2014-15 リクエスト | 蓮華・7

 

 

天幕は透ける明の陽の中、白い光に満ちている。
腕の中に眠るこの方の全てを、その光が照らす。
髪も、頬も、睫毛も、俺の胸に乗せたその手も、爪も。

出ねばならん。戦場へ。この方を置いて。

待っていろ、すぐに戻る。

胸の上の小さな手を握り、俺は静かに寝台から滑り出た。
最後に振り返りじっと見つめた白く小さな横顔の、閉じられたままの睫毛が細かく震えた。

・・・そうか。

 

手を当てたこの人の胸が静かに上下している。その深い息を感じながら、私は目を閉じる。
開けてしまって目が合えば、絶対余計な事を言う。
この人の心が揺れる事を言ってしまう。だから、目を閉じたままで寝たふりをする。

あの優しい大きな掌が、私の手をぎゅっと握る。
行かないで。ううん、行って。 そして、早く帰って来て。

待ってるね。
心の中でそう言うとあの人の黒い瞳を横顔に感じたまま、零れそうな涙を目の奥に押し込むみたいに、私は少しだけ固く目を閉じ直した。

 

ようやく地平線から顔を出した陽に照らされ、全ての世界が新しく始まる朝。
その陽の中に立つだけで、心の中が白く洗われていくようだ。

敵を斬るだろう、今日も。そして血に塗れた手で戻るだろう。
それでも赦し笑って迎える、この命より大切な方が待つ限り。

そして翌朝こうして清められ、また俺は立つ。
あの笑顔が迎えてくれる限り、先には逝かぬ。

牽かれた愛馬の鐙に足をかけ、鞍の上へと軽く上がると馬上から居並ぶ兵を見る。
朝此処で確かめる奴らの顔を、夕に一つも失わぬように。

振り返り、あの丸太木の塀の向こうを考える。
外に並ぶ細やかな家々の中に在る小さな灯を、その語らいを一つも壊さぬように。

澄んだ朝の空気を、胸一杯に深く吸う。
目を閉じ、その空気を体の隅々へ回す。
そして静かに目を開け、一気に吐く。

「出立!!」
その号令と共に。

 

テントの入り口、横をテマンに守ってもらいながら、私はそこからあの人の姿を見る。
行って。そして早く帰って来て。 ただそれだけを祈りながら。
あの開かれた大門から最後の一人が出て行って、そして軋みながら閉められて。
バタン。
その音を確かめて大きな太い横木の閂を押す音を聞いた後、典医寺のテントに向かって私は歩き始めた。

 

******

 

みんな戦に出ている昼は、やることは少ない。
私は典医寺のテント裏でミンさんを頭に、薬員の皆と薬を煎じながらおしゃべりしていた。
ベンチ代わりにそこにある、大きな石に腰を下ろして。

その時テントの表、大門の方から慌ただしい大きな叫び声がテントに向かって近づいてくる。
「どういう事だ!!!」「道を開けろ、開けてくれ」
「早く運べ!!運び込め!!」「何があった!」
「どうしてこんな!!」「まずは治療だ、急げ」
急患だ。
離れても聞こえる怒号が飛び交う中を、私たちは急いでテント横から表へ向かって飛び出した。

こっちに進む戸板に乗った体の、太腿辺りが血に染まる姿。
顔色を見ようと覗き込み、私は大きく息を呑んだ。

この人は昨日の夜、あんなに元気だった。
笑ってテントから出て行った。
「・・・アン・ジェ隊長さん!」
押さえようとした口から、悲鳴のような小さい声が漏れる。

私はテントの中へ駆け戻る。
「楠を焚いて。麻佛散、猪蹄湯、抗生物質、お湯。布。急いで!」
私の単語の羅列の声と同時に、医員や薬員が一斉に動き出す。

戸板の上、血に染まっていたのは左太腿。失血程度は分からない。
戸板から垂れるほどには出血していなかった。
落ち着いて、落ち着いて。深呼吸をして髪を持ち上げ、ぎゅっと縛る。
大丈夫。出来る。皆がいる。
テントの入り口幕を上げ、血に塗れた体を載せた戸板が運び込まれる。
運んでいた8人の兵たちは、みんな強張った顔をしている。
どの顔にもどの腕どの指先どの鎧にも、血液が点々と飛んでいる。

それでも本人たちには負傷がなさそうだと見て取り
「ここに移して!」
診察台を指差すと、彼らは戸板を診察台の横につける。
「移動します!」
私はアン・ジェ隊長の下に敷いてた血液でぐっしょり濡れた敷物の頭の位置を持つ。
他の医官と薬員のみんなが、周囲で敷物のそれぞれの端を持つ。
「3で移動。いち、に、さん!」

アン・ジェ隊長の体が、敷物ごと診察台に移る。
周囲にすべての蝋燭と油灯がありったけ集まる。
まだ昼の空からの日差しで、テント幕は白く明るい。
「状況は」
私が戸板を運んできた兵に確認すると
「じ、自分を庇おうと、隊長が斬られて」
戸板の先頭を持って運んできた若い兵が真っ青な顔をして、私に向かって叫ぶ。
「どれくらい前?」
「ほんの少し前です。四半刻も立っていません。怪我をしてすぐに運びました!」
「怪我をした場所で、もっと出血している事はない?」
「いえ、大護軍がすぐに運べと」

ということは、この戸板の上での出血がほとんど。
敷物の重さからの予想出血量は、800ミリから1リットル程度。
このアン・ジェ隊長の体格から恐らく体重75㎏前後、血液量は約5.6リットル。1/3の1.9リットルが失血すれば危ない。

残りは1リットル。止血が第一。
「鎧を脱がせる。みんなそこの器の中で手を洗って」
入り口近くに用意した猪蹄湯を張った器を真っ直ぐ指差し、その場のみんなに言う。
彼らは一目散にそこへ向かい、器の中に手を突っ込む。
「手首まで、爪の間も。終わったら横の紙で手を拭いて。紙は床に捨てていいわ」
そうして手を洗ってきた彼らは、アン・ジェ隊長の鎧を手早く脱がして行く。
着物姿になったところで私は術用ハサミで、アン・ジェ隊長の上衣もそして下袴も、パジも切り裂く。

意識喪失。反応はない。左太腿。傷はそれほど深くない。
外腿から内腿にかけて斜め下に向かう創部。大腿動脈には掛かっていない。
掛かっていればこんな1リットルくらいの出血で済まない。
ただの血塗れの布きれになった着物を引き出した薬員が、そのままそれを丸めて部屋の隅へ置く。

その裸の体の上半身から右足までに白布を掛ける。
道具箱から、サージカルテレスコープを取り出して着ける。
「フックお願い」
薬員がその声に反応し、フックを持って創部を開く。

内部を確認し、大腿直筋で止まった傷跡を見て安心する。
浅くて良かった。こんなに動脈が集まるところを斬られて、アン・ジェ隊長は運が良い。
ただ傷口は長い。斜めに長い。
多分刀で斬られた傷、真直創部で良かった。裂傷なら大変。

状況を確認し、その場の兵の皆を見渡す。
「これから隊長の手術をします。体を縫うの。体の中も外もね。だから皆は表で待ってて」
そう言いながら脇の猪蹄湯の器に手を突っ込む。
十分擦り洗いした後に紙で手を拭き床に捨てて振り向くと、そこで立ち尽くしたままの彼らは、一斉に私に頭を下げた。

「隊長を」

私は泣きそうに歪んだそれぞれの顔を見て、最後に笑って頷いた。
「大丈夫。信じて待ってて」
その顔を見て、彼らは黙って頷いて、テントを出て行った。
「止血から行きます。鍼を焼いて」
「はい」
焼いた鍼が渡される。出血している分枝血管を丁寧に焼いていく。
少し太めの部分は縫って止血し、大腿直筋の縫合に入る。

血管からの出血はもう収まっている。
良かった。それ程深刻なリハビリが必要な傷には見えない。
それでもこの人は兵士。ましてあの人の大切な友達。
そして戦場ではきっと大切なパートナーの1人だろう。
早い回復、そして後遺症がなるべく残らないように。
完全断裂じゃない。
手術後は抗生物質とは別に、炎症を抑制する薬湯にテーピング固定。徒手療法、運動療法。
「片仔廣の用意、お願いします」
薬員が頷き、足早にテント裏へと向かう。

術後リハビリは、キム先生にも相談だわ。そう思いながら大腿直筋の縫合を終える。

そのまま皮膚の縫合に入る。ここからが長い。表面が引き攣れればリハビリの阻害になる。
まして可動の大きい大腿部を斜めに横切る傷。よく考えて縫わなきゃいけない。
頑張れ、隊長。頑張れ、私。もうひと息。
ここで気を抜いちゃ駄目。最後までベストを尽くして。

気付けばテントの白かった幕は、淡い黄色に染まってる。
外はきっと、もうすぐ綺麗な夕焼け。
点る灯が増やされて、術部の視野は十分まだ確保できる。
「カット」
出来る限り手早く正確に。
「カット」

最後の一針を縫い上げ、隣のミンさんがカットしてくれた。
思わず深く息をして、私はミンさんの顔をふり仰ぐ。
「お疲れさまでした、ミンさん」
「お疲れさまでした、ウンス殿」

テントの外は群青色。もう今日の夕焼けは終わってた。
消毒を終えた創部に、止血剤を染みこませた布を当てる。
そのうえから丁寧に包帯を巻いていく。
「3日間は片仔廣を、朝と夜にお願いします」
「分かりました」

その声に頭を下げて最後に手を丁寧に洗い、テントの入り口から表へ出る。

 

 


 

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