2014-15 リクエスト | 迂達赤奇譚 -木春菊-・5

 

 

「こんにちは」
明るい声が、昼の明るい食堂に響く。
「医仙!!」
チュンソクが驚いたように、腰を下ろした椅子から立ち上がる。

「医仙!」
「どうされたのですか、突然」
「隊長のお部屋に逗留されるとは聞きましたが」
「まさかここまで来て下さるなんて」
兵が次々椅子から立ち上がり、わらわらとこの方の周囲へ寄る。

「うん。しばらくお世話になります」
この方が俺の横、平然と言って嬉し気に微笑んだ。

あの時は毒に侵されたこの方を部屋から連れだすことをせず、テマンに飯を運ばせていた。
此度はそんな名分はない。行きたいと駄々を捏ねられれば渋々にでも連れて出るしかない。
そして皆がこの方に懐いているのは、何年経とうと一向に変わらん。

「で、皆と一緒にご飯にしようかな、って」
そんな風に笑いながら、皆の飯の椀を楽し気に覗き込む。
この方を見つつ首を振る俺へと、チュンソクが歩み寄る。

「大護軍」
「・・・何だ」
「良いのですか、医仙もご一緒で」
「仕方ない」
「別に部屋へ運ばせましょうか」
「良い」
「は」
チュンソクは頷くものの、それでも気掛かりそうに呟いた。
「しかし、大人しくしているか・・・」

兵の事を言っているのか、それともあの方か。
何方にも当て嵌りそうな言い得て妙の言の葉に、
「さあな」
と返すしかない。

 

「ヨンア」
向かい合って取る昼餉の最中、あなたが俺を呼ぶ。
「そんなに食べるの、早いっけ?」
この手許の椀を覗き込み、首を傾げる。

早く食い終え、早く此処を出、部屋へ引き上げたいのです。
しかしまさかこの場では言えん。
「急いでおります。イムジャも早く終えて下さい」
「え?」

だいたいこの方の前の飯の椀は、兵らと同じ大きさだ。
空腹とはいえ、この細い腹の何処にそれほどの飯が収まるのか、いつも不思議で仕方がない。
「この後、なんかあるの?」
「そういうわけでは」
曖昧な返答に、この方が首を振った。
「じゃあよく噛んで食べて。早飯は胃腸にも消化にも良くないのよ」
長閑に噛んでいた飯を飲み下し、花のように笑う。
食っている時の満ち足りたこの方の笑顔は別格だ。

「だいたい家では、そんな早くないじゃない。ここではそんなに早く食べてたなんて、全然知らなかった」
「宅では良いのです。戦場で飯に無駄な刻を割くわけには」
「そういうものなの?」
「ええ」
「じゃあ」
その細い指がこの手に掛かり、箸の動きがそっと止められる。
「今は戦じゃないんだし、私といる時はゆっくり食べて」

 

大護軍が、兵舎の食堂で医仙と手を握りあった。

そんな噂が兵舎に広まったのは、その日の昼過ぎだった。

許嫁同士が何処で手を握ろうと全く構わない。
あのお二人の今までの道を思えば、目の前で接吻を交わしても俺たちは黙って目を逸らしそこを去り、お二人にすべきだ。
むしろ仲睦まじいと、俺たちはお二人の姿を手本にすべきなのだ。

しかし厳格な大護軍しか知らぬ新入りたちもいる。
厳しい鍛錬や、戦での鬼神のような大護軍しか知らん隊員たち。
あの丘で大護軍が誰を待っていたかも知らん隊員たちでは、どうにもそうは行かんらしい。

あの鬼の大護軍が、医仙と。
面目に拘る大護軍が、医仙と。

廻る間に散々大きな尾鰭がついた噂は、最後に俺に戻って来た。

 

「隊長!!」
夕刻、歩哨の交代を終えたトクマンが叫びながらその噂を抱え、俺の部屋へ飛び込んできた。

「大護軍が医仙と手を握りあったうえに、部屋へ無理やり連れ込んだとは、本当の話なのですか!!」
叫ぶトクマンの脛を、俺は思い切り蹴り飛ばした。
「出鱈目に決まっているだろうが!!」
「いてっ!!」

トクマンは蹴られた足を抱え、もう一本の足で跳ねながら
「でも、隊員たちはその噂で持ち切りで」
と言い募った。その声へ
「ならばこう否定しろ。大護軍は医仙を無理に連れ込んでいない。手を握りあっていたなど真赤な嘘だと。良いな」

俺の声に、トクマンが痛みに顔を顰めながらも頷いた。
医仙に特に懐いている筆頭だ。しっかり打ち消して回るだろう。

 

******

 

「イムジャ」
「なあに?」
兵舎の食堂で夕餉を終え、戻った私室で薬壺を覗く事もない。

卓に向かいあって腰掛け、静かに部屋を見回した。
蝋燭の揺れる優しい灯が、室内を橙色に染める。

そうだ。チャン侍医を亡くした夜。
この方が呆然と薬草を弄りながら、ぽつりと言ったことがある。

チャン先生が死んだのは、私のせいよ。

その時俺は初めて人を斬った話をした。
だから自分の所為だなどと言うなと。
あの時のこの方が、隊長を亡くした時のメヒに重なり怖かった。
失いたくない。自分の所為だなどと言うな。

解毒薬を刺客に滅茶苦茶にされ、新しいものを作りながら、問われたことがある。

私に逢わなければ、今頃まだ寝てた?

その時俺ははっきりと答えた。
出逢わなかった時の事など、考えたことがない。
例え最後にこの方を天界へ返すのがどれほど辛くとも、出逢えた事が全ての始まりだった。

薬草茶を振る舞われ、兵たちの角力を眺め、迎賓館を捜索し。
買い物へ出で、王様の遊山に共に出掛け、奇轍の襲撃に遭い。
トルベを、兵たちをまた亡くし、最後にあの丘で暫し離れた。

この方がここへ現れ、季節が一巡する間にもそれだけの事が起きた。

言葉がどれ程すれ違っても。想いが伝わらずに寂しくとも。
離れ離れで、空に向かい名を呼び、此処にいると伝え、一緒にいたいと心から願う事が俺達を此処へ連れてきた。

思うのだ、あの時この方が帰って来なければ。
奇轍に攫われ連れだされ、二度と帰ってくることができねば。
この方はあの時の言葉通り、俺のために天門を捜し続け、おかしな世界を彷徨うことになっていたのではないかと。
何を考えているか判らなくとも、俺の事だけを想い、考え、そのためにだけ泣き、笑う方だから。
そして俺は、この方がいなければ生きていけなかったから。

だからあの離れ離れの間、必死で呼んだ。
此処にいる、戻って来いと。

「・・・ヨンア?」
肩に小さな手が置かれる。そっと揺すられ我に返る。
思い出してばかりだと、小さく頭を振る。
「大丈夫?」
頷きかけて止め、その瞳を覗き込む。
「あの時、門から一旦お返ししたのは」

小さな手がこの掌に重なる。そして優しく握られる
「うん」
「逃げぬと決めた俺の元に、帰って来て頂くためでした」

あの時、王様は訊ねて下さった。
医仙と共に天界へ行け、もう耐えられぬだろう、つらい事ばかりでと。
はい、という返事を聞きに参ったと。
そして俺はお伝えした。
あの時隊長は問われた言葉が重すぎ、ご自身の命で答を出した。
しかしそれは逃げだったと。
俺は逃げずに答えを返すと。

仕える王を己で決めた。己は決してその立場を望まぬとお答えした。
その答えから逃げぬと決めた。ずっと王様を御守りすると。
重いこの剣を、これから先大切な方のためにのみ振るうと。

この方のことだけが気掛かりだった。
俺に添うて頂くならば、此処で過ごすことになる。
だからこそ王様へ頭を下げた。大切な方を守って頂きたいと。
その為にお力をお貸し頂きたいと。

王様にも王妃媽媽にも、今もその言葉を御守り頂いている。
だからこそ今俺達は、此処にこうして共にいる。

「思い出すばかりで」

その短い声に、椅子を立ったこの方が俺の前に進む。
座ったまま頭がその胸へと抱かれ、この髪が細い指で梳られる。

「いろいろ、あったよね」
「はい」
「でも楽しかったこともたくさん」
「はい」
「終わり良ければ全て良しなのよ、きっと」
「・・・はい」
「だから、ずっと一緒にいたい」
「必ず」
「もう絶対離れない」
「離しません」

その時聞こえた扉外の小さな音に、心地良い細い指の動きをこの手で抑え、無言で立ち上がる。

急に立ち上がった俺に驚いたよう、この方が目を瞠る。
俺はそのまま扉へ進み、次の瞬間それを一気に蹴り開けた。
「いてっ!」

此度も段々畑に並んだ一番手前の兵の顔面に、蹴り開けた扉が派手な音でぶち当たった。
開いた扉から覗く俺の睨みを見て、奴らはじりじりと後退する。
その頭を、駆け寄ったテマンが順に叩いていく。
「いい加減にしろよ、お前ら!!」

奴らが頭を下げ背を向けてそそくさと去っていくのを見届けて、最後にテマンが頭を下げる。
「済みませんでした。叱っておきます」
「テマナ」
「はい」
「お前も、叱れた立場ではない」
「・・・え、ええとそれは」
「しっかり見張れ」
「は、はい!!」

その声を聞きながら、扉から離れ部屋内に戻る。
「変わらぬ奴らだ」
その声に、立ったままのこの方がくすくす笑う。
「みんな、相変わらずあなたの事が好きなのね」
「好きならやらぬでしょう」
「気になるのよ、きっと」

何処までも優しい声に、俺は諦めの息を吐く。

 

 

 

 

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