玄関の扉が、重い音で閉まる。
扉が閉まった部屋の中には一切の音が入って来ない。
開いた窓から風が静かに吹き込み、窓辺の薄物の布を揺らす。
揺らしながら室内へと抜け、この頬に触れていく。
「そうでしたか」
風を頬に受け、鬼剣を背に護り立ったままの俺の言葉にこの方が頷く。
「隠してた。彼は嘘をついてない。私たちは何の約束もしてない。
私も嘘をついてたとは思わない。ただ、隠してた」
「あの男が誰か、分かりませんか」
俺が静かにそう問うと、この方が不思議そうに首を傾げる。
「誰って私の幼馴染よ、名乗ったでしょ、イ・ジェウォン」
人間の眼とは何と騙されやすいものだ。その思いに咽喉の奥で笑う。
そこに映した姿形さえ違えば、他のことは考えもせん。
その纏う肉に惑わされねば、容易に中が覗けるものを。
俺は鬼剣を手に長椅子へと戻り、椅子脇に鬼剣を立て掛けた。
この方はその俺の所作の一部始終を、じっと見つめる。
長椅子に腰掛け息を吐いて、この方に手を伸ばす。
この方の体が、柔らかく俺の横へ倒れ込む。
「手荒く扱う男は許さぬと」
俺は長椅子の上、横に腰掛けたこの方を抱き締めて、そう囁いた。
「確かに許して頂けなかった。あなたを担いで攫った折」
この方が思いだしたか、俺の腕の中で笑う。
「あれが起きたのは、こっちの世界では昨日って事になってる。何が何だかわかんない」
「あの男は、チャン侍医です」
その声に腕の中の、この方の体が固くなる。
「て、じゃん」
「はい」
固い体を抱き締めたまま、そう返答する。
「何言ってるの、あの人は」
「身肉はイ某でしょう。しかし中身は」
抱き締めた腕の中、伝わるこの方の心の音が早くなる。
「まさか、それは考え過ぎでしょ」
「どうしてそう言えますか」
「だって」
「俺は己の直観を信じます」
そして息を継ぎ、腕の中のこの方の目を見る。
「あの男との約束通り、無体には扱わぬ。
許して頂けぬのは怖いので、手荒くも扱わぬ。
しかしあの男の思惑に嵌るつもりもない」
己の掌で、あの男の触れたその髪に触れる。
あの頃遂げられなかった触れ合いを求めたか、侍医。
それならば俺はもう一歩、先に行かせてもらう。
ここまでこの方を追うた、お前のその心意気や善し。
しかしこれ以上この方に触れさせるわけには行かぬ。
俺たちは巡り逢う。
姿を変え、刻を超え、何度でも巡り逢う。
悪縁でないことを祈る、侍医。俺はお前を信頼している。
「無体はしません」
長椅子の上、抱き締めたこの方の目を覗き込む。
「荷物のように担いだことは、許してほしい」
そう言うと、この方が笑み崩れた。
「ここまで待った」
その抑えた声に、この方が頷いた。
「長かった」
その細い指が、俺の頬へと触れる。
「このようにあの男に会うなどと、思いもせずに」
そしてあの男が、結局はこうして俺の背を押す。
いつでもそうだ、そう思い苦く笑む。
「あの男は、あなたを知っている」
その声にこの方が首を振る。
「あなたほど知らない。あなたほど私を知ってる人は誰もいない」
「高麗でも、天界でも。それほどに愛おしいのでしょう」
「私が一緒にいたいのは、あの人じゃない」
そうして首を振るこの方をここまで追った俺達は、この命が終わっても何処かでまた出会うのか。
侍医、だからお前はあれほど潔く、その命この方に捧げたか。
その強き想いがこうして縁を結んだか。それとも縁ゆえの強い想いだったのか。
定めの末路は常に同じなのか。何処かで逆転が起こったりはしないのか。
お前の道は俺とは違う。俺の愛し方とは違う。
俺は必ず生きてこの方を護る。この方を置いては死なぬ。
今一度そう誓い、この方へと目を当てる。
その眸を見ながら、この方は腕の中から語りかける。
「私が一緒にいたいのはあなただけ。だから言えなかった。
親が勝手に約束した婚約者がいるなんて、言いたくなかった。
私に必要なのはあなたなの。あなたの居場所が、私の場所なの。
もう一人でここに戻って来たいとも思えない。
両親に話したら、ずっとあなたと一緒にいる。
言ったでしょ、私を信じて。絶対離れたりしない」
「じ」
侍医、と続きそうな声をそこで留め、言い直す。
「あの男はどうするのですか。置き去りか」
「一緒には行けない」
迷いなく即答する潔さ。
想いを懸けぬ男には、女人は何とも残酷なものだ。
どの剣の遣い手よりも確実な一撃でその心を弑す。
この方が振る首を、揺れる髪を、冷たい瞳を見る。
奇跡がまた、こうして起きる。
この方が時を超えたこの腕の中を居場所と選び、留まる奇跡。
この世界にも奇轍がいて、この方を追いかけていたのかもしれぬ。
あの毒使いが別の形で、この方を陥れようとしていたかもしれぬ。
そう考えればこの方がその悪縁に嵌らず、出逢えた事もまた奇跡。
だからこの方の言の葉は、俺にとっての蜘蛛の糸なのだ。
心に手足に絡みつき、決して千切り捨てられぬ天啓だ。
背くくらいならこの手足を捥いだほうが楽だと思わせる。
そうすれば魂のみで、恋うていられる。
最後まで空いていた己の心の穴。
それを埋める為、俺は言葉を重ねる。
追って来たあの男に背を押されたために。
どれだけ強い想いでも、渡すわけには行かぬ。
お前にも、そして誰にも。
その言葉が呪詛のように、己の手足を動かしていく。
「あなたが大切だ」
その呪詛は、腕の中のこの方をも熱に浮かせていく。
「他の誰にも渡さぬ」
その声に、この方の腕が絡む。
「誰と何処で巡り逢おうと、どのような縁を結ぼうと」
定めの逆転など、起こさせはせぬ。
「あなたにもいるのよ、気付かないだけ」
この頬に当たる、その小さな掌は熱い。
「でももし気付いても教えてあげない。 私はあなたみたいに心は広くない」
そう言って笑い、俺の唇を奪う。
「だってあなたが気付くのは、いつでも私だけでいいから。
あなたが欲しがるのは、私だけでいいから」
欲張りな小さな手が、俺の髪を乱す。
「だって私はあなただけが欲しいから」
そのまま俺の首を強く曳き、長椅子の上に縺れるように倒れ込む。
「だから、ちょうだい」
蜘蛛の糸だ。

皆さまのぽちっとが励みです。ご協力頂けると嬉しいです❤
今日もクリックありがとうございます。
にほんブログ村
SECRET: 0
PASS:
あ、朝から…心臓が…
ドキンコドキンコ…キュンキュン…
死んじゃうーー!さらん様ーー!
萌え死にます(*/□\*)
萌えワードが多すぎて…φ(..)メモリーパンクします‼
アホなコメントすみません(T^T)
あぁ…朝から萌えて悶えた…
SECRET: 0
PASS:
絡み合った運命の糸 繋がっているか 辿り着けるのか 想いがそうさせるのか…
うーん 深いですね。
チャン侍医と見抜いても 彼を信じ背中を押されたと感じるのは 自分の想いに自信があるから ウンスにも話せる。
蜘蛛の糸 イメージが脳内に ぽよよん 妖しすぎる。
SECRET: 0
PASS:
ヨン・・・ドキドキ 心配だったでしょうね
ウンスのこころが どちらにあるのか…
でも ヨンとウンスが 運命の相手だと
確信できたかな?
ウンスの言葉と 行動で( ´艸`)
SECRET: 0
PASS:
おはようございます。今年に入ってから、なかなかコメントさせいただけなかったのですが、毎作品その世界に入り堪能させていただいておりました。どの作品にも、その作品にしかない魅力がありました。
そして、今回。
言葉が出ないほどです。構成もうなるおもしろさですが、ヨンの心情が見事に描き出されています。人を恋うとはこういうことなのだなぁと、懐かしく若かりし頃が蘇りました。ヨンはやはり私の中で揺るがない存在であることを確信いましました‼︎
続きを楽しみに。
お身体を労わりながら、作品作りに力を注いでくださいますように。お仕事もおありなのに、こんな勝手なお願いで申し訳ありません。
SECRET: 0
PASS:
さらんさんおはようございます(*^^*)
一難去って
ラブラブ(*≧艸≦)
この展開はある意味ベタだけど
好きです!(σ≧▽≦)σ
素敵なお話ありがとうございます!
ヨンがお風呂でどうやりすごしたか?
やはり気になる!(* ̄∇ ̄*)
←ソコ Ψ( ̄∇ ̄)Ψ
SECRET: 0
PASS:
最後のウンスの言葉・・・
超SEXYですねぇ~(〃ω〃)
ドキッとしてしました!(笑)
こんな形で出てきたチャン侍医。
人の想いとは、深いですね~
続きも楽しみです!!!!
SECRET: 0
PASS:
えぇ~(*_*)そうなの!?そうなんだ…
ヨン、ようやく…
SECRET: 0
PASS:
想いを懸けぬ男には、女人は何と残酷なものだ・・・これわかる!
本当にそうです!女性は残酷・・・
あぁ~でも、さらんちゃん?
最初から婚約者はチャン持医を想定してたの?
それとも書き進めるうちに閃く?
いや、もうどちらにしても・・・尊敬だわ(^▽^)
私は「何故ここに?」の問いでも想像してなかったです。
読み手側の幸せを満喫しています(^人^)
SECRET: 0
PASS:
ヨンが蜘蛛の糸に絡まれと表現しているのは、ウンスは差し詰め、女郎蜘蛛だなと、直感的に考えてしまった。
でも、ヨンはそれに身を委ねる運命と悟っているのは縁のなせる技?
SECRET: 0
PASS:
二人を結ぶ縁の糸
心を捉える言葉の糸
愛しい思いは、すべてを凌駕し、抱き合う二人を堅く結ぶ。
SECRET: 0
PASS:
こんにちは!さらんさま
時代が変わろうと姿を変えようとやはりチャン先生の想いは報われないのですね(>_<) ヨンとウンスは魂で結ばれていますものね。
この3人の縁は永遠に続くのでしょうか?いつかはチャン先生にもお幸せになっていただきたいですね(^^*)
ウンスはヨンに「ちょうだい」しましたが…ヨンは「あげる」ですか?
ドキドキ(//∇//)
SECRET: 0
PASS:
人を思う縁は何と深く続いて行くものなのでしょう。
しっとりと落ち着いて話が出来るのも、今あるお互いが対の相手であるという想いがしっかりと根付いているからなのかしら。
ウンスのヨンにもいる人が現れても教えないという思いは、本当に正直な気持ちだと思えますね。こんなに愛おしい人の瞳に自分以外の人を映して欲しくないという愛溢れる独占欲。
チャン侍医は時を越えてもなお結ばれる縁ではなく、人の縁を深く結ぶお役目なのですね。
SECRET: 0
PASS:
>naomiさん
こんばんは❤コメありがとうございます
あははは、萌え死は駄目ですヨン❤
ここからチャン先生の真骨頂、尽くす男の本領発揮となるかもです(〃∇〃)
まあ少なくとも今宵は、ああそうですか勝手にしてくださいと
棒読みで言ってやりたいくらい、久々馬鹿ップル
(大人バージョンw)が繰り広げられました(爆
SECRET: 0
PASS:
>チェヨン1さん
こんばんは❤コメありがとうございます
そうですね、多分ヨンが蜘蛛の糸、というのは
ボキャブラリーの無さなんだと思います。
つながっている物、もしかしたら赤い糸、そう言ったものを
ひっくるめて、蜘蛛の糸w
糸って言ってもいろいろあるだろうに、蜘蛛です(爆
SECRET: 0
PASS:
>くるくるしなもんさん
こんばんは❤コメありがとうございます
大人ヨンは、疑うよりも内省へと向かいました。
ウンスが揺れるとは、一切疑わないでしょう。
だって天門をくぐる前「信じて」と言われ「信じる」と返しましたから。
何しろ約束は命より重いヨンですww
SECRET: 0
PASS:
>my starさん
こんばんは❤コメありがとうございます
お久しぶりです(*v.v)。
体調など崩されていらっしゃいませんか?
my starさまも、どうか無理はなさらず、お時間がある時にでも
読んで頂くだけで、本当に充分嬉しいです❤
このリク話シリーズの終結地点が一向に見えず、
段々焦りの募りつつある私です・・・w
SECRET: 0
PASS:
>愛知のひとみさん
こんばんは❤コメありがとうございます
もうべたべたですw
何しろ、ここまで何年?というほど待って待って待った
我が家のお話中で最年長となったこの二人。
ここで何もなければかえって不自然です(爆
SECRET: 0
PASS:
>★sachi★さん
こんばんは❤コメありがとうございます
もう、どう書いてもチャン先生・・・
チャン先生にしかなれず。輪廻のその先ですら。
せっかくヨンより先に逢えたにも関わらず。
自身でどうにかしてあげたくとも、勝手に脳内で動く彼は
哀しい程に、チャン・ビンです・・・
SECRET: 0
PASS:
>トマトさん
こんばんは❤コメありがとうございます
ええ、そうなんです、そうなんですよwww
ようやく、最年長にして・・・
SECRET: 0
PASS:
>victoryさん
こんばんは❤コメありがとうございます
いえいえ、このシリーズ【2014-15リクエスト】のお話は
既にリク頂いた中で決まっている設定があるので
それに沿ってお話を書くのみですw
後はそれがいかに不自然に見えないか腐心するのみで(*v.v)。
なので、最初にネタバレしているのですよ~♪
SECRET: 0
PASS:
>ツマ吉さん
こんばんは❤コメありがとうございます
絡新婦、女郎蜘蛛。毒気の無い、可愛い蜘蛛ですがw
身を委ねている糸は、実は蜘蛛の糸ではなく、赤い糸なのに
語彙の不足でそれをうまく表せぬ、不器用なヨンです( ´艸`)
SECRET: 0
PASS:
>ポチッとなさん
こんばんは❤コメありがとうございます
糸、時に細くなり、千切れそうに見えても
運命であれば、必ずつながっています。
何度別れても巡り逢う、その両端を握っていれば。
握っている事さえ忘れなければ。
SECRET: 0
PASS:
>わいやーさん
こんばんは❤コメありがとうございます
何しろ蜘蛛の糸ですので。
一般公開ではこれが限界です(*v.v)。
しかし長篇でないはずが、またやってしまった私。
誠に申し訳なく、推敲能力ゼロの己がひたすら恨めしく・・・m(_ _ )m
SECRET: 0
PASS:
>ままちゃんさん
こんばんは❤コメありがとうございます
ウンスは何に対しても、たとえネガティブな感情にも
対処法を知っていると思います。
でないと、さすがに医者はやれないかと。
ただし対処法のベクトルは、ヨンの刺傷事件前と後で
方向は全く変わったと思います❤
チャン先生はもう、どこをどう書いても、たとえ輪廻の先でも
やはりチャン先生でした・・・
SECRET: 0
PASS:
さらん様、こんばんは❤︎
ヤバイヤバイ(≧∇≦)
面白過ぎます‼︎
同じ時代の、極めて近い場所に転生するとは、どれほど強い思いを抱えていたのでしょうか?
いつも見守り、深い愛で包んでくれている。
でも、どんなに愛しんでも最後には必ず、ウンスは運命の人に夢中になる。
チャン・ビンは、何処まで行ってもチャン・ビンと言う事ですね。
でも、だからこそ、ヨンは尚一層ウンスへの愛を強める事に…。
良いですねぇ❤︎
SECRET: 0
PASS:
>夢夢さん
こんばんは❤コメありがとうございます
そうですね、もう別の角度で書きたくとも、
脳内で動くジェウォンオッパは、完全にチャン先生のままです。
もっと勝手に生きればいいのにね~と・・・