2014-15 リクエスト | 昼咲月見草・3

 

 

畜生、全く眠気が来ない。だいたいヌナも悪い。
鍛錬 には付き合わないし、昼飯も一緒に食べてくれなくなるし。
だから暇過ぎて、日がな一日昆やら槍やらを振り回して、こんな時間まで喉も乾くし、気も昂ぶって寝られない。
「畜生」

暗い寝台で最後に小声で口に出して、布団の上に起きあがる。
寝る時には下ろしている髪が、顔周りに落ちて邪魔で仕方がない。
額から大きく一度その髪を両手で掻き上げると、俺は寝屋を出た。

夏の初めの庭には、月見花が咲いている。
月の光を受けて、薄いその花弁が透ける。
そしてその横にもう一つ、月を見る花が咲いている。

透けるような横顔で、静かに咲いている。髪を静かに風に揺らして。

そして寝屋の外の廊下に出た俺に気付いて、横顔がゆっくりこっちに巡って来る。
それに遅れて、その目がついてくる。

「どうしたの、こんなに遅く」
どうしたのはこっちだよ、ヌナ。その囁き声は何なんだよ。
いつからそんなに声を顰めるようになったんだよ。
いつから一人で、花みたいに月を見るようになったんだよ。

何で教えてくれないんだよ。
ヌナの事なら何でも知ってると思ったのに、朝も昼も一緒だと思ってたのに。
飯も稽古も山遊びも木登りも、会った最初の日から一緒だったのに。
何なんだよ、なんで勝手に行くんだよ。 何で一人で行くんだよ。

俺は寝屋の上り框に置いた沓へ乱暴に足を突っ込み、大股でヌナへと寄ると、その腕を掴んだ。
「い、たい!」

その声を無視して、ヌナの腕を強引に引いて、母家から離れた裏庭へと、大股で歩いていく。
何なんだよ。
ヌナの手足は棒切れみたいで、踝なんて小石みたいで背だって俺よりずっとでかかっただろ。
なんでこんな頼りないくらい、柔らかくなってるんだよ。
なんで俺の肩に届かないくらい、小さくなってるんだよ。

月だけが、そんな俺たちを見ている。

 

裏庭には夏の初めのむせ返るような、濃い青葉の匂いがする。
「何なんだよ!」
思い切り押しつけた裏庭の木の幹に縫止められて、俺の押し殺した声に掴んだヌナの腕が震えた。
「何が」
「何なんだよヌナ、何でなんだよ。何であの女は、あんなにヌナに意地が悪いんだよ。
なんでヌナがあんな風に謝るんだよ。なんでヌナは俺と一緒にいないんだよ。
なんでヌナはこんな小さく柔らかくなったんだよ。何なんだよ、わかんないだろ」

干し柿を見せびらかされたあの頃と、何も変わらないくらい俺は餓鬼なのかもしれない。
こうしてヌナを責めながら、肚の中で地団太を踏んでいる。
木の上のヌナの足を掴んで、取り返したいのかもしれない。
いつだって偉そうに言ったよな。
欲しいならここまでおいでと言ったよな。

「来たよ」
俺はその細すぎる体を、自分の躰で幹に押さえつける。
俺の手を振り切ろうとする腕を頭の上に押さえつける。

「来いって言ったろ」
逃げようとする脚を押さえつけて、捻ろうとする腰を押さえつけて。
背けようとする顎を押さえつけて、閉じようとする唇を押さえつけて。
全部知らなかった、俺の知らないヌナがこんなにいた。
俺達もう十年も一緒にいたのに、項しか知らなかった。

ほんの少し力を入れただけで逃げられなくなるほどヌナが弱い存在だったなんて、知らなかったんだよ。
だったら早く大人になって、俺が守るから。待っててくれよ、押さえつけさせてくれよ。

伸びた俺の手がもっと知りたいとその襟の袷から忍び込むと、押さえつけたままのヌナの小さい体が全部震えた。
さっきまでと違う小さい震えに、力が一瞬抜ける。その瞬間、俺の頬は思いっきり音高く張られた。

い、てえ。

ヌナは月明かりの下で目を見開いて、そこに涙をいっぱい溜めていた。
「ヌナ」
「・・・大っ嫌い」
真っ直ぐな目でそう言って、俺を置いたままヌナは去っていった。
月明かりの中、月を見るあの花が、俺を見る事はなかった。

 

俺は迂達赤への入隊を希望した。ヌナの婚儀が執り行われるほんの少し前の事だ。
盛夏、父上の書斎の窓の外には蝉時雨が響いている。

「ようやく心を決めたのか」
「はい」
父上の前に正座して、俺は頷いた。
もういい。もういいんだ、俺はここにいなくて。
もう朝も昼も別々で、一緒に稽古も出来なくて。
俺の知らないヌナになって行くのを、見るのは辛い。
大嫌いと泣かれて、嫌われたまま傍にいるのは辛い。

そんな事情など露ほども知らない父上は、ようやく入隊に首を縦に振った俺を嬉しそうに見てくれた。
「すぐに話を通す。支度だけしておけ」
「はい」
これで良いんだ。

 

ヌナの婚儀に、俺は出なかった。
仕方ないよな、迂達赤の新兵だ。役目がある。鍛錬がある。

ぬるい迂達赤の、ぬるい日々が始まった。

近衛隊と聞いていたが、こんなものだったのか。
出来ると思えるのは副隊長と甲組組頭くらいのもんだ。
槍に至っては、俺に鍛錬をつけられるのもその二人しかいない。
人手が足りない時には、新入りの俺が鍛錬役に駆り出される始末だ。

ぬるすぎて、鍛錬しかやることがなかった。

朝から兵に鍛錬をつけ、終わればその後は自分の鍛錬だ。
槍を振るしか、やることがない。
あの頃一人になった時と変わらない。その度に思い出すのに。

ヌナが身籠ったと母上から文が届いたのは、迂達赤で最初の一年を終える直前のころだった。
その夜、俺は豪気に妓女を侍らせ、気付いた時には閨にいた。

窓の外には、白い月が出ていた。
月を見る、あの花が咲いていた。
でも横でしどけなく俺を誘う女は、月を見てはいなかった。
俺は寝台の上で、その体を強く抱き締めて、押さえつけた。

ああ、温かいんだな。
変わらないくらいに、小さくて、柔らかいんだな。

体を押さえつけても、脚は逃げようとしなかった。
だから俺は、自分の足をゆっくり絡ませた。
腰は逃れるためじゃなく、俺を誘う為に捻られた。
だから俺は、自分の体で其処に踏み行った。
その手は、俺の頬をひっぱたいたりはしなかった。
だから俺は、自分の指でそれを絡め取った。

だけどヌナを覚えている唇だけは、触れられなかった。

いい加減に一度くらいは顔を見せろと、母上が文を寄越しては怒るようになったのは、迂達赤に来て四年のころだった。
四年経った。もう十分だろうと、文を畳んで懐へ入れながら俺は笑った。

 

「ただ今帰りました」
そう言って久々の宅の玄関へ踏み入ると、見知らぬ子が座り込んだまま、俺を見上げて出迎えた。
「お前、誰だ」
俺がそう訊きながら首を傾げると同時に
「テギョン」
奥で、そんな声がした。
「テギョナ、どこに行ったの」

そう言いながら、奥からあの姿が出てきた。その小さい姿を見て、俺は微笑んだ。

会うまでは分からなかった。
今でも叫び出したいほど恋しいか。怒鳴りつけたいほど腹立たしいか。
どちらでもなかった事に、心からほっとする。そして俺は言った。

「ヌナ、ただいま」

 

 

 

 

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