「明日、迎えに行く」
リビングの照明は仄暗く落とした淡いオレンジ色。
2人きりの静寂を破って、電話のベルが鳴る。
私は座っていたソファから立ち上げる。
鳴った電話に出ると、オッパは挨拶もそこそこにそう言った。
あの話し合いから3日目の夜。いつだってそう、オッパは待たせない。
いつだってスケジュールを管理し調整し、約束を守ってくれる。
「朝9時、早すぎるか?」
時計を見れば、まだ夜の8時過ぎ。
「全然問題ない。待ってる」
私がそういうと、電話の向こうでオッパは笑った。
「気が急いてるのは、二人とも一緒か」
「・・・うん」
「そうか」
電話口から聞こえる、オッパの溜息交じりの笑い声。
「オッパ」
「うん?」
「ありがとう」
「明日、終わってから聞くよ」
「分かった。その時は何万回でも言う」
「ああ、じゃ、おやすみ。チェさんによろしく」
「言っとく。おやすみなさい」
電話をスタンドに戻して、振り返る。
リビングのソファに座って、こっちを見ていたあなたに。
「ジェウォンオッパ。明日朝9時に、迎えに来るって」
私の声に、この人は曖昧に頷く。
「大丈夫でしたか、奴は」
何だかほんとに昔からの知り合いを、チャン先生を思いやるような声と複雑そうな表情に、私は頷く。
「うん、大丈夫だと思う」
「・・・そうですか」
あなたはそう言って大きく息を吐く。
私はソファに座るあなたのその横に腰掛けて、背中を撫でた。
ゆっくり、ゆっくり。気持ちが指から伝わるように。
肩から肩甲骨、背骨に沿って何度も撫でる。
固くなっていた背中がようやく緊張を解くようにゆっくり力を抜いた。
この方の指が俺の背を行き来する。
その指を一枚隔てた布切れがもどかしいと思い付き、強欲になったものだと苦く笑む。
ただこうして触れるだけで、それ以上をは望まぬと、あれほど思っていたというのに。
この方が俺の背に触れつつ、うふふと笑う。
「どうしました」
そう問うて笑みの出所を探れば
「あなたの肩甲骨、ほんとにしっかりしてる。
そこからついてる 広背筋も三角筋も、全部立派だなあって」
この方は天界語で何やらそう呟きながら、俺の背をふざけたようにくすぐった。
こそばゆさに身をよじれば、その指がもう一度背に留まる。
「この肩甲骨」
俺の肩後ろの、張り出たそこに指を這わせながら
「何て言うか、知ってる?」
考えたこともないその問いに、俺は首を傾げる。
「さあ」
「別名はね、天使の翼」
「翼」
言い得ての妙にああ、と笑む。大きく張り出たそこは確かに翼のようにも見える。
そして翼の如くよく動く。この方を腕の中に抱き締める時、そして護る時。
「俺は翼を得ました」
「ん?」
「あなたという翼を得た」
「・・・何だか、めちゃくちゃロマンティックな事言うのね」
そう言いながらこの方が頬を紅くし、嬉しげに笑う。
この翼を失わぬためなら、俺は何でもするだろう。
手始めに明日はまず、この方のご両親へのご挨拶だ。
「さて、じゃあ私は実家に電話するね。 明日の予定を伝えなきゃ」
その平静を装った声の裏。
隠しきれぬ緊張感を和らげようと、俺は小さな手を握り静かに頷いた。
******
「ウンスヤ!」
朝、オッパに家の前で拾ってもらってのドライブ。
車の中でこの人は私の隣に座って腕を組んだまま、じっと目を閉じていた。
オッパを待ってた3日間の間に買った黒いスーツに身を包んで。
こうして見ると、別の人みたい。
私のあなたは何よりもあの灰色の鎧と、藍色の着物が似合う。
早くまたあの姿が見たいな。
私は膝の上で、持ってきた大きな書類バッグを握り締めた。
「チェさん、緊張してますね」
運転席のオッパがバックミラー越しに、この人を見ながら静かに言った。
その声にあなたがゆっくり目を開ける。
「・・・ああ」
そう言って頷くこの人に、オッパがミラー越しに微笑みかける。
「きっとうまく行く。信じて下さい」
「・・・ああ」
その2人の声を聞きながら、やっぱり不思議な気持ちになる。
ジェウォンオッパがチャン先生の生まれ変わりって信じてるわけじゃない。
だけど2人が一緒にいる時の雰囲気はあの頃ととても似ていて、信じていない私ですら勘違いしてしまいそうになる。
ううん、この人の事を信じてる。私は多分信じたくないだけ。
あの時あんな風に失ったチャン先生をもう一度傷つける事が怖いだけ。
実家に近づいた懐かしい光景に、車の窓からじっと外を見る。
「見て」
そう言って、横のあなたに声を掛ける。
その声にあなたは目を開けて、車窓の外の風景に見入る。
「あなたの故郷ですか」
「うん、そうよ」
この人は窓の外、遠くの山を見ながら優しく目を細める。
「そうですか」
そう言って、静かに口を閉ざす。
馬のないこの馬車の座席に腰掛け、凄い早さで流れる窓外を眺める。
山並、その上の空、白く線を引く筋雲。
小さい頃のこの方を見たかった。侍医だけが知るその姿を。
それを口に出すことは許されぬと、口元を結び直す。
お前にもお前の領分がある。判っている。
お前の心の中の 幼き頃のこの方の姿は、お前だけのものだ。
そこまで土足で踏み込むことはせん。大切にして差し上げてくれ。
いつも思い出して差し上げてくれ。それを知らぬ己の分まで。
きっと大層可愛らしく利発で、おまけに生意気であったことだろう。
そう思いつき、心の中で笑む。
バックミラー越しの彼の様子を見る。
静かな様子に車酔いかと思ったが、そうではなさそうだ。
窓の外、遠くを見ながら穏やかな横顔を見せている。
父が元気だった頃。
こんなに舗装されていないこの道をドライブしてよく彼女の家に遊びに行った。
韓国にいる時間が短かったせいか、帰国するたびに一度は行っていた気がする。
あの頃は、近くの川に蛍もいたはずだ。
そんなに昔だとは思えないが、もう20年以上前か。
それでも今更思い出話はしない。
チェさんが入れない話を敢えて持ち出したくはない。
大切なのはいつであれ過去でなく、そこから先の未来だ。
そう思いながら俺は助手席に置いた書類の封筒を、今一度目で確認する。

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書類の内容が…
無性に気になる( ̄_ ̄ i)
ヨンのスーツ姿も気になる
ロマンティックなこと言えるヨンに
しびれる~!! (〃∇〃)
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さらんさまは、1人ひとりの心情を丁寧に描かれるので、とても共感しやすいです。
今回はジェウォン氏に共感しだすと、心が乱れてしまいそうですが…
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さらんさん、凄い長編になりましたね(笑)
すご~く読み応え有ります。
チャン侍医の生まれ変わりのオッパ、チャン侍医と同じく穏やかで、ウンス達の良き理解者ですね。
さ~、今晩両親は、すんなり納得してくれるんでしょうか?
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オッパの言う通り、上手くいってくれることを願います(。>д<)
そして、ウンスの実家でジャガイモを皆で食べて高麗に戻って欲しいです(/≧◇≦\)
それにしてもオッパ、どこまでイイ人なんだ~~~!!!
チャン侍医(オッパ)にも愛し愛される愛を…(ToT)
あ、でもウンスさんはダメぇ(。>д<)
今回の章も目がはなせませんp(^-^)q
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ご両親の所に。
チェヨンくん、黒いスーツ姿ですか。
格好いい!
ジュウォンが持っている書類が気になりますが。
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>くるくるしなもんさん
こんばんは❤コメありがとうございます
書類の中身は、フランスからのメールでした。
ヨンのスーツ姿は鉄板の恰好良さと思われますw
ヨンの場合ロマンティックとも思っていないのでしょうね。
無意識で言うからロマンティックなのですが( ´艸`)
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>トマトさん
こんばんは❤コメありがとうございます
教官して頂けると嬉しいです❤
ただこの書き方は異常に時間がかかり、話が進まないのがネックです(゚ー゚;
サクサク進めるなら視点を固定すると楽なのですが・・・なかなか難しいです
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>かよさん
こんばんは❤コメありがとうございます
もうリク話に置いては、二度とこの書き方はせぬと心に決めました(ノ_-。)
本気でキリがないです・・・
とりあえず、オッパの捨て身の説得で納得はしてくれたようですが。
帰るまで、気は抜けなそうです・・・
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>まりあさん
こんばんは❤コメありがとうございます
ありましたね、こっちの世界にはカムジャがないの、
アッパのカムジャが食べたい・・・
あのプロジェクターを見つつ涙の告白。
私もあれを思いだし、カムジャやらチムやら、カルチやら
いろいろ食べさせる予定です❤(食べブログか!)
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>ポチッとなさん
こんばんは❤コメありがとうございます
書類はもう種明かしされましたが、国境なき医師団への
加入申し込みの書類でした。
飛び立つのでしょう、自分の力を存分に発揮できる場所、
そして自分を求める人のいる場所に。
それがチャン先生ですから・・・