2014-15 リクエスト | 藤浪・4

 

 

最後の一針の糸を切り終え、男へ向かい黙って頷き、肌蹴た着物を上げるようにこの手で示す。

そこでようやく息を吐いた男へと首を傾げる。
痛かったでしょう。唇だけで囁くと、男は無言のまま着物を整え首を振る。

その時私たちの後ろの松林の中が、かさりと音を立てた。
「・・・瑩様」

ごくごく顰めた足音も囁きも、恐ろしい程の静寂に慣れた耳には、市中の大砲の放つ轟音ほどに大きく響く。
「・・・胤宮様、どちらに」

押し殺した声が足音と共に林の中から聞こえ、弾かれたよう目の前の影が無音で立ち上がった。
その背の高い影を、私は地面に座り込んで茫然と見上げた。
そこに飛び出して来た小さな影が、一つではない影を見てはっきりと音を立て、息を呑んだ。
「・・・・・・」
その目が目の前の大きな影に向かって問う。
そして同時にその手が懐へと差し込まれる。

目の前の大きな影が黙って首を振る。
小さな影は懐の手をそのまま止める。

「・・・お行き下さい」
大きな影がそれだけ告げる。
「早く行くのです」
押し殺したその声に私は地面で一度深く平伏して立ち上がりかけ、そして足も腰も立たない事に気がついた。

この命の危険は自分の選んだ道。自分の責任だから仕方がない。
けれどあの小さい影が呼んだ御名は、下々のものが決して聞いてはいけない御名、有り得ない御称号だった。

「・・・瑩様、人が来ます」
小さな影が林の方を振り向き、鋭く息を吐いて言った。
私が僅かに躊躇しかけたその時
「本当に申し訳ない」

大きな影がそれだけ言ってその腕が小さく動いた。
次の瞬間、息が急に詰まり、頭が冷たくなった。

 

頬を軽く叩かれ、頸を擦られる事に気付く。
遠いどこかから、微かな声が聞こえる。

「・・・典医殿」
眩暈がする。
「典医殿」
乾いた咳が出る。
「大丈夫ですか、典医殿」
喉を抑え咳き込みながら、身を起こそうともがく。

「薬を嗅がすような手荒な真似、許してください」
肩で息をつく私に向かい、あのお声が掛けられる。
ようやく震える瞼をこじ開け周囲をぼんやり見渡せば、御所からそう遠くない大路から入った脇道の端のようだ。

「即座に抱えて出るためとはいえ」
大きな影が地面に膝をついて私の肩を支えている。
その横に一回り小さな影が同じく膝をついて控えている。
「大事ないですか」
「・・・大丈夫です」

息を大きく吸って、吐いて、私はこくこく頷いた。
「あ、あの・・・ええと、何とお呼びすれば・・・」
「・・・瑩と、呼んで下さい」
「瑩、さま・・・」
「さまもおやめ下さい」
「さすがに、それは・・・」

当てられたひと睨みに私は初めてそのお顔を、影ではなく、しっかりと拝見した。

畏れ多くも今上様の面影は、この方のお顔の上にお見受けできない。
今上様のお顔をはっきりと拝したことはなく、離れて遠くから御所を歩かれるご様子を僅かに拝見する程度だけれど。

そんな風にお顔を拝見する私に気付いたのだろう。この方が静かにおっしゃった。
「何も、聞いていませんね」
首を傾げて問うお声に目を開く。
「全く、覚えていませんね」
・・・頷くべきだろう、ここはやはり。

私はその腕から逃げるように体を起こし、地面に立った。
「では、瑩さん」
「・・・何です」
「一緒に来て下さい」
「は?」
「うちがこの近くにあります。そこで先程の傷を見ます」
「典医殿」
「いざとなった時、私の居場所が分かるとご安心でしょう。万一口を塞ぐ必要があれば、京中を探し回らずに済みます」

私が真っ直ぐそう言うと、胤宮さま、いえ、瑩さんは、驚いたように目を瞠った。

「委細は分かりません。伺おうとも思いません。
でも知ってしまったことを知らぬ、聞いておらぬと、嘘をつくのは嫌です。
だから私の事を知っておけば、口を塞ぐ時に楽です」

そう言うと、地面に膝をついた影が二つ黙って立ち上がった。
私は先に立って、暗い脇道を歩きだした。

奇妙な伴連れで一旦大路に戻り、三つ先の角をまた脇道に入り、碁盤の目のような道を真直ぐ進んだすぐそこに、私の構える小さな家がある。

私は黙って門をくぐる。影が二つ、後ろに従う。
戸を開けて簡素な診察室のありったけの灯を点し、後ろを振り向いて戸口に佇む瑩さんに目の前の小さな椅子を指す。

「お座りください」
僅かにたじろぐそのお顔へもう一度
「お座りください」
しつこい声に大きい背中が部屋を横切り、椅子へとゆったり腰を下ろす。
壁の油灯、床の行燈、卓の上の蝋燭。
それらの灯りが違った色で揺れる中、目の前のこの方の姿が、壁にも床にもゆらゆらと不安定な影を落とす。

分からない事は考えない。知らなくて良い事には首を突っ込まない。私がやれることだけをやる。

私は横に置いた台の上に備えられた器の中の消毒湯で、両手を、そして指と爪を丁寧に洗った。
次に数種の漢方薬と布と包帯を、棚から取り出した。
「もう一度、傷をお見せください」
その声にこの方がもう一度左腕を着物から抜き、片肌を脱ぐ。

今度は灯りの下、生々しい傷口をじっと観察する。
訊いて確かめるまでもなく刀傷だ。血は止まっている。
先程縫った傷を、特に修正する必要はなさそうだった。

「失礼します」
そう言ってもう一度、今回は丁寧に傷を消毒し、念の為に止血剤を使った後に上から布を当て、包帯を巻いていく。

その額へ手をやって熱を測り、頬に触れて顔色を、そして次に目の色を見る。特に発熱もしていない。
続いて手首へ指を当てて脈を取り、頸からも確認する。
脈にも特別な異常はない。失血の時に現れる孔脈も、心配したほどには表われていない。

「ありがとうございました」
そう言って指を離すと、この方は立ち上がり着物を直す。

「薬を配合します。持ち帰って煎じてお飲みください」
「そこまでは」
「二度と会いたくないのなら、そうして下さい」
「・・・判りました」

頷いたこの方に背を向けて、薬棚を開けて必要な薬草を次々に取りだして行く。
計って合わせ、最後にそれらを目の細かい布袋へ入れて、その袋の口紐を指先でぎゅうと縛る。

そして振り向いて縛り終えた袋を目の高さへ掲げ
「三日、九回分です。まずこれを三つに分けて、それぞれを一日三度に分けて煎じて、忘れずにお飲みください」

そう言って、部屋の入口に立っていた一回り小柄な方へ渡す。
その方は黙って頷いて、その袋を大切そうに懐へ仕舞う。
その方の代わりに、背の高い瑩さんが
「はい」
と頷いた後、もの言いたげに目で問うた。

「何でしょう」
私はその目に問い返す。
「これで、終わりですか」
瑩さんは、探るようにおっしゃった。

「は?」
「確かめたいこと、言いたいことは」
「ありません」
私の答えに黒い目が開き、黒い眉が上がる。
「本当に?」
「ええ、本当に」
本当にない。私の住まいもお教えした。
「誰にも言うつもりはありません。もし不本意な噂が流れれば瑩さまはここへいらして、いつでも始末できる。それだけです」

私の声を聞くと瑩さまは黙ってゆっくり頷いて、最後に堪え切れなくなったように大きく噴きだした。

「そこらの軟弱な男より、余程肝が据わっている」
そう言って部屋の戸口まで進み、そこで振り向くと
「忘れて下さいと、言っても無駄ですか」
それだけ静かに問いかける。

「申し訳ありません」
私は頭を下げた。
「嘘はつけません」
「典医殿が危ないだけですよ」
「はい」
私は頷いた。
「誰にも言いません。それだけはお約束します」
その声に息を吐くと
「手当を、ありがとうございました」
最後におっしゃり、瑩さんの姿は戸口から消えた。その後ろに従う小さな姿と一緒に。

私は大きく息を吐き、ぐったりと床に座り込んだ。

 

 

 

 

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