2014-15 リクエスト | 藤浪・8

 

 

「いやっちゃ、そんな事があったかよ」

黙って聞いていたこの人が、大きく息を吐いた。

「なんぼいうたち、こらを揃えてわしをてがう訳もなし。
おんしの話はたかぁふとすぎてわしにゃ抱えきれんが、ほいでも生きて、にいに会えて良かったのう」

その目が涙で潤んでいるのを見て、心底驚く。
「良かったのう、瑩。うんと嬉しかつろう」

この人には計算はないのか。その裏に駆引や、力の均衡を考えるようには思えん。
実の身内の思惑に振り回され、赤ん坊だった俺は攫われるよう両親から引き剥がされたというのに。
この人は家族に会えれば嬉しい、離れれば淋しい、死に別れれば悲しい、それしかないのだろうか。
そしてそれに一々こうして涙し、笑うんだろうか。
一人一人が大切と言い切った人だ、そうなのかもしれん。

「・・・はい」
頷く俺に大きく笑いながら
「ほいでこっちのこんまいんが、大望か」
問い掛けの声に、脇の大望が頭を下げる。
「そうかそうか、瑩の懐刀か。どおりでこっちもええ面しとる」
得心したように頷くこの人に毒気を抜かれたまま、俺は言葉を続ける。
「では坂本さん」
「なんちゃ」
「坂本さんに勤王の翻意無しというお気持ちは分かりました。主上にお伝えします」
「ああ、そうしてもらえればげに助かるのう」

大きく笑って頷いたこの人は、しかし首を傾げるように
「ところで、瑩」
「はい」
「わしが瑩と呼ぶのに、おんしゃまだ他人行儀じゃのう」
「それは」
俺には名字がないのだから、仕方ないじゃないか。
「龍馬と呼んどーせ」
「は?」
「龍馬じゃ、龍馬。梅太郎でもええがのう」
「・・・龍馬、さん」

言われた通り、呼んでみた。
「なんじゃ、瑩」
「龍馬さん」
「なんじゃ、瑩」

呼びかけるだけの俺を見ながら、優しい目で龍馬さんは頷いた。
「馴れてったらえいがよ」

そう言って、龍馬さんはやおらそこから腰を上げた。
そして障子へと近づいて開き、廊下へ向かい大きく明るく嬉し気に声を張った。

「おきゃくじゃおきゃくじゃ、酒、持ってきてくれんかね!」

 

******

 

京にようやく春が来た。

待ち望んでいた春は、始まってみればあっという間。
櫻が開き、藤が枝垂れ、垣の卯の花が咲き始めた頃。
楢崎先生のお嬢様、お龍さんが久々に非番の私を訪ねてきた。

「恩綏、久しぶり」
「お龍さん」
数か月ぶりの姿に、縁側に座り薬草の干し加減を確かめていた私は腰を上げた。

「元気やったか」
「お龍さんこそ、どうしてたんですか」
「実はな、恩綏」
その嬉し気な顔を見て、すぐに分かる。
「良い方が、出来ました?」
「かなんなあ」

照れたように微笑んで、私の声に頷いたお龍さんは
「この夏、祝言を挙げるつもりや」
私は思わず、嬉しさに口を抑えた。
「そうでしたか、おめでとうございます!」
「へえ、ほんまおおきに。でな」
「ええ」
「恩綏に紹介したいおもて、一緒に来とるんや。会うてくれる?」
「もちろんです、もちろん!」
「おおきに」

嬉しそうに言うとお龍さんは門に向かって小走りに駆け、その向こうへと手招きをする。
構えの低い門の切妻屋根に当たらないよう僅かに頭を低くして入って来た姿が、こちらを見て大きく笑んだ。
「恩綏さんか」

その丸い柔らかい声に、私は頷く。
けれどその姿はそこで足を止めると怪訝な顔で振り返り、急いで私へ顔を戻す。
「ちっくと待っとうせ」

そう言って門へと大股で寄り
「なにしちゅうが。すっと来いや」
そう言ってもっと背の高いもう一つの姿を、ぐいぐい手を引き門から招き入れる。

そしてようやく私の前に戻ると
「わしは龍馬。坂本龍馬じゃ。お龍から恩綏さんの事はのとろ聞いちょる。こじゃんと綺麗ちゅうのもな」
そう言って、横の大きな姿に目を遣る。
「こっちはわしの友人じゃ。めくそばぁ無口でおっこうな男やき、堪忍しとうせ」

その声は耳の中を右から左へ流れていく。
あまりに突然の予期せぬ再会に、思わず声が漏れた。
「・・・瑩さん」

私の声に目の前のこの人が目を逸らし、無言で頭を下げる。
何一つ変わっていない。あの、冬の最後の夜以来。

「たまるか!こりゃひせくった、瑩、おんしゃら知り合いか!」
「いえ、知り合いでは」
「違います、たまさか」
重なる私たちの声に龍馬さまは目を丸くした後、大声で笑う。
「あーっはははは!お龍、めっためった、こりゃめった!!」
そう言って、いかにも嬉し気に横のお龍さんに振り返る。

「どいだけ呼んでも瑩が楼へ来んはずじゃ!おじっとるばぁ思っちゅうがへくったのう、こげな美しい女子を隠しちゅう!!」
「龍馬さん、そうでは」
「違います、本当に」
「いやあ、言い訳にはよーばん」

龍馬さまはそう言って首を振った。
「瑩がこげにほたえるだけでも、まっこと愉快じゃ」
「龍馬さん」
瑩さんが首を振るのを見て、私に目を戻すと
「恩綏」

龍馬さまはうんと優しく眩し気に、私をじっと見詰めた。
私はその目を見て頷いた。

この人は、怖い。
声は優しい。気が荒い訳でもない。
動作はゆったりしているし、市中を我が物顔で練り歩き荒らす関東者のような居丈高な振る舞いもない。

でもその目が何でも見通しそうで。
この人だけうんと先を見るようで。
私たちが絶対見えないものを見ているようで、怖い。

「はい」
生唾を飲みそれだけ返事をすると
「わしのいられなら許しとうせ。ほいでもまだ瑩を知らんなら、もっとよく知っとうせ。この通りじゃ」

龍馬さまはそう言って、子供のように顔全部で笑った。

 

******

 

「聞きましたか」

お龍さんと龍馬さまが会うには、この家は都合が良いらしい。
あの最初の出逢いから、数日置きに連れだって訪れる。そしてその脇には必ず瑩さんがいる。

「はい?」
「龍馬さんとお龍殿の祝言が、葉月に決まったと」
庭を散策するお二人を見ながら、私の横で瑩さんが呟いた。
「ええ。それは嬉しそうでしたよ、お龍さん」

先の報告の様子を思いだし、瑩さんへ伝える。
「皐月に会って、葉月に祝言。龍馬さんらしい電光石火だ」
ぼそりと呟き、瑩さんは首を振る。
「俺と典医殿のほうが、知り会ってから長いくらいです」
「・・・え」

瑩さんの言葉に、思わず耳が熱くなる。
戸惑った声に振り返った瑩さんが、私の赤い耳を見て
「いや、そう言う意味では」
そう否定した後に慌てて首を振り
「いえ、嫌とかではなく、つまり」
その焦りぶりに、私は思わず噴きだす。

「分かります、分かりますから」
私の声に憮然とした顔で頷く瑩さんに向かい
「からきし疎いというのも困りものね」
私はわざと鹿爪らしい面を作って言った。

 

「お龍」
龍馬の嬉し気な声に顔を上げると、縁側に腰掛ける小さな恩綏の影がその脇に立つ瑩さんの大きな影を見上げたまま、楽し気に何か語らっている。
「あの二人、見とうせ」
「ほんまやなあ」
「次はあの二人かのう」
「そやったらうれしなあ」

笑って龍馬に頷くと、優しく細められた目が二人を見つめる。
「瑩はづつない思いは、もうええがよ。こいとばあ味おうた。
幸せにならんばいかん。誰かのために生きんといかんがよ」
「恩綏かてそうや、龍馬」

その声に龍馬が眉を上げた。
「ほうなんか」
「恩綏はきっと言わん。我慢強いし。せやけどあの子、うちのお父はんに拾われる前の事、なあんも覚えてへんのや」

小さい呟きに、龍馬の優しかった目が眇められた。
「その時から飛び抜けて賢うて、一度聞けば何でも覚えはった。
お父はんの横で、何でも手伝えるようになっとった。うちらは何度聞いてもわややったのにな。
お父はんがえらい可愛がって、医者の勉強もさしてなあ。それもぜえんぶ、優等でどんどん修めていかはったんえ」
「げに嬉し気じゃいか」
「当然や。うちの自慢の姉妹やし」

そう頷く頭を、龍馬の大きな手が優しく撫でた。

 

 

 

 

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