2014-15 リクエスト | 香雪蘭・15

 

 

いつもの寝室の扉の外から声を掛ける。
「キョンヒ様」
「どうぞ」

その返答に静かに扉を開ける。
寝台の上、背を起こし枕に凭れる姿に、真っ直ぐ目を当て頭を下げる。

「そんなに真剣な顔をして」
首を傾げるキョンヒ様へと歩み寄ると寝台の横に立ち、その姿へ語りかける。
「チュンソク、どうし」
「俺の方が先に死ぬでしょう」

前置きなく飛び出した声に
「何を言う」
キョンヒ様が、小さく叫ぶように声を上げる。
「そんなことを、わざわざ言いに来たのか!」
「ああ、今すぐではなく、そう言う意味ではなく」
俺は慌てて首を振った。

「それならそんな悲しいことを言うな」
その目に涙が浮かぶのを見て、ああと思う。
そうして考えるだけでも、泣かせてしまう。

それでも止まらぬものは、仕方ない。

「いつか、後悔なさるかもしれません」
「何を」
「俺でなく他の男を選べば良かったと」
「馬鹿だな、チュンソク」
そう言って泣き笑いするキョンヒ様は、確かに俺よりずっと大人だ。
「そんな事を思うくらいなら、四年も想い続けたりせぬ」
「そうですね」
そして俺は今、餓鬼のようにとても困った顔をしているはずだ。

「元気になられたら、木の下り方を教えて差し上げます」
「下り方?」
「そうです」
俺は頷いた。

「それは良いんだ」
キョンヒ様が、苦笑して首を振る。
「困ったら、チュンソクを呼ぶから」
「毎回ですか」
「そう、毎回。だから必ず来て、下ろしてくれるな?」
「分かりました」
「信じて待っているから」

大切な誰かが待っているというのは、こういう気持ちか。
「お約束します」
その人を待たせてはいけないと思うのは、こんな気持ちなのか。

こんな風に、気持ちは重なっていくのか。
それを知っていたキョンヒ様は俺より大人だ。
いい年をして知らなかった、俺は餓鬼だった。

「それでも分かって頂きたいのです。ここまでです。
キョンヒ様が翁主様の姫様である限り」
俺が告げると、キョンヒ様の瞳が揺れた。

「姫だから?」
「そうです」
結局俺は頷く。これだけは譲れない。

「妾が嫌いなわけではないな?」
「はい」
そうなのだ。おっしゃる通りだ。

「嫌いなのではありません。嫌いならば来ません。こうして日参し、飯を食べて頂こうと思いません。
気が付いたら木の枝の上の姿を、探したりしません。顔を洗って待っていろなどと言いません」

キョンヒ様が嬉しそうに頷く。そして次に、悲しそうに微笑む。
「それでも、やはり駄目なのだな。妾が翁主の娘だから。姫と呼ばれる限り、チュンソクは駄目なのだな」
「はい」

頷くのは、諦めてほしい訳だからではない。そんな身勝手な理由で頷くわけではない。
始めてしまえば、傷つくのはこの方だ。この方ばかり失うものが大きすぎる。

キョンヒ様の、白い両腕が伸ばされる。
その腕へ体を預けながら、柔らかい体を抱き締める。

「申し訳ありません」

これが最後の抱擁だとしても、悔いはない。

「どこまでも、優しい目だ」

腕の中でこの方が、そう呟く声を聞く。

この方を忘れない。いつでも思い出す。

会いに行きたい。声を聞きたい。
俺より子供で俺より大人だったこの方を枝の上に見つければ俺はこれからも、その下からいつでも言うだろう。

必ず受け止めるから、飛んでくださいと。

 

******

 

「医仙」
夜も更けて、とっくに油灯を灯す時間になってから。
キョンヒ様の部屋の外、寝室棟の机で診察記録をつけていた私は、あの人の声に驚いて顔を上げた。

「どうしたの」
珍しい呼び名にも驚いたけど、その大きな掌が押さえている扉から、頭からすっぽりトポを被った人影が入って来た時にはもっと驚いて、思わずそこをじっと見る。
被っていたトポを脱ぐと、その下から現れたのは王様のお顔だった。

「このような時間に済まぬ、医仙」
「いえ、それはいいんです」
「敬姫に会いに来たのだが」
「はい」
頷いて、急いで部屋の扉へと走る。
「キョンヒ様、起きていらっしゃいますか」
「どうぞ」

お返事を聞いて扉を開ける。開いた扉から王様が中へと進む。
その後ろからあの人と私が入る。

キョンヒ様は寝台の上で起きあがり、王様を見ると慌てて下りようとした。
そこへ寄った王様は
「敬姫、何をする。大人しくそこにおれ」
手を上げておっしゃって、キョンヒ様をお止めになった。
「王様」
寝台の横の椅子に腰を下ろされた王様は、静かに頷いて寝台の上のキョンヒ様を見る。
寝台の横に通された油灯が、キョンヒ様をご覧になる王様の優しい横顔を照らす。

「心配していた。来るのが遅くなったな。
もうだいぶ良いと、医仙からも大護軍からも報告を受けている。
きちんと召し上がって、眠れるようになったか」
「はい、王様のお陰です。ウンスが全て診てくれました。王様にどのように御礼をお伝えすれば良いか」
「礼など良い。寡人こそ、そなたに累が及ばぬようにと遠ざけ過ぎたことを悔いておる」

王様はそう言って、キョンヒ様を見つめた。
「王妃も来たがったのだ。そなたに会いたいと申しておった。
しかし判ってくれ。我らが不用意に近づき過ぎれば、そなたが面倒に巻き込まれる」
「存じております。ありがたいと思っております。王様」

キョンヒ様が、王様をまっすぐに見詰め返して言った。
「私が翁主の娘であることが問題なのです。
王様が世子様を授かられればすぐに収まるにせよ、私の存在がそれまで王様と王妃様の御心を痛めるのは嫌です。
そして何より、私の望みでもあるのです。どうか」

こんなにお若い姫とも思えないしっかりした声で、キョンヒ様がおっしゃった。
「どうか私を降格して下さい。奴婢で構いません。構いませんから、どうか」
「敬姫・・・!」
「敬姫様」
「キョンヒ様!」
突然の言葉に、思わず私たちも声が出る。

「何を言い出すのだ」
「最後の我儘です。叶えて下さればもうこの先、死ぬまで王様にご迷惑はかけぬと誓います。
静かに暮らします。皇宮にも二度と参りません。ですからどうか」

絹の布団に爪を立てて握り締め、体を揺らしながら言い募るキョンヒ様のお姿に、王様が息を呑んだ。
「敬姫」

キョンヒ様が涙をこぼして、寝台の上から王様に向かって頭を下げ続ける。

「お願いです。どうかお願いです。お願いです、王様」
「敬姫、そなたを降格する理などない。判っておろう」
「王様」
「何故突然降格などと」
「突然ではありません」
動揺した王様のお声に、キョンヒ様が烈しく首を振る。

「王家のお血筋は、もう王様と大叔父様しか残っていません。
私と誰が縁付こうが、王様の反対勢力の可能性があります。
私が降格すれば、野心を持った者が私と婚儀を上げて、王様を脅かそうなどという万一の企みもなくなります。
王様の座はより賢固な、安定したものになりましょう。
大叔父様も、既に国を去っていらっしゃるのですから。
何とぞご決断ください、王様。そして王様のためだけではなく、これこそ私の望みなのです。お分かりください」

王様の強張ったお背中の向こうで泣きながら頭を下げ続けるキョンヒ様の声を聞きながら、私はあなたと顔を見合わせた。

 

 

 

 

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