2014-15 リクエスト | 邂逅・13

 

 

「先生」
チェ・ヨンの横を通って病室へ入り、ウンスの様子を診る先生に声を掛ける。
「ウンスは」
俺の揺れる声に、先生が目を上げて微笑む。
「心配ない、傷口もきれいだ。安心しなさい」
「ならば何故起きぬのです」
「ソンジン、術後確認した時に意識は戻っていた。今は寝かせてあげなさい。じき起きる」

先生の声に、寝台の上で眠る白い頬のウンスの、長い睫毛を見る。
その睫毛は時折、物言いた気に揺れる。
見つめていれば、今にもそっと開いてくれそうに。

夢でも見ているか。そこに俺は共にいるか。

「術後の無気肺が怖い」
私の声に、チャン医師が首を傾げる。
「ああ、手術の後に肺腑に菌が入って起きる病だ。こまめに寝台の上で姿勢を変えましょう。
同じ態勢だと、肺腑が押されて罹りやすいので」
「菌、ですか」
チャン医師はそれを聞くと、箱から薬瓶を取り出した。
「私が医仙の要望で作った薬です。 医仙は、抗生物質と。
大護軍の腹を開いた折、血の中に菌が入り敗血症とやらに罹られたので、今後はこれで防げると」

その声を聞きながら、目の前のチャン医師を見つめる。
抗生物質を作っただと?
「・・・どうやって、作ったのです」
「医仙が、寒天床に黴を生やせと教えて下さいました。その黴を、温かい一定の温度の部屋で育てるようにと。
黴の周囲に輪が浮かんだ皿の、黴の消えた後の寒天を使うと」

何てことだ、ウンス。
それをしてはいけない。歴史が変わってしまう。
ああ、しかしもう見つかってしまった。
これを使用しなかったところで、チャン医師は既にペニシリンの培養基礎を知っている。
もっとも単純な、世界初の抗生物質を。
そしてチャン医師がどこかの組織に属していれば、その組織全体が。

チェ・ヨン氏がチャン医師を侍医と呼ぶ以上、この医師は王の主治医。
であれば国の中枢が、いずれそれを知るだろう。

蝶の羽ばたきが聞こえる。金色の鱗粉が舞うのが見える。
ウンス、君の小さな羽ばたきがどこで何を引き起こすか。
その鱗粉が風に乗って舞い、どこまで飛んでいくのか。

「・・・使いましょう」
そう言って、チャン医師に頷く。
彼は、静かに薬瓶の蓋を開けた。

 

扉を抜け、病室へ戻る。
ソンジンは此方を見る事も、その場を立ち退く気配もない。
「お話は、終わりましたか」
侍医が奴を睨む俺と、それすら目に入らずひたすらウンスを見詰めるソンジンの間に割り込むように身を投げてくる。
そしてその目で伝える。大護軍、いけませんと。

判っていると眸で返す。
どれ程肚が立とうと、眠るお前の横で鬼剣を抜いたりせぬ。
だからお前は静かに眠り、そして俺の腕の中で目を開けろ。

俺の望むのはそれだけだ、ウンス。

 

******

 

「熱はありません」
お伝えすると、大護軍は頷く。
「触れていれば分かる」
「意識もあります」
続けて言えば、再び大護軍は頷く。
「睫毛が動くのを見た」
そして私へと首を傾け、逆に小さな鋭い声で問う。
「それならば、何故目が覚めぬ」

どれほど待ち続けているのだ、この方は。
寝食を忘れ役目に走り、他の全ての時間はただこうして病室の寝台横に佇んで。

病室の光を遮るのもいけないと、華侘と相談した。
鎧戸をすべて上げ、外の光も闇も判るようにした。

今部屋の中は傾いた陽が淡く差し込み、全てのものを金紅色に染め上げる刻。
全てのものが西から光を受け、床の上に影を伸ばす。
初期の発熱はあったものの、すぐに下がった。呼吸は落ち着き血色も戻った。
脈を読む限り、血気水にも全て乱れはない。

どうなさったのです、医仙。
何が理由で夢を彷徨っておられる。
早く戻りなさい、この方が待ち草臥れてしまう。
ただ待ち草臥れるだけならばまだしも、あなたと浅からぬ縁のありげなあの男。
ご自身と同じ気を持つソンジンとやらに、今にも斬りつけそうなほど憤っておられる。
もう私では、抑えが利かぬほど。

あなたが起きて止めてくれねば、大護軍はどうなるか。

 

ウンス、起きろ。起きてくれ。
そろそろ俺も限界だ。
お前が身を挺し庇ってくれた、よく判っている。
正面よりぶつかれば、互いに只では済まぬ事も。
だからこそ奴に無茶はせぬ、そう思ってはいる。
だからと言って度を越せば俺とて我慢はできん。
たとえ俺がお連れした大恩ある方、現代の華侘の守りの者だとしても。

あの男の、お前を見るあの目。
触れようと無意識に上がる手。
囁くように語りかけるあの口。

本当に限界だ、ウンス。
俺はぎりと音が立つほどに、奥歯を噛み締める。

 

ソンジンの気持ちは、あの頃から分かっていた。
この若い真直ぐな男が、どれ程ウンスに静かな、秘めた想いを懸けているか。

私の鍼の介助を頼んだ時。そして私の帰宅後のあの憔悴し衰弱しきった様子。
そこからも彼の気持ちの深さは、十分すぎるほど見て取れた。

チャン医師の薬員に煎じ薬の指示を出しながら、扉の向こうの椅子に腰掛けたソンジンを見る。

こうしてまた時空を超えて再会したウンスの病態。まさか眠ったままとは予想外だった。
意識不明でもなく、昏睡状態でもない。病状が悪化したわけでもないのに覚醒はしない。
その上、ウンスにとっての大切な男性であろうあのチェ・ヨン氏が、終始その傍にいる。
ソンジンの精神的ストレスは、恐らく限界に近い。

このまま放置していれば、何れ正面衝突を起こす。
武芸に関しては全く無知な私だが、ソンジンの技量は知っている。
そしてチェ・ヨン氏が、もし歴史上私が知る、あの高麗の大将軍と同一人物だとすれば。
敢えて確認するまでもなく、相当に優れた武芸の技術の持ち主だろう。

しかし私がソンジンを宥めたところで、カウンセリングの真似が精々だ。
ソンジンの怒りを納め、正面衝突を避ける事が可能なのかは分からない。
どうにかしたいが、人間の嫉妬心は自身で克服する以外には道がない。

ソンジンにとってもチェ・ヨン氏にとっても、大きなトラブルにならないと良いが。

 

ウンス、起きろ。起きてくれ。
そろそろ俺も限界だ。
お前を放って役目とやらに精出すチェ・ヨンに。
そしてその後平然と戻り、その枕元に佇む奴に。
愛おしそうにその髪に頬に手を伸ばすあの男に。
お前にあんな深い怪我を負わせておきながらと。

奴にそうさせることを許すお前を揺り起したい。
俺を見てくれとどうしても伝えたくて仕方ない。
そうして初めて俺は奴と同じ立場で勝負できる。

あの男の、お前を見るあの目。
当然のように手を握るあの掌。
今にも屈み、口づけそうな唇。

本当に限界だ、ウンス。
俺はお前の病室の扉の外、頭を抱えて息を吐く。

 

 

 

 

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