病室の中へ飛び込むと、部屋の中にいた侍医と華侘が振り返る。
目覚めの歓喜に沸いていると思っていた室内は、異様なほど静まり返っている。
入口での手洗いも早々に、寝台の枕許に駆ける。
寝台の上、鳶色の瞳は大きく開き、駆けつけた俺達に視線が移る。
最初に無言でソンジンを見た瞳は、次に俺へ流れる。
その瞳を真直ぐ見つめ返し、俺は頷く。
あの唇が震えながら笑みの形に開かれ、何より聞きたかった声が零れる。
「ヨンア・・・?」
細い腕が寝台から真直ぐ俺に伸ばされる。
「ヨンア」
その腕に導かれ、寝台の縁へ寄り、床に膝をつく。
膝をつくと、細い腕は俺に巻きついてくる。
優しく回された腕をそのままに、俺は横たわったお前に抱かれ、お前へと体を倒し、その髪へ鼻先を埋める。
力の限り抱き返さぬよう、横たわるお前を押し潰さぬよう、寝台の上の肘で己を支える。
「ヨンア、大丈夫?怪我は?どこも痛くない?」
横になったままそう言いながらお前は腕を解き、俺の頬に手を当て眸を覗き込み、頸へ、手首へ指を這わせる。
「ご飯食べた?きちんと寝てた?」
頷いた俺を見て、その瞳が笑みながら怒る。
「嘘つき」
そう言ってこの指先を、あの細い指が握る。
「すぐばれるのに」
再び伸ばされたその腕に抱かれ、息を吐く。
「ウンスヤ」
息と共にこの口から洩れた名にお前が頷く。
頷いた拍子に揺れるその髪が、鼻先を擽る。
次の瞬間、腕の中でお前が俺に目を当てる。
そして俺に向け、縋るよう囁いて懇願する。
「1人にしないで」
俺は首を振る。
「絶対にせぬ、しかしまず華侘と侍医に診察を」
お前はその声に、不思議そうに呟いた。
「華侘?」
俺は華侘を掌で示し頷いた。
「ああ、お前の為に来て下さった」
お前は俺の掌の先を見る。示した華侘がゆっくり頭を下げ
「久しぶりだね、ウンス」
と穏やかな声で告げる。
その時、腕の中の細い肩が少し強張る。
華侘の声に僅かに躰を引き、胸へ寄る。
回されていた細い腕に僅かに力が篭る。
瞳が困惑の色を浮かべ、眸を覗き込む。
様子がおかしい。
「・・・ウンスヤ。侍医は、何処にいる」
その問いに、お前は部屋へ視線を投げる。
華侘を見、ソンジンを見、俺を呼びに来たテマンを見、そして確かに侍医を見て、再び俺に目を戻す。
「ヨンア・・・」
その戸惑った囁き声に、俺は息を呑む。
「ウンスヤ、あれは誰だ」
俺が指差した先のテマンが一歩出てお前に頭を下げ、寝台から顔が見やすいよう腰をかがめる。
お前はテマンに目を当て、じっとその姿を見つめ、暫くして首を振る。
「ヨンア・・・」
「心配するな。俺は此処だ。此処にいる。あれはテマンだ」
「テマン・・・」
俺の声を繰り返すお前に、侍医と華侘が息を呑む。
「チャン先生」
華侘が静かに侍医を呼び、二人は部屋の隅へ動く。
「術後せん妄」
華侘の言葉を繰り返し、私は目を見開く。
「大腸を含む腸、また胃癌手術をした際、75歳以上の患者の25%・・・4人に一人以上の患者に見られる、一時的な意識障害や認知能力の低下です。
高齢者の術後の後遺症として最も可能性が高い。感情障害や運動機能障害、特徴的な随伴症状として、睡眠や覚醒障害がある。昼夜の逆転、一時的な不眠」
華侘の声に私は頷き、それを確かめた華侘は言葉を続ける。
「しかし数時間から数日で、ほぼ変調する。ほとんどは長くとも三日程度で収まります。
薬の影響や長時間の半覚醒睡眠が理由だったり、今回なら急な襲撃が理由で、恐怖から発症している事も考えられる。
ただ若年層に現れるのは非常に稀なので、想定しなかった」
言われるほどに当て嵌まる気がする。
私は振り返り、大護軍の腕に縋る医仙の小さな姿を見遣る。
大護軍の事だけを覚えていらして、本当に良かった。
「では、特に治療の方法はないのですね」
私の問いかけに華侘は頷く。
「そうです。恐怖感を取り除き、朝起きて夜眠る習慣を崩さぬ事。
日に当たるのも良いでしょう。体内時計が整います。その為窓は開けておく。
本人が不安にならぬよう、チェ・ヨン殿についていて頂きましょう。
三日間は様子を見ます」
その言葉に、私は黙って頷いた。
何てことだ。
目の前の二人の姿に息を吐く。
あいつの名を呼びながら腕に縋り、目を開いて部屋の中の俺達を、まるで知らぬ者のように見る。
先生を知らぬとの素振りの時は、呼び名が違うからかと微かな希望を抱いたが、そうではない。
お前は忘れている。先生のことも、恐らく俺の事も。
チェ・ヨン以外の人間など、後にも先にもお前の世界には存在すらせぬかのように。
あの男の名だけを呼んで身を寄せ、その時だけ安心できるかのよう深く息をして笑う。
そしてその指で、あの男のどこかに触れている。その頬、腕、指先、上衣の袖。
離せば途に迷うと、怖がるかのように。
俺は固く目を閉じる。
******
「ヨンア」
聞こえる声に眸を合わせ微笑んで頷くと、お前は腕の中、安堵に瞳を閉じる。
病室の寝台は、国境兵らの助けで二つ並べられた。
窓からの月明りが、睫毛を伏せたお前の上に降る。
いつもよりなお白い頬を、俺の指がそっと撫でる。
侍医は兵らが寝台を並べる間、部屋隅へ俺を呼んだ。
「術後せん妄」
侍医の伝える慣れぬ言葉を聞きながら、横を華侘とソンジンに守られた寝台の小さな寝姿を見遣る。
「ええ、三日間は様子を見ると、華侘が。まずは夜眠り朝起きる、これを崩さぬ事。
日に当たることも良いようです。そしてご本人の不安や恐怖を取り除くのが肝要と。
今あの方が判るのは大護軍だけですから、お忙しいでしょうが、出来る限り傍にいて差し上げて下さい」
俺は侍医に頷く。
「判った」
「容体自体は落ち着いていらっしゃいます。発熱もありませんから、刺激せぬため出来る限り病室への出入りを控え、まずは明日一日様子を拝見します。
ただその分、大護軍の御手を借ります。大丈夫ですか」
「無論だ。テマナ」
俺の呼び声に、テマンが横へ控える。
「はい」
「この事態だ。何かあれば此処へ走れと、トクマニと国境隊長に伝えろ。
お前もなるべく部屋近くに控えていてくれ。但し目立つな、あの方が思い出すまで」
「はい」
そう言って一礼し、奴は部屋を飛び出していく。
「体は多少動かしても問題ないのか」
俺の問いに侍医が頷く。
「むしろ動かした方が良いそうです。同じ姿勢を続けると、臓腑に負担がかかるとのこと。
ご本人が辛くない限り、ただし無理せぬように。私は奥の間にいます。いつでも声を掛けて下さい」
「判った」
話を終えた侍医は、最後に様子を確かめに寝台へ寄る。
あの鳶色の瞳が侍医越しに此方へと投げられる。
俺は侍医より一歩下がり、その瞳を見て頷く。
大丈夫だ、俺は此処にいる。
それを見て安心したように、お前の瞳が三日月に笑む。
全ての者が部屋より出でた後、最後に華侘が
「無理はさせずに、好きにゆっくりと。眠れぬなら無理に寝かせる事もない。
但しなるべく休むようにはしてください。こうした看護では、本人よりも周囲に負担がかかる。
ご自身が無理をしないように」
そう言って俺の肩に手を置き、頭を下げると
「では明朝、診察に参ります。何か変調があればいつでも声を」
頷く俺を確かめて、ソンジンと共に静かに部屋を出た。
奴は目覚めたウンスがこの名を呼んで以来、一度も此方を見ぬ。
あれほど望んだウンスのことすら、碌に見る事もない。
奴は最後に並んだ二台の寝台から、そしてウンスからはっきり目を背ける。
そして華侘の後ろを護り、無言のまま部屋を出ていった。

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ウンスの目覚めた姿がヨンとソンジンにとっては良かったのだと信じます。
ヨンだけは絶対に忘れない。ウンスはヨンしか求めていない。
残酷かもしれませんがソンジンにとってわかってしまったこと。いくら願っても叶えられないことなのだと。
ソンジン…仕方がないよ。可哀想だけど…でも仕方がないのですよね。
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めざめた~ 眠り姫
先ずは よかった。
あら~ ヨンにとっては
ウンスの反応は 至極当然で
自分だけでも 覚えていたことに
喜んでたり…( ´艸`)
ソンジン…さっきまでの勢いが…
譫妄 そう言われてしまえば
どうにもできない ウンスに詰め寄ることも
できず 歯痒いでしょうね~
なんだか かわいそうです。
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ソンジンは可哀想かもしれないけど、ウンスがヨンのことをヨンへの想いを覚えていてよかったー!
朝からよいものを読ませていただきました。
今日も一日仕事と家事頑張れそうです。
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ソンジン撃沈!!って感じでしょうか?☆⌒(>。≪)
いえいえ、わたくしはチェヨン一筋ですので構わないのですが、もしかして夢の中でいろいろ察して、現実逃避しちゃったのかな~~?
本当、ウンスにとっては面倒くさい状況ですよね(>_<)
でも、いいなぁ~ ヨンがずーっと一緒で***(///∇///)
夜が楽しみです♪ ありがとうございました!
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ああ・・・なんてこと。。
まさかの展開に戸惑いつつもワクワクしてます。
次はどうなるの? ウンスは? そしてあの男は・・・?
目が離せない~!!!
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目覚めたのは良かったですが、ソンジンには、ひどく残酷な出会い方になってしまいましたね。
仕方がないけど、可哀そうで…
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こんにちは^^ ウンスが ヨンの事がわかり 名を呼んでくれて良かったです。これで ソンジンも二人の絆の強さがわかったでしょう。 ソンジンを必要とする 女人もどこかにいますよね♪
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ソンジンは可哀相だけど、ヨンを覚えていて、呼んで縋って。ヨンは心から良かったと思っているはず。取りあえずだけど、ホットしました。
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さらんさん、今朝もステキなお話をありがとうございます。
お昼休みが待ち通しく、12時になるやいなや慌ててスマホをチェックしました。
おおっ! そういう展開になったのか! さすが
ひゃあ、さらんさん、医学系のお仕事でもしてらっしゃるの?と目を丸くするくらい、説得力のある描写に拍手喝采です。
「ソンジンがかわいそう」と思われる方もたくさんおられるでしょうけれど、私としては「ああ~良かった~」と安堵しましたよ。
せん妄が解けるまでは、ヨンだけを見つめ、ヨンだけを頼りにするウンスなのですね…。
ウンスの状態としては心配だし心細いかもしれませんが、しばし二人きりの時間を見ていたいような気もします。
追伸
さらんさん、先日はお忙しい中を心あたたまるコメント返信、ありがとうございました。
すごくすごく嬉しかったです。
無事に帰国しましたが、やはり日本は寒いですね。
特に朝晩冷えますので、さらんさんも暖かくしてお過ごしくださいね。
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ウンスが目覚めて良かったと安心していたら、記憶が…
ヨンのことを覚えていたのでホッとしましたが、ソンジンの気持ちを考えると複雑な心境です。
数日で戻るといいのだけど、続きが気になります。
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さらん 様
連日の更新お疲れ様です。
寒波が到来して日々冷え込む中、毎日お話を
届けて下さり、ありがとうございます。
でも・・・
そうですか。゚(T^T)゚。
・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。
報われない愛って読んでいてもちょっぴり辛いですね。
遠くからそっと見守り、必要な時は一番に手を差し伸べる。
でもその大事な人は違う人の手を取ってしまうんですね。
ソンジン~~~
ジフに見えてきた(;´▽`A“
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いや~まさか、こうなるとは!!
このお話もまたいいお話ですね~
ソンジンがここに居ては、ヨンが…
になるのかしら⁇
う~ん、気になりますぅ(≧∇≦)
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さらんさん、こう来ましたか。。
予想外の展開にドキドキしてます。
ソンジン、切ないなー。
endingが楽しみです。
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腸って脳の次に身体を管理していると聞いたことがあります。
ウンス、チェ・ヨンの事を忘れていなくて良かった!
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>あみいさん
おはようございます❤コメありがとうございます
もうしかたがないんです。
仕方がないんですが。
此度はヨンside ソンジンsideと、書き手側も
いろいろ悩みました。
今朝のお話も、本来は2話分割でしたが
二人の内容として、一気に超長い1話としてUPです。
うーん、です・・・
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>くるくるしなもんさん
おはようございます❤コメありがとうございます
誰も悪いわけではなく、しかし、と言ったところです。
今回は、最後で本当に気力体力、使い果たしました。
まずはendingまで、お楽しみ頂ければと願います・・・
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>あっこさん
おはようございます❤コメありがとうございます
良いもの、と思って頂けたら嬉しいです。
家事お仕事、頑張って下さい❤
私も頑張りますo(^▽^)o
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>mimiさん
おはようございます❤コメありがとうございます
これがソンジンの怖いところです。
ただ撃沈はしません。何しろ、前世なので。
本気で誰かを恋う時の、諦めどころはどこかなーと
これを書きつつ真剣に考えました。
難しいです。
まずはendingまで、お楽しみ頂ければと願います・・・
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>★sachi★さん
おはようございます❤コメありがとうございます
うーん、難しいですね。
今までは二人で空回りで良かったですが、
キーパーソンであるウンスが覚醒した以上
ソンジンは、乞わずにはいられません。
まずはendingまで、読んで頂ければ嬉しいです。
SECRET: 0
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>あいちゃんさん
おはようございます❤コメありがとうございます
私もここからは書いていて、胸の痛い場面ばかりです。
まあ、それなら辞めろと言う話ですが・・・σ(^_^;)
結構なきつさです。
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>キハさん
おはようございます❤コメありがとうございます
居るんです、もちろん、ソンジンにとっての運命は。
ヨンにとってのウンスのように。
でも、それに気付くには、今のソンジンでは無理です・・・
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>ツマ吉さん
おはようございます❤コメありがとうございます
ヨンは、今は大喜びでしょう。
自分だけを見、自分だけに縋り、自分だけを頼る
そんな戻って来たウンスを見て、有頂天でしょう。
そしてお話はendingに向かいます。
まずは読んで頂ければと思います・・・
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>muuさん
おはようございます❤コメありがとうございます
信義二次を書くと決めた時、医療と基本的な歴史、
あとバトルシーンだけは、絶対手を抜くまい、と
心して始めたので
うちの初代7・そして今のうぃんぱち君には
韓医学だの気功だの経路点穴だの脈診だの生薬だの
精神病質だの傷寒論だのアーユルヴェーダだの好転反応だの
えらいコアネタが、たっぷり格納してますw
映画のバトルシーンをキャラ名なしで書き起こした原稿もぎっしり。
これを万一ハッキングされて情報抜かれても
私の個人特定の前に、廃人特定されますきっとw
muuさまも、お疲れだと思います。
無理はされずに、お仕事ふぁいてぃんですo(^▽^)o
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>まろんさん
おはようございます❤コメありがとうございます
もうお話はendingに向かっているのですが
そして数日で戻るのですが・・・
でもやはり、ソンジンだけでなくヨンも、
そしてウンスも、皆が無事では済まないようです。
皆傷ついています。仕方ないですが。
まずは最後までお読み頂ければ、と願います…
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>mamachanさん
おはようございます❤コメありがとうございます
さすがに若いソンジンに、そこまでの見守る愛、
チャン先生のような懐の広い愛は無理でした。
それもまた、一つの愛し方。
こればかりは仕方ありません・・・
最後まで暫しお付き合い頂ければ嬉しいです。
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>ルカさん
おはようございます❤コメありがとうございます
まずそもそも、同じ時空に存在するはずのない二人です。
存在すれば、無事では済みません。
けれどどちらに何があっても、歴史が変わります。
まずはendingまで暫し、お付き合い頂ければと願います・・・
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PASS:
>kacotanさん
おはようございます❤コメありがとうございます
今回のendingは、ちょっとうーん、かもしれません。
今まであまり書かなかったパターンというか。
お付き合い頂ければ、と思います・・・
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>海月さん
おはようございます❤コメありがとうございます
腸はいろいろ大変らしいですね、私も今回やって初めて気が付きました
(いえ、やったのはウンスですが)
忘れていなくて良かったのかどうなのか、というところです・・・(゚ー゚;