は市の人波を他の者にぶつからぬようすり抜けながら微笑んで頷いた。
「ああ、生き返る心地がする」

薬員は市を行き交う人々に目を当てながら、戸惑ったように苦笑した。
「余りにもいろいろな顔やら言葉やらで。私はどうも緊張するばかりです」
そう呟く薬員に頷くと私は小声で囁いた。
「懐の財布だけはしっかり握っておきなさい。こうした人波の中には物騒な者たちもいる」
その声に薬員は緊張したように頷いた。

碧瀾渡を歩くたびに、父と旅したころの記憶が蘇る。
いろいろな目の色、肌の色、髪の色、衣服、言葉、食べ物、風習文化。
馬よりも一回り大きな駱駝、見たこともない紙や染料、硝子細工や陶器、絹や布。
そして何より書物や薬草。
私にとっては宝の山だ。

大きく開けた礼成江の流れに目を移す。

その碧の河の向こうに見たこともない世界が大きく開けているのか。
そう思うとこのまま何もかも捨てて行きたいと、居ても立ってもいられぬほどに心の何処かが波立ってくる。

川面を渡る風が長く伸びた髪を乱しながら、吹き抜けていく。
その風は皇宮の中で吹く風とは明らかに香りが違う。
とても開京から馬でひと駆けの場所にあるとは思えない程だ。
碧瀾渡に吹く風は世界を渡り、その清濁全てを抱き込んでようやくここへ辿り着いた。
そんな自由の香りがする。

「先生」
薬員が薬房の前で次に静かにそう声を掛けるまで。
私はそこに佇んで風に吹かれつつ、目の前の礼成江の流れと、行き交う人を見つめていた。

 

******

 

薬房と言っても、ありふれた市井の小さなものではない。
主に元と大食国からの薬草を取り扱っている碧瀾渡の市でも一、二を争うほどの大店だ。
薬員と共に入口をくぐると、房内には薬草の香りが強く漂っている。
見たこともないような薬草が天井から下がっていたり、作業台の上に所狭しとに広げられていたり。

そんな店内で薬房の店主は見慣れた私の顔を見て微笑んだ。
「チャン先生、この度は少し間が空きましたね」
私はその声に笑って頷き返す。
「ええ。珍客をお迎えし、少々慌ただしかったので」
敢えて医仙の名は口には出さない。

天界からのお客様はいつの間にやら皇宮で季節を重ね、予想よりも長逗留になっていらっしゃる。
天界へ帰すと躍起になっていた隊長も、互いのお心が結び付いた今は時折強い躊躇いが透け見える。
何か出来る事があればとは思うものの、こればかりは他者が口出し手出しを出来る領分でもない。

店主も隊長との関係はともかくとして、医仙の噂は小耳に挟んでいるのだろう。
それ以上何を言う事も問う事もなく頷いて、薬房の中をその視線と掌で示した。

「最近入って来たのは明日葉。発芽が早く、収穫に苦労が少ない。
強壮と血の逆上せに良く、血を清める効果が高いです。
大柴胡湯に処方すると効きが良かった。根は紅参と同様の効力があります」
「そうですか。黄耆の代わりでも良さそうだ」
興味深い店主の言葉にじっと耳を傾けながら私は呟く。

「槐花も入っています」
店主の言葉に深く頷く。
止血薬として効果のあるその生薬も、兵の多い皇宮では必需品だ。
何しろ怪我を忍て戦場へ飛び出すあの無茶な隊長がおられる。
ご本人は内功で抑えはきくとしても、率いる部下は内功を持たぬ人間だ。
手早く止血が出来るに越したことはない。

皇宮で用いる薬であれば金子に糸目はつけぬが、何にしろ薬草の量自体に限度がある。
入手が可能な薬草を恒常的に確保するためにも、生薬や種を手に入れ典医寺の薬園で栽培する。
そしてこうして新たな生薬を探すことも私の役目の一つだ。
一通り店内の生薬や薬草の講釈を伺い、必要なものを手に入れる。
薬員はそれを一纏めにして括り背に負った。

「近頃、興味深い話を伺いました」
買い物を終えた私たちは卓を挟んで向かい合う。
不思議な形の瓶から濃い香りのする茶を茶碗に注ぎつつ、店主はそう言って笑んだ。
「興味深い話ですか」

私はその茶碗を受けながら、店主の笑みを見つめ返す。
「ええ。大食国から、薬と共に高麗に渡られた医官のお話です。
まだこの薬房にいらしたことはありませんが、そろそろお姿を拝見するかと。
本日がその、大食国の薬草の荷の着く日なので」

私は茶碗に静かに口をつけ、その話に首を傾げる。そのような話は初耳だ。
さすが多くの国を相手に貿易を営む店主の早耳には敵わない。

濃い香りの、甘い茶を飲みながらの茶飲み話だ。

店の中を、自由の香りの風が礼成江から吹抜けていく。
ここで薬草と茶の香りを抱き、違う香りになって渡っていく。
髪を揺らす風の出処を追うように、私は視線を上げた。
通りの大路向こうの礼成江に呼ばれたのかと思ったが。

店の入口は木枠で囲まれ切り取られた一枚の風景画に見える。
その風景画は明るい朝の光に溢れている。
様々な人が流れるように行きかう奥に、礼成江の碧の流れが霞むような筆で描かれている。

そして主人公がその木枠の中央に、鮮やかな筆致で描かれていた。

紫と金の飾りを施した白い長い外套。
流れる河のように波打つ、漆黒の髪。
意志の強さが伺える一文字の濃い眉。
そして、真直ぐに此方を向く碧の目。

その目に射竦められるよう、私は動きを止めた。
天竺でも、元でも、無論高麗でも、こんな目は見たことがない。

風景画の主人公は後ろに薬草を積んだらしき荷車を曳く 数人の従者を従えていた。
そして迷いない足取りで薬房の入り口へと歩んできた。
そして入り口で足を止めると、店の中を真直ぐに見て

「こんにちは」

そう綺麗な発音の、滑らかな高麗語で言った。

 

 

 

 

新リク話、開始です。

104. リクエスト
チャン先生に幸せを!(ichigoさま)

チャン先生。
何度めの登場か。せめてこのパラレルの中で幸せに。
楽しんで頂けると幸いです。

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