2014-15 リクエスト | 香雪蘭・7

 

 

さすが王様の姉君、翁主様のお邸だ。
歩く庭は大層広く、四季の木々や花々が美しく配されている。

その中を進みつつ、半歩先を行くハナ殿へ声を掛ける。
「昨日はありがとうございました」
「こちらこそ、姫様が大喜びでいらっしゃいました」
ハナ殿がこちらを振り向きながら笑んだ。

「チュンソク様と市を歩けた、共に買い物ができたと」
「・・・そうでしたか」
「チュンソク様」
「はい」

突然改まったハナ殿の声に、怪訝な思いで声を返す。
「姫様は、本当にチュンソク様をお慕いしていらっしゃいます」
「ハナ殿」
「あのような御方ゆえ、チュンソク様は誤解されておられるかと」
「それは」
「私は姫様の乳母の娘。姫様の乳姉妹として畏れ多くも十八年、姫様のお側に控えております」
「そうでしたか」

そのような関係だったかと腑に落ちる。姉のような眼差し、言葉、振舞いの全て。

「姫様の事は誰よりも分かると、僭越ながら自負しております」
「ええ」
そうなのだろう。俺の言葉を聞き、ハナ殿は何も問わず語らずにすぐ動いていた。
俺のためではなく、あの幼子のようなキョンヒ様の耳に余計な事が届かんように。
あれは相手を守ることが身に染みついている者の動きだ。

「翁主様の娘姫様として世間の風に当たる事もなく、お邸内で蝶よ花よとお育てしてきたお方です。
その無邪気さに時折、ほとほと手を焼くこともございます」
そう言うハナ殿に、俺は頷いた。
「良く分かります」
目を見交わし、俺たちは苦く笑みあった。
「それでも私にとって、この命より大切な方です」
「はい」
「四年前、王様への拝謁の後、御帰宅された姫様のご様子がおかしかったのは、はっきりと覚えております」

春の景色の庭の隅、ハナ殿は微かに息を吐くと言った。

 

******

 

「お帰りなさいませ、キョンヒ様」

母が姫様の羽織るペジャをその肩から下ろしながら、声をお掛けした。
「うん」
「王様への御拝謁は滞りなくお済みになりましたか」
「うん」
「王様はご健勝であらせられましたか」
「うん」
「どんなお話をされましたか」
「うん」
「・・・姫様」

そのご様子に姫様の手を拭っていた濡れた絹布を止め、私は姫様の横顔をじっと見る。
「王様と、拝謁されていらっしゃらないのですか」
「うん」
「私の話を聞いていらっしゃいませんね」
「うん」

姫様は白い頬をぽうっと紅く染めたまま、焦点の合わない目で何処とも見えない方を見ている。
お熱のある時の顔とも違う。私は横で姫様を見ながら
「姫様」
お呼びして、お顔を覗き込んだ。
「何か、良い事がありましたね」

その声にようやく姫様の目が戻っていらっしゃる。
「ハナ、それがな」
姫様は上気したあどけないお顔で、首を傾げた。
「王様のところで、吃驚することがあったのだ」
「吃驚ですか」
「うん。王様のところで、近衛に会った」
「近衛の方ですか」
「うん。王様が婿取りをしろと仰せになられて、尼になるとお伝えしたら」
「姫様・・・!」

そんな事を、叔父上である王様に。
ひやりと背を冷やしながら、私は思わず小さく叫んだ。
それが本当になれば、どうなさるおつもりなのか。
素直な姫様がお心のまま発した声でも、王様のお耳に届いてしまえば真になるかもしれない。
元より王妃媽媽を連れて戻られたばかりの王様がどういう御方か、まだ私には分からない。
姫様をお守りする方法とて、まだ分からない。

「それは良いのだ、もうやめるから」
「え」
「尼寺に行くのは、もうやめる」
「・・・姫様?」

昨日まで降るように来る婿取り話に癇癪を起こして尼寺へ行く、尼になると叫んでいた姫様が。
突然の取り止め宣言に、姫様を挟んで向こうにいる母と目を交わす。

「何があったか、ハナに教えて下さいませんか」
気を取り直して訊くと、姫様は首を振った。
「駄目だ」
「姫様」
「夢は口にすると、叶わぬと言うではないか」

そう言って小さな白い手で、姫様はご自分のお口を押さえた。
「ははらハハひもひみふ」
だからハナにも秘密。
手で押さえたお口で、そう仰ったのだろう。
こうなればしばらくは教えて頂けない。仕方ないと息を吐く。

「では、いつか言っても良いと思われたら」
私は姫様のお顔を、丸い目をしっかりと覗き込んで尋ねる。
「ハナにだけ、こっそり教えて下さいますか」
お口を押えたまま、姫様はこくこくと頷いた。

この辛抱の短い姫様の事、何れ教えて下さるだろう。
私はそんな風に思っていた。

それでも、何も教えて下さらないまま、時は流れていく。

「姫様」

時折、忘れた頃を見計らっては声をお掛けする。

「王様のところでのお話、少しだけ教えて下さいませんか」
少しでもその話になると、あのおしゃべりな姫様がぴたりと黙り込み、御手でお口に蓋をしてしまわれる。
貝のようにお口を閉ざして、ふるふると頭を振って。
「ひみふ」
それだけ仰って。

桜の花びらの下でも。向日葵の黄色い花の下でも。
紅葉の紅い葉の下でも。白い雪の舞い散る下でも。

これは時間がかかるかもしれない。

そんな風に思い始めていた。
けれどまさかこれほどとは。四年もかかるとは。
そして想い人のこの方が出ていらっしゃらなければ、姫様はまだお口を割らなかったに違いない。

チュンソク様の前で手を握り、姫様を屋敷へとお連れする時、ようやくすべてを聞けると私は胸を撫で下ろしていた。
分からなければお守りのしようもない。

「あの方ですね」
無理にお屋敷へとお連れした後、姫様のお部屋で上座へと座られた姫様の前に私は端坐した。

背を伸ばし、その目をしっかりと見据える。
姫様はこの目から逃げられぬと観念したか、それとも想い続けた方に四年ぶりにお会いできた嬉しさか。
紅く上気したお顔で、潤んだ瞳でこくんと頷いて下さった。

私の横に同じく座った母が、姫様のご様子を伺いながら
「だからこれまで、御婿様のお話を断っていらしたのですか」
「だって妾は、もう決めていたのだから」

ああ、やはりだと首を振る。
あの四年前から決めていらしたのだ。
お一人だけで。お相手の迂達赤副隊長さまへの確認なしで。
一度お会いしただけの方を、御夫君とされると。

世間知らずにも程がございますと叱咤したい思いをこの掌の中、黙ったままぎゅっと握り締める。
姫様のせいではない。そうしてお育てした母、そうしてお仕えした私に全ての責がある。
萎れぬよう枯れぬよう、世間の風に当てず、温かいお部屋の中で大切な花のようにお育てしてきた。

お守りしなければ、そして応援しなければ。
この突拍子もない姫様を迂達赤副隊長さまがどう受け止めようと、お気持ちだけはお伝えしなければ。

「一度、お会いしただけなのですね」
「うん」
四年前の王様の御拝謁の後と同じく、姫様は上気したお顔で頷いた。
「何もお話していらっしゃらないのですね」
「うん」
「何のお約束も交わしていらっしゃらないのですね」
「・・・うん」
その目が少し悲しげに下を向かれた。

「その時は、どのようなご様子だったのですか。迂達赤副隊長さまは」
「妾が尼になるといったら、笑うたのだ」
「・・・はい」
「そして、優秀な武人だと、王様がお褒めになった」
「・・・はい」
「その時、初めてその顔を見た」
「・・・はい」
「目が、とても優しかったのだ」
「目が、ですか」
「うん」

姫様は、嬉しそうに笑った。
「武人は皆、恐ろしいばかりと思うておった。もう一人おった隊長は、虎のような目をしていたのだ。
でも、副隊長は」

思い出すように、何度も見た夢をもう一度見るように、姫様は微笑んだ。
その瞬間、私は黙って息を呑んだ。
今までに見たことのない、目の前の、初々しい女人の恋するお顔に。

もう、お止め出来ないかも知れない。
今まですべての歩む道で、常にそのつま先の石を先へ先へと回り込み、取り除いて来たけれど。
風が吹く前に窓を閉め、雨雪が降る前に覆いをかけ、冷たさが障らぬようにお部屋で守ったけれど。

「副隊長は優しく笑んだのだ。 そして困った様子で王様を拝した。
まっすぐに。あの目で妾を見てほしいと、思ったのだ」

ああ、ほら言わないことではない。
もう風が吹いているではないかと、私は重く息を吐く。
石ころだらけの途に、もう姫様の絹沓は踏み込んでおられる。
私に出来る事は何。
せめて大きい石を取り除き、風が冷たくないように祈るだけだ。
躓いて戻れば薬を塗り、萎れれば水を遣り陽に当てて。
背を撫で手を握り抱き締めた後、もう一度送り出して差し上げるしかない。
いつか姫様ご自身が、行く道に心より納得されるまで。

心を決め唇を引き結ぶと、私は姫様へ微笑んだ。
ハナがおります。何があろうとここにおります。

 

 

 

 

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