2014-15 リクエスト ｜ 蓮華・6

「これはまた･･･」

天幕に踏み込んだアン・ジェが椅子に腰掛けたこの方に目を当て、驚いたように言った後、声を失い黙り込む。

「だから黙っていたのか、迂達赤隊長」
「･･･そうです」

既に椅子に腰掛けていたチュンソクとアン・ジェの間、何やら意味深長な言葉が交わされる。
それを聞きながら二人を見比べ口を開く。
「とにかく、こうなった以上」
その声に姿勢を正したチュンソク。椅子に腰掛けたアン・ジェ。
二人の目が此方へ当てられる。

「隠して置けるうちこの方を帰す。
後はお前らに問責が飛び火せぬよう、どうにかする」
「大護軍」
「俺達の事は良い、チェ・ヨン」
「そうはいかん」
二人の声に、俺は首を振った。
「皇宮の重臣たちの耳に入れば、必ずや何かしらの責を問われる。
そうなったらお前らは余計な事を言うな。
兵たちはこの方の正体までは知らん。知らんものは言えん。
奴らに咎が行くことはない。
ただ女人が陣に入っていた事は既に兵の間で噂になっておろう。
そこまで隠せるとは思えん」

先を見越して言う声に、論破できぬ二人が押し黙る。
「少なくとも、迂達赤で口を割る奴はおりません」
チュンソクが俺を見遣る。
「人数が少ない。箝口令も容易いです。しかし鷹揚隊は」

そのチュンソクの言葉に俺は頷く。
「確かにな、絶対数が違う」
アン・ジェも微かに首を捻る。
「確かに。俺も信じてはいるが、上官ではなく一般の兵までは意思統一は難しいかもしれん。此度の戦の頭数だけでも五百近い」
「ああ」

下手なその場凌ぎより、アン・ジェの正直な物言いの方が余程信用できるというものだ。
「まずやってはみるが。あまり期待するな、チェ・ヨン」
「無理はするな。まずは戦勝が一番の目的だ」
「判ってるさ」
椅子の上、ゆったり腕を組んで頷くアン・ジェを見遣る。
「明日も早い。呼び立てて済まなかった。もう休め」
席を立つと奴らも続き、俺とこの方とを交互に見遣る。
「チェ・ヨン」
「何だ」
互いに椅子を立ったところで、アン・ジェの視線を受ける。
「お前、寝られるのか」
からかうようにこの方に視線を投げた後、もう一度此方を見る意味ありげな視線にうんざりと首を振る。
「馬鹿な事を聞くな」
「まあ、惚れた女の横でぐうすか眠れるお前の方が問題だ」
喉の奥で笑うアン・ジェに
「寝も喰いもする、黙れ」
「ああそうか、勝手にしろ」
そう言って笑いながら、アン・ジェが歩き出す。

「明日にでも兵達に話してみよう」
そのアン・ジェに頷くと、奴は最後にこの方に軽く頭を下げ天幕外へと出て行った。
残ったチュンソクは、立ち上がり損ねて座ったままのこの方にひたと目を当てると
「医仙」
静かに呼びかけ、頭を下げた。
「先程は失礼しました」

頭を下げられると思っていなかったのか、この方は驚いた様子で
「いいのチュンソク隊長、私が悪かったの」
そんな風に言いながら、慌てて小さな手をぱたぱたと振る。
「どうかご理解下さい。戦です。もうこれ以上の無茶は」
「うん、わかってる。帰る。邪魔してごめんね」
「邪魔ではありません。ただ大護軍は全軍の柱、高麗の柱です。大護軍が倒れれば、即ち国が倒れます」
「よくわかった。皆がこの人の事守ってくれてるのも。だから安心して帰れる。この人の事」

この方はそう言って、例えようもない程優しい目で俺を見た。
そしてチュンソクへと目を戻し
「よろしく、お願いします」
と、深く頭を下げた。
チュンソクはそれに頭を下げ返し俺を見る。
「大護軍、医仙の明日の守りは」
「テマンにつかせる。此度陣が攻め落とされる心配は少ない」
「判りました」
奴は頷くと、最後に深く頭を下げ
「では明朝。失礼します」
穏やかに言って、天幕を出て行った。

奴が天幕を出るのを見遣り、この方へと目を戻す。
結局はいつもこうだ。
どれ程腹を立ててもその瞳で見つめられれば。
返る笑顔を目にすれば、その声を耳にすれば。
その小さな息を、手の温かさを横に感じれば。
愛おしくて、離したくなくなる。
この腕に閉じ込め、遮二無二その体を抱き締めて。

そうしつつ、胸の中の何処かで鳴り響く警笛を聞く。

そんな事をしている時ではない、他の事は考えるな。
今対面すべきは目前の戦なのだと。

繰り返しだ。
役目と愛おしさとの天秤は油断すればこの方への気持ちの重さで、あっという間にそちらへ傾く。
それをどうにか押さえつける。
もう二度とあのように愚かに部下を喪ったりはせぬ。
守れなかった空しさに砂を噛むような思いはせぬと。

結局変わらぬ、王様にあの時伝えた時と。
俺にとってはこの方が一番で、国への忠誠心など良く判らぬ。
ただ今はこの方がいる。いるからこそ護らねばならん。

王様だけではない。部下だけではない。
この国を、民を、全ての兵を。今この方がいるこの世を。
それがいつの日か、この方のいた天界の礎となると信じて。

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