2014-15 リクエスト | 瑞雪・7

 

 

「おお、広い風呂だな」
扉を開け、目の前の大きな風呂を眺めて思わず叫ぶ。
「ああ、目の前が開けて気持ちが良い」
他の迂達赤の奴らも一斉に頷く。
俺たちはワイワイと声を上げながら、それぞれ湯へ浸かった。
この高い垣の向こうに大護軍と医仙のお部屋の温泉が続いているのか。

「おお、トクマニが垣根を悔しげに眺めてるぞ」
「違いない、邪魔だと思ってるんだろう」
「ば、馬鹿野郎!そんなことがあるわけ」
俺の少し慌てた声に、他の奴らが大笑いする。
「だけど、あの美しい医仙が」
「ああ、くだらないことを言い出すな!」
「大護軍が護っておられる方だからな」
「下心の持ちようもない、天上の方だよな」
「しかしあの御美しさを眺めるたびに、現の女人と比べると」
「そんなもの、比べるだけ無駄だぞ。あれは天上の御美しさだ。
そんじょそこらの女人で勝てる訳がない」

そこで一人の迂達赤が、ぼそりと声を落とした。
「だけど、俺は聞いたぞ」
その声に、俺たちの目が一斉にそこを向く。
「何を」
「大護軍はご婚儀を挙げるまで、医仙にそうした・・・御手を触れるようなことは、絶対にされんと」

その言葉に、水を打ったように静まり返った俺たちは互いに目を見交わし合った後、次に一斉に騒ぎ出す。

「それは嘘だろう!!」
「嘘に違いない、あんなに美しい方が毎晩一緒で」
「いや待て、あの一意専心の大護軍の事だ。お決めになれば心が揺らぐとは思えん」
「それはそうだが、男として我慢できるか」
「俺たちと比べるまでもないだろう、大護軍の事だ、きっと念仏でも唱えられて心頭滅却を」
「・・・それは・・・苦行だな・・・」
どこからかしみじみ上がった誰かの声に、皆がそれぞれ頷いた。

「俺は水を掛けられても無理だな」
「俺は俗物でいい、耐えられん」
「俺も無理だ」
「そうだな、お相手が医仙では」
「もう、すぐにでも・・・」
「お前ら医仙相手におかしな空想をするな、汚らわしい」
「そうだ、大護軍に知れればどれほど怒られるか」

その瞬間。
垣根を超え飛んで来た桶が、俺の頭に思い切りぶつかった。
冗談抜きで目から火花が散った。

この頭にぶつかり、派手に飛沫を上げて湯へ落ちた桶に全員の目が注がれ、次の瞬間垣の向こうの姿を想像する。
だからさっき扉を叩いても、返事が。
「・・・て、大護軍・・・」
「湯殿に、いらっしゃいます、かー・・・」
「さっき伺いましたが、返事が頂けず・・・」
「聞いて・・・いらっしゃいました、よね・・・」
「悪気は決して・・・」

返事は返らない。返らないが、ただ。
聞き慣れた声で、小さな咳払いだけが聞こえた。

「失礼しましたっっ!!」

俺たちはそれだけ叫び、一斉に温泉から飛び出した。

 

垣根越しの声に、俺の横のこの方はおかしそうに笑いを堪えている。
筒抜けだ。馬鹿野郎どもめ。
声の主は一人残らず判る。そして奴らは今、全員非番だ。

温泉を使う前は声を掛けろと伝えたはずだな。
俺に声を掛けずに入ったか、いい度胸だ。

ほおトクマン、お前は垣を悔しそうに見ているか。
そうか。成程な。
この方が美しい。
今になっても騒ぎ立てるお前らの気が知れんが、仕方あるまい。
そこまではどうにか我慢しようとしたが。

しかしその後の聞くに堪えぬ言葉の数々が耳に入った瞬間。
風呂の横の桶へと手を伸ばし、垣根越しに投げつける。

心頭滅却だと。好き勝手をほざくのも大概にしろ。
苦行だと。知ったような事を抜かすな。
俗物で構わぬだと。出来るならとうの昔にそうしている。
伺いましただと。返答があるまで扉を叩いて初めて言え。

慌てて外湯を飛び出して行く奴らの気配に、俺は太く息を吐く。
「イムジャ」
「なあに?」
おかしそうに目を拭うこの方を見て、俺は微笑んで言った。
「申し訳ないが風呂から上がれば、暫し出かけて参ります」
その声にこの方の笑顔が凍りつく。
「・・・ヨンア?」
「はい」
「どこに行くのかなー、なんて聞いたら・・・」
「野暮用ですから」
笑みを浮かべ首を振るこの顔を横目で見つつ、イムジャは温泉の中へぶくぶくと、顎を埋めるまで沈んで行った。

瑞雪の中、外での歩哨は丁度良い心頭滅却になる。
たとえこの瑞雪が止んでも、今宵はさぞ冷えるだろう。

なあ、トクマン。

 

******

 

「晩御飯のことで、提案があるの」
風呂騒動の翌朝。
王様と王妃媽媽の朝の回診を終え、居室に戻ったこの方が言った。
「晩御飯、夕餉ですね」
「うん。で、思ったんだけど」
「ええ」
「今日、雪降らなそうよね?」

その声に居室の窓外の空を眺める。
昨日の雪から打って変わって、今日は朝より抜けるような晴天だ。
雲一つない切れるほど冷たい蒼色の空が何処までも高く続いている。
「おそらくは一日持つかと」
「じゃあ、バーベキューしたいんだけど」
「は」
「ああ、えーとね、野外で炭を起こして、お肉や海鮮や野菜を焼いて、それをその場で食べるの」
「イムジャ」

その声に首を振る俺を、この方はじっと見る。
「それでは気味が出来ません。王様にお出しする膳にどれほどの者の手がかかるかご存じでしょう」
「逆じゃない?」
「は」
「王様のお食事量のばらつきが気になるのよ。水刺房の記録を見ると。
材料は、どっちにしろ調理前にもう仕込んであるのよね?
だったら水刺房で料理するより、目の前で調理した方が、何にも入れられないじゃない?
もちろん水刺房の誰かがそんな事するとは思ってないけど」
「それでも王様にお出しする膳をその場で調理とは、余りに野趣が過ぎます。兵でもあるまいに」
「ねえヨンア」

この方は首を傾げ、此方に不思議そうに問う。
「王様や媽媽は、あったかいお料理や冷たいお料理を召し上がったことって、あるのかな」
「・・・どういうことでしょう」
「水刺房で料理を作る。作った後毒味が回る。毒味の後に様子を見てようやくお膳が運ばれる。
その間に温かいものは冷めるし、冷たいものはぬるくなっちゃうんじゃない?」
「そうかもしれません。しかし御二人の玉体と安全をお守りする上で気味は欠かせませんから」
「うん、それは分かるの。だけどヨンアならどう?私が作った熱々のチゲがぬるくなってたら。
熱いのと同じくらい美味しいって思って食べられる?」
「イムジャの拵えたものであれば何でも」
「でもそれは、愛情って調味料があるからよね?王様や媽媽のご飯は、ちょっと違う気がするの。
勿論お二人の事だから文句はおっしゃらずに召し上がるし、水刺房の皆に感謝してると思うけど、でも」

あなたは、少し俯いて俺をちらりと眺めた。
「一度でいいから、熱々の焼きたての物を食べてほしいなって。楽しいのよ。私は好きなんだけどな、バーべキュー。
この旅行の思い出でいいの。毎回やれなんて言わない。ただ美味しかったな、ってあとで思い出してもらえれば」

この方のおっしゃることは尤もだ。
それでも内婦の管轄の水刺房に、武官が何処まで口を挟んで良いものか。
「・・・一度だけ、王様に伺います。
それで王様が難色を示されれば 諦めて下さいますか」
「うん!」
渋々の提案に、この方が大きく頷いた。
「では共に来て下さい。今のお話を王様にお伝え頂いて、駄目なら諦めて下さいますね」
「分かった、ありがとうヨンア!」

嬉し気に立ち上がるこの方を見てから、席を立つ。
懸命なのだ、この方は。王様と媽媽に良い思い出を作る為に。
そして慶事の日を迎える、その手助けの為に。
そうなら俺も、手伝うしかなかろう。

 

「懐かしゅうございます」
早々にお伺いを立てた御前での拝謁。
この方が先刻の話を王様と王妃媽媽の前でもう一度繰り返すと、王妃媽媽が嬉しげに微笑んで仰った。
「王妃」
王様が不思議そうに王妃媽媽へと御目を向ける。
「王様、妾の国はもとはといえば騎馬の民の国です。
昔は草の豊かな地を追って、馬に畳んだ穹廬を載せ、平原を馬で何処までも走ったそうです。
そして夜になれば平原に焚火を熾し、皆で囲んで肉を焼き、分け合って食したそうです。
今でこそ元の一部として組み込まれてはおりますし、妾が幼い頃にはそうした風習は廃れておりました。
それでも父君や祖母君より伺ったお話は、忘れられませぬ」

御声を切ると王妃媽媽はこの方へ目を当てた。
「医仙」
「はい、媽媽」
「本当に、とても懐かしいお話です。もし出来るなら是非」

 

媽媽が嬉しげにおっしゃるお声に、私は頷いた。
騎馬民族の国、モンゴル。媽媽の昔の故郷。
読みが外れていなければいいなとは思ったけど、媽媽がこれほど嬉し気にお話してくれるのはちょっと予想外だった。
そして王様は活き活きとした媽媽のご様子に、媽媽よりも嬉しげに頷いた。
「チェ尚宮、ドチ」
「はい」
「はい、王様」
叔母様とドチさんが、それぞれ頷いた。
「水刺房の尚宮と話を詰めよ、今宵の夕餉は表で」

そう仰った後に私を見て、王様は微笑まれる。
「医仙と大護軍も同席のうえで、医仙の教えて下さったばーべきゅーにするとな」

そのお声に嬉しげに微笑まれた媽媽をご覧になる王様の目は、媽媽よりもずっとずっと嬉しげに細められていた。

 

 


 

 

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