2014-15 リクエスト | 為虎添翼・6

 

 

吐き出された白い渦の外。周囲の見慣れた景色に嬉しさが溢れる。
良かった、戻って来られた。 ここは奉恩寺。
弥勒菩薩様の白い大きな彫像の真下。
私はこの人の手を引いて歩きだす。最初に逃げ込むところは決めてあった。
あの当時買ったばかりの、私の事務所兼自宅。

走るように道を歩く私たちを、周囲の人がぎょっとしたように何度も振り返る。
ええ、そうでしょうとも。この高麗の着物で、本物の刀を腰に江南を歩けば。

私は気にせずこの人の手を引いて、一心不乱に自宅を目指す。
警察を呼ばれたりして、厄介な事になる前に。
玄関のドアの電子ロックを開けようと、掌の汗を思わず着物の裾で拭う。
ねえ、ローンを3年払ってなかったら・・・ううん、最初の高麗の1年とモンゴル時代も
合わせたら、計5年以上払ってない。
当然これは民事訴訟、差し押さえってパターンよね?

ここにまだ家があるからって、ドアがあるからって、中に入れるとは限らない。
息を止めて、ロック番号を押す。

ぽち、ぽち、ぽち・・・ぽち、ぽち

最後に深呼吸して、一番最後の番号を。
ぽち

~♪

懐かしい軽快な電子音とともに、目の前のドアは呆気なく開いてしまった。
もちろんいい事だけど。嬉しいけど。安心したけど。
誰かがその間、ローンを払ってたって事なのかと考えると。
この世界に配偶者と呼ばれる人を持たなかった私の頭に、すぐ両親の顔が浮かぶ。

でも、開いたからには急がなきゃ。
呆然と立ち尽くすこの人の手を引いて、まずは玄関から、家の中に押し込める。
「イムジャ」
奉恩寺からずっと無言だったこの人がようやく、そう口を開く。
「靴、靴脱いで」
そう言って玄関で靴を脱がせる。大きな背中を押して、部屋へあがらせる。

「イムジャ」
背中を押す私に向かって肩越しに振り返るあなたを無視して、リビングまで押してソファに座らせる。
「まずは座って」

そう言いながら、部屋の窓を開けて行く。
でもこれが、5年も無人だった家?それとも誰かが掃除してくれてた?
学会の日の朝に飲んだコーヒーのマグだけ、キッチンのカウンターに置きっぱなしで?
そう思いながら、テレビをつける。
そこに流れたニュースを見て、ううん、正確にはニュースの画面の日付を見て驚いて目を見開いた。

私が学会に出た日、それははっきり覚えてる。
その日に向けて、毎日レポートを書いたもの。
カレンダーにも印をつけた。 スマホのスケジュール表にも。

今日がその翌日だなんて、誰が信じてくれるの?

だって、私自身だって
「・・・信じられない」
「どうした」
私の声に、ソファのこの人が腰を浮かせる。
「イムジャ」
肩を支えられ軽く揺すられて、私はこの人を見上げた。
「今はあなたが私と会った、翌日なの。正確にはまだ数時間しか経ってない」

呆然とした私の声を聞きながら、私の肩を優しく掴んだままでこの人は頷いた。
「あの天門をくぐったならば、その先に何があっても不思議はない。
俺はあの折イムジャに出逢うて、すでに心底思い知りました」

その微かに得意げな声を聞きながら、どうにか頷き返す。
こんなことを繰り返してたら、本当におかしくなっちゃいそう。
私はもう、ここに戻ることはない。 この人のいる場所が、私の居場所。
オンマにもアッパにも心から申し訳ないと思ってる。親不孝だと思う。
でもそれが高麗に戻ってからの三年で、私が出した結論だから。

私は溜息を吐ききって顔を上げた。懐かしい部屋の中を見る。
今はもうここにいる。2012年に。
ここにいるんだからオンマとアッパに会って、結婚の許可をもらって。
そして彼に会って、最後に伝えるしかない。
現実逃避しそうな脳を引き戻すには日常のルーティンワークをこなす。
そうよ、それが一番。
「お風呂に入って」
突然そう言った私に、この人が鸚鵡返しで呟いた。
「風呂」

私はこの人の手を取ってリビングを出て、玄関に向かう手前の廊下のドアを開けた。
「ここがお風呂と洗面所」
そしてその脇の、L字コーナーのドアを開ける。
「こっちがトイレ」

目を開いたまま固まるこの人に向かい合う。
「お風呂はともかく、トイレの使い方は教えてあげられないけど・・・」
そうよ。当然だけどこの人は使い方も判らないはず。
教えてあげようはないけど、まずはトイレに入って、その便座に腰掛けて見せる。

「こうやって使うの、女性はね。男性はまあ、立って使う人が・・・多いと思うけど」
私のつっかえた声にこの人が耳を赤くする。
急いで立ち上がって、今度はお風呂に入る。

「このバーを、上げ下げするとお湯が出るから。温度調節はこのモニターで」
水温調節の△マークを押して、液晶に映った湯温表示を確認する。
41度、これくらいでいいはずよね?
「はい、じゃあこのバーを下げてみて」
この人の手を握ってバーを掴ませ、それをそのまま、くいっと下げる。
バスタブにお湯が出始めた。 掴んだあなたの手でお湯を触って、温度を確かめてもらう。
「大丈夫そう?」
目を丸くしたままこの人が私を見て、口もきけない様子でただ頷いた。

「じゃあ、上げてみて」
今度は1人でバーを上げてお湯を止めたこの人が、こっちを見てまた目を丸くする。
この人のこんな顔、見るのは初めて。こんな時なのに、可愛くて笑い出しそう。
笑ったりしたら絶対怒るから我慢するけど。
私は気分を切り替える為に、説明を続ける。

「シャワーはここ」
シャワーノズルをポールから外して、ヘッドをバスタブに向けた後、この人に向かってシャワーのスイッチを指さす。
「押してみて」
この人はその指でスイッチを押して、ヘッドから勢いよく出てきたシャワーに目を瞠る。
「もう1回押して」
ヘッドの水の勢いが止むと、不思議そうにそのヘッドとスイッチを何度も見比べる。

私はシャワーをポールに戻して、そして狭いバスルームでぎゅっとあなたに抱き付いた。
あなたは驚いたように体を固くした後、ゆっくり私をその腕の中に抱え込む。
そしてもう一度、私が一番好きな位置に抱き締め直してくれる。
私の首筋にその鼻先を埋めて、深く息をして。
私は回した腕で、大きな広い背中を撫でる。いつだってここにいる。大丈夫。
たとえこれから何があっても、今までの選択を後悔したりしない。

「じゃあ、ゆっくり入って。その間に着替え用意しとく」
そう言いながら洗面台の横の収納棚を開ける。
その中に畳んでおいたタオルと予備のシャンプーとボディソープを出して、あなたの前に広げて見せる。

「タオ・・・うーんと、手拭いは、これを使って。こっちは顔を洗うため」
フェイスタオルをこの人に渡す。
「こっちはお風呂から上がって、体を拭くため」
バスタオルを、洗面所の隅に置く。
「これがシャンプー、頭を洗うもの。こっちがボディソープ、体を洗うもの。分かった?」
頷くあなたを見て、洗面所のドアから廊下に出た。

寝室に入って、クロゼットを開ける。畳んでしまってある、男性用のスウェットパンツ。
クロゼットの隅の棚から、新品の下着とTシャツの袋を取り出して、それぞれ破って中身を出す。

こんな時に役立つなんてね。用意した時は、全く考えもしなかった。
当直明けに、家まで辿り着けずにここで寝る時、着るものがないと困るだろう。
そう思って用意しておいただけだった。身長はそれほど違わないからきっと大丈夫。

真新しいスウェットのパーカーを最後にクロゼットのハンガーから下ろす。
その襟もとについたままのプライスタグを、引き出しから取り出した鋏の先でぷちんと切った。

その着替え一式を持って寝室を出る。もうここで眠る事もない。
バイバイ、私の800スレッドのコットンシーツ。
がさがさした肌に悪そうな敷布の味気ない寝台でも、あの人の横の方が何倍も気持ちがいいから。

それにしてもあの人、どうやってお風呂に入ってるのかな。
早く着替えを持ってってあげたいけど、着替え方、分かるのかしら。

そう思いながら、私は狭い廊下をバスルームへ戻る。

 

 


 

 

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