2014-15 リクエスト | 藤浪・9

 

 

「時勢が時勢やき、辛抱しとうせ」

白無垢で庭に面した縁側に立つお龍さんに、今日はどうにか髪をおとなしく撫でつけ、裃を着けた龍馬さんが笑いかける。

「龍馬の妻になると決めた時に、そなもんぜえんぶ捨てたわ。なんもいらん、龍馬さえおったら他は一切かまへん」

内祝言、隠れ家で挙げるその祝いの席でお龍さんはその場の何よりも輝いていた。

真夏の最中、龍馬さんは下田より戻ってきたばかり。
龍馬さんの帰京の直前に起きた池田屋での件、そしてその後長州軍がたった一日で幕府軍に一掃された件。
京は今、そんな動乱の只中にあった。
明日の陽が東西どちらから上るかすら分からない、混沌とした騒乱の中に。

そんな中でのこの明るい祝言はまるで夢のようだと、私は隣に立つ瑩さんを見上げて思う。
瑩さんがそんな私に気付き、黒い目で静かに笑い返す。

あの日、文月十八日。

御所へ参じる準備をしていた私の家に、瑩さんが突然訪れた。

「典医殿」
戸先でかかる硬い声に私は振り向き、戸口の瑩さんの青い顔を見て駆け寄った。
「どうしました、お怪我ですか」

そう言って手首の脈を取ると瑩さんは首を振り、逆の手で自分の手首ごと私の手を摑まえた。
「今すぐに、身の回りの物を纏めて下さい」
そのまま私を引きずるよう縁側へ回り、そこから座敷へ上がる。
「ごく簡単に」

いきなり切り口上に言われ、目を白黒させて
「瑩さん、何を突然」
ようやくそれだけ尋ねると
「急いで!」

真剣な目で小さく怒鳴られ、我に返る。
風呂敷を掴むと診察室へ駆け戻り持てる限りの薬草を入れ、一番上に診療の道具箱を入れて縛り上げる。
「出来ました」

振り向いて告げると、切羽詰まった様子だった瑩さんがこちらをじっと見て
「櫛も鏡もいらぬのですか」
そう言いながら首を傾げる。
「今の京で櫛や鏡など、何の役にも立ちません」
私が無理に笑うと、瑩さんの目が頷いた。
「参ります」

それだけ言って瑩さんがその荷をこの手から攫う。
そして空いた私の手を、もう片方のご自分の手でぎゅっと握り締める。
「この手を、絶対に離さずに」

門を出ると瑩さんは、そこにいたあの小さい方へ
「大望」
と声を掛ける。
「はい」
「俺が戻るまで、必ず守れ」
「分かりました」
「これを大納言様へ」

瑩さんは懐から小さな筒を取り出し、大望さんへ手渡した。
「行け」
「ご無事で」
一度頭を下げると、大望さんは風のように駆けだした。
そして瑩さんは私の手を固く握り締めたまま、御所ではなく鴨川に向かい、足早に歩きだした。
「え、瑩さん」
「黙って」
何処まで行くのか、どんどんと進む瑩さんの足は。

そして御所へと大路を走る、この兵たちは一体何。
新撰組のだんだら羽織も町奉行の抱え兵たちもが、大路の至るところに武装して立っているのは。

なのにこの人に手を握られているだけで安心できる、関東者たちの横を通り過ぎても大丈夫と思えるのは、一体何故なのだろう。

鴨川を超え、黒谷さんを超え、見返り阿弥陀さまの禅林寺を超え。
山へと踏み入るに至って我慢できず私は瑩さんの手を揺さぶった。
「瑩さん、教えて下さい。何処まで行くの」
「俺の隠れ居所へ」
それだけ言って握った手を引く瑩さんへ、私は声を重ねる。
「何故」
「本当にあなたという方は」

手を固く握ったまま、瑩さんの黒い目が振り返る。
「納得せずには動かぬ方ですね」
「当然です。御所の皆さまの御体を預かっているのです」
「まずは居所に。そこですべてお話する。信じて下さい」
「・・・分かりました。信じます」
手を握られたまま瞳を見てお伝えすると、瑩さんが頷き返す。

山道を奥へと進む瑩さんの足に、今私は初めて自分の意志で従うと決めて、一緒に歩き始めた。

鹿や鳥の鳴き声しか聞こえない山奥で見えた庵。
瑩さんは黙ったまま私を連れて、門をくぐった。
「ここです」
「・・・はい」
瑩さんはようやく気付いたように、私の手を離した。

「では、お話しください」
「まず手水をお使い下さい。歩き通しでお疲れでしょう」
「分かりました」
渋々頷き、山肌に切られた湧き水の注ぎ込む手水場で手水を使う。
そして置かれていた水桶を満たすと、瑩さんへ運ぶ。

「そんな事はしなくて良いのです」
庭先の縁台に腰掛けていた瑩さんが、驚いたように目を瞠る。
「ついでです。どうぞ」
そう言って縁台に桶を置くと瑩さんがこちらを見上げ、頭を下げた。
「ありがとう」
桶から手酌で水を掬い、口を濯ぎ、手を洗い終えた瑩さんのご様子を見届けて、私はゆっくり口を開いた。

「何故、此処へ」
その声に瑩さんは庭先に進む。山の中腹、庭先からは京の町が良く見える。
眼下の光景を見つめて瑩さんが呟いた。
「長州兵三千が挙兵し、京へ進軍します」
その声に、私は固まった。
「・・・え」
「今夜、もしくは明日。市中でぶつかるでしょう。砲も牽きだされている。京は火の海になる」

妙に冷静な瑩さんの声に、指先から震えが走る。
先刻まで温かく固い手に握られ、護られていると確かに感じた指先が、最初に震えだす。
その震えはじめた指先をどうにか手の中へ隠し、私は瑩さんに向かって訴えた。

「瑩さん」
「なんですか」
「市中へ、戻してください」
「許しません」
「お龍さんが、楢崎家の皆が」
「龍馬さんが既に安全な場所へ逃がしている」
「御所が、御所の皆さまが」
「一橋公らがお守りしています。会津、薩摩、大垣、桑名諸藩も新撰組もおります」
「し、信用なりません」

私の震える声に、瑩さんが痛ましげな目を送る。
「京が火の海になど、駄目、駄目です。どれだけの方が怪我するか、亡くなるか。
そんなの駄目です。行かなくちゃ」
「典医殿」

私は瑩さんの横、腰掛けていた縁台から立ち上がった。
「駄目です、絶対に駄目です」
駆け出そうとした私の腕は、瑩さんの大きな掌で掴まれた。
「戻しません!」

その烈しい声に、私の足が止まる。
「俺とて戻って御所を、主上を御守りしたい心もある。けれど、しない。何故なら」
その黒い眉が顰められるのを見る。
「何故なら主上を守る方は大勢おられる。けれどあなたを護れる者は俺しかいない。
この戦の後、あなたを必要とする者が山ほどいる。それまでは俺が、必ず護ります」

その黒い目がしっかりと私を見据える。
「良いですか、京にあなたが必要なのは今ではない。この後です。
人々が生きたいと願う、その時だ。今ではない。辛抱して下さい」

私はその言葉に首を振る。
「だって、それで逃げ遅れた人が出たら」
「それでもです。それでも人は生きる、這ってでも。戦火から逃げ延び明日を待ちます。
俺は龍馬さんから、それを教わりました。
あの人は、そういう人たちのために闘っている。明日を待つ人が、夜明けを迎える為に。
戦を避けるよう、今もどうにか説得が続いています。
それでも戦になれば家は動かしようがない。恐らく相当燃え落ちる。
家を失えば、社寺に避難民が押し寄せましょう。
避難が長引けば、弱い者から病に倒れる。その時にこそ、あなたが本当に必要です。
その時あなたが存分に尽力出来るよう、今は俺が護ります」

そう言って私の両肩を静かに支え、この人が問いかけた。
「分かりますか、典医殿」
片手で肩を抑えたまま、もう片方の手が頬に当てられる。
「落ち着いて」
そこに流れている涙を、その指がゆっくりと拭う。

「あなたが必要だ。これからきっと。今は俺を信じて、どうか此処にいて下さい」

私はその声に、涙を流しながら必死で頷いた。

 

 

 

 

楽しんで頂けた時はポチっと頂けたら嬉しいです。
今日のクリック ありがとうございます。

にほんブログ村 小説ブログ 韓ドラ二次小説へ
にほんブログ村

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です