2014-15 リクエスト | 為虎添翼・8

 

 

事務所兼自宅として買ったこの家は、リビングスペースは広い。
2人掛けカウチの角、1人用のソファをL字型に置いてある。
私たち3人は一瞬そのソファの前で固まる。考えてる事はきっと同じ。
どんなふうに座る?

ひとまず私はキッチンに、コーヒーを淹れに行く。
マグを3つ持ってリビングに戻ると、案の定オッパは1人用ソファに。
そしてあの人は2人用カウチに座って、無言でドアから入る私に目を当てた。
「どうぞ」

コーヒーをそれぞれの前に出して気が付く。
「コーヒー、大丈夫?」
私があなたにそっと聞くと、あなたは微かに顎で頷く。
そしてあの黒い目を横のオッパに当てた。オッパがその目を真っ直ぐに見返す。

2人の間に不思議な空気が流れる。 緊張感、それは勿論ある。だけどそれだけじゃない。
もっと最低な、険悪な雰囲気になると思ってたのに。
2人ともいい大人だし、万一取っ組み合いをするなんて考えてもぞっとするけど。
でもそういう気配は全くない。何だろう、この雰囲気。

「イ・ジェウォンです」
オッパがそう言って、この人を真っ直ぐに見る。
「チェ・ヨンと申す」
この人がそう返し、オッパを見つめる。
「チェさんの御家族は、歴史がお好きですか」

その質問の意味は私には分かる。この人には分からないはず。
案の定、首を傾げるこの人に、オッパが静かに言葉を重ねる。
「有名な高麗時代の、チェ・ヨン大将軍と同じお名前なので」
その言葉に、この人が首を振る。
「某はそのような者は知らぬ」
その言葉に、オッパが微笑む。
「それにしては、話し方も堂に入っていらっしゃいますね」

密かにからかうみたいなこの話し方はオッパの癖。その話し方にあなたが目を眇める。
怒ったのかと、ひやりとしながらこの人を見る。
でもそこに浮かんでいるのは怒りじゃない。
むしろ不思議で堪らないと言いた気な、何とも言えない戸惑い。
私はその会話の取っ掛かりを聞きながら、ソファセットの脇のデスクの椅子に腰掛ける。
2人から見て、丁度コの字の最後の一辺になるように。
その私の動きを目で追ったあの人が座った私を見て息を吐き、もう一度オッパに目を当てた。

「して、イ殿はこの方の何か」

その単刀直入な問いかけに、オッパは驚いたように僅かに目を瞠った。
そして続いて息を吐きながら答えた。
「婚約者です。少なくとも、僕はそう思っている」

オッパのその答えに、この人は喉元で息を止めた。

 

******

 

突然響いた音、呼び声、続いて扉を叩く外からの気配。
そこにいる者が心よりこの方に想いを懸けているとすぐに察しがついた。
男があのように女人の名を往来で叫ぶ理由など、ひとつしか見当たらぬ。
それは強い恋慕の情だ。己に置き換えても判る。

しかし目の前の男を初見した瞬間に、胸内に湧いたこの思い。
そして男が呟いたあの不可解な一言。

何故此処に

お前がいる場所ではないと言いた気なその問いは、どういう意味だ。
こちらを誰何する前にそれを言うのか。それが天界の則なのか。
故に問うた。お前はこの方の何なのだと。男は返した。婚約者だと。

「婚約者」
不穏な響きのその言葉を鸚鵡返しにする俺に目を遣り、あの方が言い直す。
「・・・許嫁のことよ、でも」

その言葉に強く瞼を閉じる。閉じた瞼の裏、形にならぬ多彩色の点が躍る。
眸の奥が心と同じだけ真暗い闇の色になってから、俺は瞼を開いた。
「そうか」

それだけ言って頷くと、声をかけたのはあの方ではなく目の前の男だった。
「ご気分が悪そうだ。少し休まれますか」
「心配無用」
そう呟くと、男は言葉を続けた。
「ウンスと知り会ったのはもう幼い頃です。父同士が仲の良い友人でした。
僕の父はすでに他界していますが、その際もウンスの御家族にはお世話になった。
父が生きているころ、ウンスのお父様と約束していたそうです。
子供同士を結婚させて、本当に家族になろうと」
「オッパ」
この方の抗議の尖った声を制したのは、俺が挙げた手だった。
「で」

そう促す俺に苦く笑むと、男は俺を見直した。
「特にウンスに約束はしていません。プロポーズをしたこともない。
ただ妹のように、親友のように、同士のようにいつも一緒に過ごして来た。
大学でも先輩後輩として、そして仕事も同業ですから」
「イ殿も医官か」
その俺の問いに、男は頷いた。
「医官、ええ、まあ。医者です」
疑惑はさらに深まる。

「イ殿は、気功や点穴には明るいか」
「いえ、東洋医学や韓医学は専門外です。僕は心臓外科を」
「心」
「ええ、チェさんは東洋医学にご興味をお持ちですか?」
「・・・いや」
「僕は子供のころ、同じく医師だった父の都合で、世界中を回りました。
医療技術の遅れや、費用の面で苦労する患者や家族を見ました。
患者の苦しみが無駄に長引くようなケースが多すぎます。
本当はMSFに参加したかったのですが、その直前に父が亡くなったので。
結局後を継ぐために今の病院に、そのままの流れで囚われの身です」

天界の言葉に溢れたその話の仔細は分からぬ、
しかしこの男の言葉、思い起こさせぬか。
初めて会ったあの頃のあの男。翌日王命を賜る筈の侍医チャン・ビンを。

何故この方は気付かぬのだ。確かに姿形は全く違う。
似通うのは、その丈高さのみだ。
しかしこの言の葉の端々は、そして肚に抱えたその想いは。

あのチャン侍医そのものではないか。

呆然とその顔を見遣る俺に、男が心配げな目を投げる。
「チェさん、本当に顔色が悪い。僕も失礼しますから少し休まれてはどうですか。
もしご自宅に戻られるなら、お送りします」
「いや、この方と話が」
心配げなこの方を見つめ、俺は男にそう告げた。
「案ずるな。この方に無体はせん」
その言葉に首を振ると、男は今一度苦く笑った。
「それは心配しません。僕はウンスを信じている。彼女は、彼女を手荒く扱う男を許しませんから」

腰掛けていた椅子から立ち上がり、男は最後にこの方を見遣る。
あの目だ。
いつも典医寺にて、この方の後ろから、懐手に鉄扇を握り護っていた。
この方の天の医術に感銘し、見逃すまい聴き漏らすまいと追っていた。
いつの頃からか、確かにその視線に愛おしさが混じっていると思うた。
だがそれを問いかける前に、あの男はこの方の解毒薬を護って散った。

此度はその想い遂げんとこうして出てきたか、侍医。

「ウンスヤ、もしチェさんが気分が悪くなれば、うちの病院へ運んでくれ。
今日は僕は非番だから、病院に直接連絡して」
そう言って、この方の細い肩にそっと手を置き、最後に男は呟いた。
「君に何もなくて安心した。本当に良かったよ」
そう言って目を真直ぐに見つめ、この方の頭を幼子にするようくしゃりと撫でた。

そして最後の挨拶なのだろう、こちらに向かい長い手を伸べて来た。
俺は長椅子より立ち上がり、気を開き、男の掌を確りと握り返した。

あの時のあの侍医の気を、今でも覚えている。
鉄扇を振るい、患者を治療し、時に俺を診、迂達赤たちを診た。
茶を淹れ、薬草を煎じ、書物を記した侍医の、あの気を持った手を本流とするならば。
支流へと枝分かれし、どんどんとその流れを細くし、時に地中に潜り、
時に岩や立木に堰き止められ、それでも細々と、脈々と続く川の流れのように。
今俺が握った手に流れている気は細くなり、薄まり、灰色の影のよう淡くなりつつも、
確かにあの、チャン・ビンの気だった。

それが分かり、俺は奴の手を離した。
そして部屋の入り口まで大股で進み、扉の影に隠して立てた鬼剣を背で庇う。
男は何も見えぬ様子で横を通り抜け、最後に玄関の扉内、軽く手を上げた。
そして入って来た折とは全く違う様子で、静かにそこを開け、外へと出て行った。

 

 

 

 

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