2014-15 リクエスト | 蓮華・3

 

 

「絶対駄目、お願い、チュンソク隊長」
「そう言うわけには行きません」

陣の隅、篝火の影。必死に首を振る医仙を前に俺は頑として言った。
「医仙、良いですか。戦場です。あの塀の向こう」
そう言って陣を囲む丸太木の塀を指で示す。
「敵がおります!ここまで無事に来られたことが奇跡なのです!」
そう声を大きくする。
初めて医仙に向かい声を荒げた俺を見て、その丸い目が闇の中でもっと丸くなる。

「チュンソク隊長」
「まずは顔を隠してください」
既に手遅れかもしれん。
それでもこうしている以上、医仙の顔を見る者は例え一人でも少ないに越したことはない。
俺の声に医仙が薄布を取り出し、目から下を覆う。
「医官帽を」
素直に目深にそれを被って下さるまで黙って待つ。

「大護軍の元へ」
「だって」
「だってではありません!失礼します」
無礼にも程があると知っていながら、俺はその腕を掴んだ。
逃がすわけにも見失うわけにもいかない。そして胸元から警笛を出し、鋭く吹いた。

その瞬間、陣の空気が一変する。
勝手に動いていた影は動きを止め、途端に周囲に整然と垣を作る。
緊急集合。
吹いて待つと程なくして、周囲の垣の中から二つの影が躍り出た。
ひとつは大きな、そして一回り小さな。

それに安堵し、医仙の腕を解く。

しかし自由になっても、医仙が何処へ行けるでもない。
兵の人垣の中央の、一際大きな、動かない影の真前で。

大護軍の表情は見えない。見えないが気配で判る。その肚の中の憤怒の程が。

俺は警笛を口に当て、もう一度吹く。
集合解除。
途端に周囲の影たちは、またてんでに動き始めた。その割れた人垣の中に低い声が響く。
「来い」
そう言って医仙の背に手を当て、それを押すように進み始めた大護軍の背に、テマンの影が添う。
俺は逆横で医仙の背を守り、無言で歩き始めた。

大護軍は天幕へ戻ると入口を守る歩哨たちの姿の手前、こちらを振り向くこともないまま呟いた。
「チュンソク、しばし陣を預ける」
大護軍の呟きに俺は頷く。
「は」
「テマナ、守れ」
「はい大護軍」

テマンは並ぶ歩哨の横、一番入口に近い処へ立つ。
入口に立てた篝火が、奴の固い表情を照らし出す。
大護軍は黙って入口の布簾をばさりと手で払うと、覆面のままの医仙の背を押し中へ消えて行った。

俺が踵を返すと、そこへアン・ジェ隊長が走って来る。
「警笛が聞こえたが、辿り着く前に二発目が鳴った。何があった。見つかったのか」
息を切らせた声に、俺は頷き返した。
「もう探す必要はありません」
「で、誰だったのだ、俺達の陣に紛れ込んだのは」
その問いに返答を逡巡する。
「危険な者ではありませんでした。後々大護軍より話があるでしょう」

俺の口から言うわけには行かない。
下手をすれば大護軍は此度の件で、この後重い責任を問われよう。
陣中に呼ばれぬ者が、まして女人が、選りによってご自身の婚約者殿が紛れ込んでいたなど。
警備の薄さ、管理の甘さ、問われても仕方のない状況だ。

無論大護軍だけではない。迂達赤の責任者である俺。
そして鷹揚隊の責任者である目前のアン・ジェ隊長。
各々の部隊長、警備責任者、全てが下問される。
その重大さに医仙は気付いておられるだろうか。大護軍の面目はこれで丸潰れだという事を。
最悪の場合俺たちの誰が獄に繋がれて頸を刎ねられても、文句など言えぬ状況だという事を。

 

「・・・そういう言う事だ。あなたがしたのは」
天幕の中、目の前の椅子に腰掛けるこの方へ伝える。
「万一、一歩でもどこかが狂っていれば。
陣に入れたから良い。
入れなければ、何処で殺されても不思議ではない。
そしてそれすら判らず終いだった」
憤怒を圧し殺した低い声に、この方は俯いた。
「意味が判るか」
「ごめんなさい、そんな事」

懸命に首を振り、返る声に眸を固く閉じる。

ごめんなさい、知らなかった、そんな重大な事だと思わなかった。
そういうことなのだろう。しかし。

「知らなかった、では済まぬ。此度ばかりは」

俺の面目などは犬の餌にくれてやろう。しかし露見すれば、俺だけでは済まぬ。
チュンソク、アン・ジェ、他の奴らに累が及べば、この命と引き換えてもその責を取ってやれん。
判っておらぬ。己の行動が周囲にどう影響を及ぼすか。
ただ気持ちばかりで動き、それが許されると思っておる。

「戦の無い天界より来れば、それが普通か」
息を吐き、眸を開いて卓の向こうを睨み付けた。
「俺の無事さえ守れれば、俺の兵などどうでも良いか」
卓の向こう、この方は必死で首を振る。
「戦場がどれだけ危険か、自分がどれだけ足を引くかも判らんか」
「だ、ってあなたが」
「言うた。俺は死なぬ、信じろと。その誓いを何だと思っていた」

卓の向こうの表情はどんどん硬くなっていく。
それでも言葉を切るわけにはいかん。

「あなたならどう思う。
医の事を何も判らぬ俺が畏れ多くも、王様の御体を開いている場所にあなたが心配だと飛び込んだら。
気が散らぬか。信じて別の場所で待てと言わんか。此処は黙って任せろとは思わぬか。
己を信じておらんのかと、失望せぬか」

瞬きを忘れた瞳を見つめ、一息に告げる。
「命を預かるなら思って当然だ。
あなたが突然現れ、俺が尻尾を振って迎え入れると思うたか。
こんな状態で、まともに敵と戦ができると思うか。
負ければ攻め込まれる。攻め込まれれば民が死ぬ。
良いか、あなたが愚弄したのは俺ではない。この国だ。その民だ。
この国に生きる、一人一人の民の命を危険に晒した。
あなたが此処にいればその警護に予定外の兵を割く。
その為に陣を組み直す。今までの訓練も無に帰す。
その兵たちが出れば勝てたかもしれぬ戦を落とすかもしれぬ。
それが元で喪わず済んだ命を喪うかもしれぬ。
俺はその責を、どう取ってやれば良い」

判らぬ。本当に分からぬ。
この方は今まで俺の何を見てきたのだ。
何を見て、このような事をしようと決めたのだ。
死なぬとの誓いは一体何のため、誰のために立てたのだ。

戦場だ。余計な事は考えるな。
呪文のように唱えながら気を整える。
それでも抑えきれぬこの怒りを、俺はどうすれば良い。

判ってくれると思っていた。信じてくれると信じていた。

そうではなかったのか。

 

 

 

 

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