2014-15 リクエスト | 碧河・4

 

 

チャン・ビンが駆ってきた馬はそこで静かに主を待っていた。
駱駝に比べれば背も低く鞍も着け、飼い猫のように大人しい。

その優しい目を覗き込む。馬は長い睫毛の瞳を細め瞬きをする。
私はその鼻面を掌で数度撫でる。今よりお前の主を乗せる。頼んだぞ。

先にチャン・ビンを鞍へ乗せ、私はその後ろへと跨った。
「リディア殿、女人が後ろとは不安定です。それほど長い距離ではないとはいえ」
チャン・ビンが心配げに私のすぐ前で振り向き声をかける。私は首を振った。
「見てから言って下さい。大丈夫ですから」

 

鞍の前に乗せられて、驚いてリディア殿を振り返る。
女人にぴたりと背を守られたままで、馬に乗るとは。

背後のリディア殿を振り返ると、思ったよりもずっと近くにあの碧の目が見えた。
私の背から回った彼女の腕が、手綱を握っている。
女人が後ろとは不安定だ。そう伝えるが彼女は自信ありげに
「見てから言って下さい。大丈夫ですから」
と、首を振ってそれだけ答えた。

私たちの騎乗を確認し、隊長が馬を出す。
医仙の馬が続き、最後に私たちの跨る馬が出る。
彼女の言葉に嘘はなかった。
馬はまるで二人分の重さを載せていると思えぬほど、しっかりした足取りで、軽やかに歩を進める。
背後から彼女に抱かれた私の体は、鞍の上でも安定したままだ。

道の途中でリディア殿は馬を前に出すと、並んだ隊長に向かい問うた。
「このまま遅くては、この子が可哀想だ。もう少し速度を上げても構いませんか」
隊長は僅かに驚いたようにリディア殿を見、次に医仙へと目を向ける。
「医仙、行けますか」
そう問われた医仙のほうが寧ろ鞍上で不安定に見える。それでもようやく頷くと
「大丈夫。行こう」
どうにかそんな風にお答えになる。

リディア殿はそれに頷くと、後ろから回した手で馬の首筋を撫でた。
己の背に密着した細い体から無理な力みを感じないのに、馬は緩やかに速度を上げた。
「どうやって駆っているのですか」
鞍の上で首だけを横に振り向け、私は問うた。
「駆っているのでなく、この子が好きに走っているだけです。
二人も乗って無理させているのに、それ以上を強いては可哀想だ」

真後ろから、穏やかな目でリディア殿がそう言う。
その意味が掴み切れずに、私は僅かに首を捻る。
リディア殿はそんな私の様子に苦く笑うと
「私の国では馬や駱駝は家族です。自分の命に等しい。無理はさせぬし力で抑える事もしない。
一度跨れば、したいようにさせます。こちらは背に乗せてもらうのだから」

駆ける馬の背で、その言葉は静かに私の耳を揺らす。

 

皇宮へ入る大門の入口。
鞍から滑り降りた隊長は門を護る禁軍の兵に愛馬の手綱を預けると
「侍医の知人だ。来訪用の号牌をお渡ししろ」

最敬礼で迎える兵に向かいそう伝え、医仙が馬を降りるのに手を貸す。
そして降りた医仙の斜め後ろに付き、大股で門を潜り抜ける。

リディア殿が馬を滑り降り、続いて私も鞍より降りる。
そのリディア殿に兵より号牌が手渡される。
それを見て彼女が私を振り向く。私は頷くと先に立って歩き始めた。

典医寺の診察室へ戻ると、留守を任せた医官が
「皆さま、お戻りですか」
そう言って私と医仙を迎える。
「今日の患者は」
「今のところ、どなたもいらっしゃいません」
そこまで言って私の上衣の切れた袖と点在する血の跡に驚いたよう目を開く。

「先生、その上衣は」
「少々巻き込まれただけだ。暫く動かしにくい。その間は皆に手を借りるかもしれない」
私が言うと
「そんな事は全く構いませんが、お怪我ですか」
心配げな医官のその声に僅かに頷く。
「大したことはない。医仙がすぐに処置して下さった。部屋にいるので何かあれば呼ぶように」
「かしこまりました」

頷く医官に微笑むと、私はリディア殿を掌で示した。
「私のお客様でリディア殿、大食国の方だ。他の者にも伝えてくれ。くれぐれも失礼のないように」
「はい」
その声を後に私はリディア殿を連れ、医仙と隊長と共に自室へと向かう。
部屋への扉を開いて客人の三人を先に御通しし、最後に自身が入って扉を静かに閉める。

「さて、お疲れさまでした」
それぞれが卓の前の椅子へ腰掛けたことを確かめて自身も腰掛け頭を下げる。
「隊長」
リディア殿が静かに隊長を見遣り、そう声を掛けた。
隊長がその目を向けるのを確かめてから
「さっき私が乗せてもらった馬は、右足が悪い」

リディア殿の言葉に、隊長は僅かに眉根を寄せる。
「報告はない」
「ならば尚更、早く診てあげて下さい。右足が痛いと言っている」
「馬がか」
微かに愉快そうな隊長の声に当然の顔でリディア殿が頷いた。
「厩舎番に伝えよう」
隊長は顎で頷いた。
「で、帰りはどうする」
「歩いて帰ります」

リディア殿の声に、私たちは顔を見合わせた。
緩やかとはいえ山坂もある。歩けば三刻半はかかるだろう。
今から出ても碧瀾渡に到着する前には陽は沈む。
大食国から渡ったリディア殿が、路も知らずに暗い夜道を碧瀾渡まで到着できるかも怪しい。

「リディアさん、それは無茶だと思う」
日頃相当に無茶な事をしている医仙ですら、目の前のリディア殿を宥めにかかる。
「今から帰ったりしたら危ないわよ。ね、チャン先生」
その声と共にこちらを振り向く目に問い返すと、医仙は首を振りながら
「今晩一晩だけ、リディアさんを私の部屋に泊めちゃ駄目?」

その提案に、私と隊長は顔を見合わせる。如何にも人を疑わぬ医仙がおっしゃりそうな事だが。
何しろリディア殿は往来で刃物を振り回した方だ。
如何に高麗語が堪能とはいえその素性も知れず、また先程の男たちとの話の内容も判らない。

隊長も同様、首を振りながら
「医仙、それは」
その目が医仙を見つめ、冗談ではないと訴える。私どころではない。
隊長にしてみれば命より大切な方を訳の判らぬ者と共になど、絶対に置きたくないだろう。

リディア殿も首を振り、呆れたように医仙を眺める。
「医仙、お忘れですか。私はチャン侍医を斬った人間です。
女とはいえ知りもしない人間を自身の寝所になど、危険です」
自らそうおっしゃる始末だ。

「でも今から帰るのは絶対無理よ。女の子1人でなんて」
言い張る医仙に溜息を吐くと、リディア殿は窓の外を眺めた。
碧の目に午後の青空が映り込み、淡い緑に色を変えた。
そしてその目を戻して私をじっと見
「チャン先生にお詫びと、借りを返すために」
「そんな事は不要だと」

私が制止しようとする声が終わらぬうちに
「今宵一晩、厩の隅に宿を頂けませんか」

そのリディア殿の思わぬ申出に、私たち三人は今一度目を見交わした。

 

 

 

 

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