2014-15 リクエスト | 藤浪・7

 

 

「聖上を頂点に、国を纏める。将軍ではいかん。何故か。
聖上は太古の昔、天から授かった現人神じゃ。しかし将軍は、誰かを犠牲に上がった方だからじゃ。
異国に屈する国にはせん。そんために心纏めんといかん。異国に国を売り渡そうとする幕府には、わしは協力出来ん。
やんだこの国に、眩しい朝がくるはずじゃ。わしらがこの足で立ち、この手で掴む、わしらの朝がな。
わしはそんあいたを呼び込む一番鶏になりたいんじゃ。途半ばでけつまぜるわけに行かんがよ。判ってくれるか」
「はい」

この人には敵わない。
そんな思いで、俺は頷いた。

俺が考えていたのは坂本龍馬、この人が主上に添うか添わぬか。
御意志に添わねば斬り捨てる。
主上の御御足の先に余分な石があってはならない。
御心を悩ませる者がいてはならない。ただそれだけだった。

国を纏めるため、民心を束ねる為に主上がいらっしゃるなど、考えたこともなかった。

「坂本さん」
「なんじゃ、瑩」
「俺は、主上の弟です」
「・・・・・・わやなこと言いなよ、瑩。聖上の弟宮さまは皆、早くに亡くなられちゅうて」

その声に懐から桐箱入りの小さな紙片と、続いて赤絹に包まれた守り刀を、最後に金色の茶巾筒を取り出す。
箱から出して紙を広げ、記された「瑩」の字を示す。
続いて赤絹を解き、その中に包まれた白木の柄の守り刀を絹の上へと載せて目の前に並べると、この人は黙したままそれらの品を凝視した。

最後にその目が金色の茶巾筒、そこに彫られた主上の御印へしっかりと動くのを確かめる。

「もうええちゃ。いや、ええと」
途端に口籠ったこの人に、俺は噴きだした。
「坂本さんらしくもない」

恐らく将軍家慶の逝去で落飾し、勝光院を名乗る姉小路が、今も血眼で探しているであろう二品。
花野井が何故か、幼い俺に幾度も
「持っていらっしゃいますか」
毎日毎夜そう訊いた、桐箱に納められた紙片と守り刀の二品。

この二品だけを懐に、黙って屋敷から出奔したあの夜。

追手より先に俺に追いついたのは、俺の剣の相手として幼いころより水戸屋敷で共に過ごした大望だった。
「花野井さまが、行けと」
それだけ言って、俺に従い守り、京へと入り。
山の中で二人隠れ住みながら、ただひたすらに剣の稽古をした。

そしてある日、大望が一人の賓客を連れてきた。
公卿大納言、橋本実麗を名乗ったその客は、庭先の土の上で俺へと平伏すると
「水戸藩江戸屋敷詰め花野井より、密書が届いております。御無礼乍ら、確かめさせて頂き品がございます」

その声に俺は花野井がいつも確かめていたあの二品を部屋の奥の行李より取り出して、そっと床へと滑らせた。
「これらですか」
公卿大納言は地の上をその二品へと進み、震える手に取った。

深く丸めた翁の背に、木漏れ日が当たっていた。
風がそよそよと庭を吹抜け葉を揺らすたび、木洩れ日は姿を変えながら、丸めた背を静かに照らし続けた。

誰も、一言も発さず。
吹く風で揺れる葉と、二品を確かめる公卿の手以外には動くものは何もなく。

そして次に公卿がその二品を桐箱に戻した時。

伏せた顔から大粒の水滴が地へ向かい滴り落ち、乾いた地面に大きな丸い染みを作った。

汗か。涙か。それともその両方か。

そのままの姿勢で公卿が振り絞るようにひと声唸った。

「胤宮様」

その三日後。俺は公卿に連れられ、深夜の禁門をくぐった。
禁門の衛士は、正二位大納言任参議の面を確かめると道を開け渡し、中へ通した。

「このような御無礼、本当に申し訳も御座いません」
その声に俺は首を振った。
「分かっています」
「瑩様」
「止めて下さい」
「御返しする言葉もございませぬ」
「大納言様」
「どうかお止め下さい」
「それ以外にお呼びできません」

伯父とはいえ、俺よりも三十以上も年長の方だ。
静かに声を交わしつつ、闇に紛れて御常御殿へと向かう。

既にすべての人払いがされていた御常御殿の間に控えると、程なくしてその静けさの中に、さやかな衣擦れの音がした。

かなり焦った足取りだ。
そう判じると同時に、その間の上座の廊下に面した襖戸が滑るように開く。

下座の大納言様が畳へと平伏する気配の中、俺も手をつくと頭を下げた。

そこに立ち上座より此方をじっと見る視線を感じつつ、静かに息をする。

「胤宮とか」

その声に、実感のないまま
「はい」
とだけお返しする。

その瞬間、上座より降りてきた足音に微かに目を瞠る。
主上が上座を降りるなど許されてはならぬ。
「お戻りください」
頭を下げたままで申し上げると、主上の足音が止まる。
「何」
「主上が上座を下りてはなりませぬ」

ふ、と笑う音だけが、静かな部屋の中に響く。
「ふ、ふ」
堪え切れぬのか、息切れのような音で主上が笑んでおられる。

近くまで寄った足音は、また静かに上座へ戻っていった。

「大納言、品をこちらへ持て」
その声にあの二品を納めた桐箱を出し、膝の横へ置く。
一礼の後それらを受けた大納言様がそれを取りあげ膝横に用意した盆へ載せると、上座へ運んでいった。

主上の前へと盆を滑らせ、再び俺の後ろへと戻る足音。
主上が上座でその箱を開ける音。取り上げ眺める気配。
息を呑む小さな音まで、この耳は全て拾い上げる。

「胤宮」

此度は、確認ではなく断言だ。
「はい」
「・・・よくぞ」
「主上」
「何だ」
「私はすでに死んだ身です」
「何を言うのか、胤宮」
「こうして永らえ、主上のお邪魔に」
「聞きとうない」

その声に、口を閉じる。

「永らえてくれただけで良い。宮の処遇は追って決めよう。朕の養子として戻れば良い。どこへも行かず此処に留まれ」
「なりませぬ」
「禁裏守護とて誰に任せるよりも、胤宮の方がどれ程にその信に足りる事か」
「必ずお側におりまする、けれど此処ではなく」
「そなたが居れば、幕府への睨みともなる」
「主上」
「さもなくばあの粗野な関東者どもが、宮にどう迫るか。どのような手を使うか。考えてみりゃれ」

その御声に首を振る。
「主上はどうか、正道をお進みください。滅したはずの者を再びお側に置くような事はなりません。
その正しき道を塞ぐ者共からは、私が必ずお守りいたします。それでお許し下さい」
「胤宮」
「お許し頂ければ大納言様のところへ懐刀を置きます。その者を通じ、お命じ下さい」
「信用に足る者か」
「どの者よりも」
「呼べば、必ず参るか」
「必ずや」

息を吐いた主上がその品々に加え、御袖口から取り出した何かを添える。
「大納言、これらを胤宮へ戻すが良い」

その声に再び、後ろで足音がする。
戻された盆上にはあの二品の収まった箱に加え、 金の茶巾筒がひとつ添えられていた。

「それをいつでも持つように。何かあれば、それに入れて大納言へ持たせよ。少しは人目に付きにくい」

特別に蓋のついた、その茶巾筒に記された主上の御印を、この指でそっとなぞる。
そんな俺に主上が静かにおっしゃった。
「胤宮、これへ」

その声に顔を上げる。
初めて正面から拝する主上のお顔が、ゆっくり頷いた。
「参れ」

そのお声に立ち上がり、主上の一段下の間まで進む。
「胤宮」
主上がその段の縁まで膝を進め、目の前で止まられた。
「許せよ」
僅かに震えた御声に
「こうしてお目に掛かれるだけで」
目を落とし、そう呟く。

大きな御手が膝を超え、段を超えて、こちらへ伸びた。
そして畳についたこの手を取りあげ、固く握り締めた。
「もう失わぬ。必ず守る」

その御声だけで良い。
それだけで良いと、俺は頷いた。

 

 

 

 

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