2014-15 リクエスト | 藤浪・14

 

 

「龍馬さんは」
「今、長崎に居るんや」
お龍さんと顔を合わせるたび、そんな話をした。

「よく耐えられますね」
「子供みたいに泣き喚いても、しゃあないやろ」
「確かにそうですけど」
「瑩さんも気張ってはる」
「え」
「龍馬が言うてた。今までやったら瑩さんは絶対京を離れたりせえへん、自分について来たりせえへんかったて」
「そうなのかしら。あの二人、始終一緒にいるし」
「護りたいもんが出来たんやろて、言うてはったわ」

向かい合ったお龍さんはそう言って、くすくすと笑った。
「うちらは逢って三月で祝言を挙げたけど、こっちの御二人はえらいのんびりしたはんなあ」
「ほとんど逢えないし、そんな」
お龍さんの声に、耳が熱くなる。
「急いでもしゃあない、けどうちは怖いんや。二人でいる時間は短くて、自分のもんにしたかった。
なんや形が欲しかったんかもしれんなあ。
最後の最後に自分のとこに戻って来る約束みたいな、そんなもんが欲しかったのかもしれんわ」

開けた障子の向こうの初春の庭に向かって、お龍さんは静かに言った。
「祝言挙げたかて、なんもそないな約束にはならへんけど」
庭の松の常緑よりも、余程鮮やかな冴えた声音で。
初春の澄み渡った空気よりも、余程清らかな瞳で。

そうして私を振り返ると
「なあ、恩綏」
その目でじっと私を覗き込んで、お龍さんは問いかける。
「瑩さんは勿論、龍馬も言うたりせえへんけど」
「はい」
「瑩さんて、誰なん」
「・・・え?」
突然の問いに、息が詰まる。

「龍馬に寺田屋に預けてもろて、偉い人らが身分隠してあっこに出入りしてはるんをずっと見てるけど。
そいでも瑩さんは、どっか違うんや。郷士らとは違う。言葉だけやない。何やろなあ。何なんやろ。
あんだけ静かな、いるかいないか分からんほどの方やのに、真っ直ぐ顔見たらいかんような気ぃに、時々なるんや。
おもろいで。龍馬が中岡はんやら、高杉はんやら、西郷はんやらとどっかで会いますやんか。
瑩さんもそこに立ち会うと、みいんな瑩さんの前で畳に手えついて頭低うしはる。 あれ、知らんとしとるんどっせ」

お龍さんは、愉快そうに首を傾げた。
「・・・そうなんですか」
「そりゃそうでっしゃろ、瑩さんはいっちばん下座に座ってはる。偉い方やったら、上座に通されますやろ。
瑩さんはいっつも、刀構えて戸口守っとるんどす。その上座のお歴々が、下座の瑩さんに向こて頭低うして。
変わらんのは龍馬だけや。龍馬だけが、瑩、瑩って呼び捨てて。瑩さんもなあんも気にせんと、龍馬に懐いてるけど」

さすがだなあと、私は内心で舌を巻く。
女性が対面に立ちあうのもさすがなら、その様子をしっかりと見極めているのもさすがだなあと。
私なら絶対に見逃してしまうだろう、そんな気配を読み取っている。
あの龍馬さまが一生添うと、決めただけあるわ。
私は笑って首を振った。

「瑩さんは偉そうですから。無口だし、体は大きいし」
「ほんまにそいだけかなあ」
「そうですよ、きっと」
「そやったら、そうしときましょ」

お龍さんはにっこりと笑って頷いた。
「探ったかてなんもええ事ないわ。
恩綏が瑩さんを好いとおて、瑩さんも恩綏を好いとおたら、もうそれだけでうちは嬉しおす」
「お龍さん」
思わず上がった声に、ふざけて睨んだお龍さんの目が当たる。
「姉妹の目ぇは、よう誤魔化されしません」
「だって、だけど」
「男心を知らんなあ、恩綏は」

・・・これ、いつかもどこかで言われたわ。
そう思いながら私は真っ赤な頬を押さえた。

 

******

 

「どうして」

震える声を抑えて問いかけるのがやっとだ。

喉の奥、胸がひゅうひゅうと嫌な音で鳴る。
まるで大路に吹く木枯らしのような寒い音。
粉雪交じりに吹きつけるあの風には、本当に難儀する。

あの風に紛れて、山南さんに声が届かなければ良かった。
あの粉雪に紛れて、その姿が見つからないことを祈った。

だのにこの人は追いついた俺を正面から優しく見据えて
「見つかったね。帰ろう、総司」
待ち構えていたように微笑んだ。

何て残酷な人だ。何処まで優しい人なんだ。
ただ俺が追走をしくじらないようにと思っていたに違いない。

「逃げられたでしょう。その気になれば逃げられたはずだ。
私だけが行ったんだから、振り切れば良かった。そうすればどうにでも誤魔化せた。
何故戻ってきたりするんですか。何故戻るなんて言ったんです」

屯所の座敷牢の中、端坐してこちらに向かう柔らかい眼差し。
剣を振るい、他の誰を斬り捨ててもあれほど守りたかった人。
その人が牢の向うでこちらを見て、優しい声で呼んでくれる。

「総司、そんな風に言わないでくれ」
「どうなるか分かるでしょう!法度を誰よりも知っているのは山南さん、あなたじゃないか!」
その檻に近付き、柵を両手で握って揺らす。
「今からでも、お願いだ。今からでも逃げてくれ。どうにかします。どうにかここを開ける手を考えるから」
「総司」

山南さんは穏やかに首を振る。
「一番隊隊長が何を言うんだ。他の誰が馬鹿を考えても、総司はそれを言ってはいけない。
法度は死守しなければいけないんだ。破れば命で償う、それが隊の掟だろう。そうでなければ乱れが生じる」

目の前が曇って、その優しい目が見えない。
胸の木枯らしの音で、優しい声が聞こえない。
ただこの手が檻を揺らす、耳障りな音が響く。

「山南さん!」
「総司。一つだけ、願いを聞いてくれないか」
「何ですか」
「最後に苦しい思いを懸けるけれど」

山南さんはそう言って、静かに牢の床に手をついた。
「介錯を、総司に頼みたい。この通りだ」

堪え切れずに零れるもので、目の前の山南さんの優しい目もその声も何も見えない。聞こえない。

「嫌です、絶対に嫌だ。不逞浪士を斬れというなら今すぐにでも十の首級を持ってくる。本当だ。
坂本でも中岡でも、岡田でも高杉のものでも取って来るから、だから山南さん、そんな事はさせないで」
「総司」

柵を強く揺するこの手を、その向こうから握る温かい手。
その優しく強い声を聞いて目を閉じる。
この人は決めていたんだ。最初から全て。

今この人が握ってくれるこの手が守ろうとしていたのは、一体何だったのだろう。

試衛館の皆でいるのが嬉しく、剣筋を褒められるのが誇りで、皆が本当の兄のようで、ただその時間を守りたかった。
皆の信義が自分の支えで、その信を貫く手助けがしたかった。行く場所が京でも他でも、例え地獄でも構わなかった。
この剣で皆を守りたかった。その道を邪魔するものは、全て斬り捨てると決めていた。

その兄を斬るなんて、どうやってできる。
敵の血で汚れたこの手に、兄の血を重ねるなんて出来ない。

「総司、もう行きなさい」

そう言って、握ってくれたこの人の手が離れる。
その手を追うように伸ばしたこの腕は、がつんと音を立てた柵に阻まれて、もう届かない。

「山南さん!!」

最後に静かに笑いこちらへ背を向けると、牢の下地窓へと向き直った山南さんは、二度と振り返ってはくれなかった。

 

「見事だったな」

近藤さんは深く息を吐いた。

「浅野内匠頭でも、あれほど見事には相果て無かったろう」

その声に俺は頷く。

総司は真っ青な固い顔で、額に一筋だけほつれ髪を落とし、黙ってその場を抜け出て行った。
敵に急を襲われ、それらを斬る時にすら髪を乱さない男の心の乱れを、その一筋に見るようで目を逸らす。

その夜遅くまで、総司は屯所に戻って来なかった。

「一」
部屋へと三番隊隊長、斎藤一を呼んで声を掛ける。

真冬の冷たい風に吹かれて、あいつの咳が悪化でもすれば。
まして山南さんの介錯を務めた今夜、何を考えているかは聞かずとも手に取るように判る。
無茶でもすれば取り返しがつかない。

「総司を探せ。首根っこを掴んでも連れ帰れ」
俺の声に、一が頷いた。

 

夜の大路に、雪交じりの木枯らしが吹く。
介錯の後、この胸の中にも同じ音がする。

前から来た、恐ろしく背の高い影がすれ違う。その瞬間に思い出す。

この男。

「待て」

声を掛けると、すれ違った男の足が止まる。
無言で木枯らしの中振り返った黒い総髪が、彼の顔を半分も覆い隠す。

彼は首を振り、それを邪魔そうに除ける。
こちらの顔も同じようなものだ。長い総髪を目許から振り払い、正面から相対する。

「土佐脱藩浪士、坂本龍馬の取り巻きか」
その声に彼は低く笑う。
「誰のことだ」
「では屯所でゆっくり訊こう」

腰の菊一文字を抜きつつ伝えると
「出向く時間はない」
彼はそう言って己の腰の刀を抜く。

その八相の構えを見て密かに頷く。
市街地での接近戦にその構え。理に叶っている。
これほどの殺気の中、自然体で構えるなど大したものだ。

 

この距離からで刀の銘までは見えない。
けれどその直刃に湾れ。村正か。
縁起の悪い日に縁起の悪い刀に出遭ったものだと、微かに細く息を吐く。

次の瞬間、間合いを詰めて踏み込んだ。

平正眼の構えから踏み込むこの男の菊一文字が、凄い速さで喉元を突いてくる。

噂の沖田総司の三段突きか。

木枯らしを切り裂きこの身を刻もうと伸ばす刃先を払い、横へと身を躱す。

僅かに体勢を崩したこの男が建て直し、そのまま大きく詰め上段より振りかぶるのを受けて、剣同士がぶつかる。

それほど上背があるわけではない。
上段になれば、こちらに利がある。
それが分かったこの男はすぐに飛び退り、続いて下段から腰を払いにくる。

脇構えから払い相打ちになると、さすがにその目に驚きが走る。

互いに飛んで、間合いを開く。

大路に吹く木枯らしの運ぶ枯葉だけが、足元の土を鳴らす。
互いに足音すら消して、じりじりと回り込む。

その時
「総司!」
聞こえた大きな男の叫び声に沈黙の均衡は破られた。

その瞬間、俺は駆け出した。

 

今まで三段突きの後に二打も避けられたことがあったか。
こちらに打ち込みもせず、まるで軽々。

走り去る彼の背を見ながら、唇を噛む。
ただこちらの太刀筋を、むやみに露呈してしまった。
その無為なやり方に、悔いだけが残る。
次に会う時には、手の内はばれている。

「総司、何してるんだ」
大声で呼びながら、斎藤が駆け寄る。
「あれは誰だ」
とうに走り去ったその後を目で追う斎藤に首を振る。
「誰のことだ」

さっきそう言っていた男がいたな。そう思いつき、笑いがこみ上げる。

山南さん。
殺生を殊の外嫌う山南さんだから、避けさせたんですか。
人一倍真直ぐなあなたには、無益な争いに見えましたか。
でももう守るあなたがいないなら後は他の隊士のために。

山南さん。
どんどん変わっていきます、きっとこれから。
今あなたを喪った新撰組は、もう前とは違う。

山南さん。
一人で行っちゃ嫌だと伝えたでしょう。
そうだねって返してくれたはずなのに。

「・・・嘘つきだなぁ」

そう言って空を払い菊一文字を腰に戻して、木枯らしの中を屯所へと、帰り路を歩きだす。
斎藤は解せぬ顔で首を捻り、共に歩き始めた。

 

 

 

 

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