2014-15 リクエスト | 香雪蘭・11

 

 

「姫様」

敬姫様の殿の、恐らく寝室の扉の前。
其処に立つ年嵩の女人を示し、ハナという女人が振り返る。
「私の母、キョンヒ様の乳母です」
「え、じゃあハナさんは」
「姫様とは乳姉妹、十八年間お傍で仕えています」
「そうだったの、だからそんなに詳しいんだ」
「はい」

この方とのそんな会話の後、ハナ殿はその乳母であるお母上へと
「皇宮の医官のウンスさまと、チュンソク様の上官の方です」
「わざわざおいで頂き、ありがとうございます」
乳母殿が頭を下げるところを遮るよう、俺は足を一歩進める。

「医官が、敬姫様にお目通りを」
「どうぞ。中にいらっしゃいます」
そう言って部屋の扉へと向き直ると
「キョンヒ様。皇宮の医官様と、副隊長様の上官の方が」
「・・・入って頂け」
その声を四年ぶりに拝聴し、眉を顰める。
このようなお声だったろうか。
あの時王様の御前で尼になると断言したお声は大きく晴れやかで、何処までも高らかに明るかった。

病の時だ。そう思い直し開いた扉より室内へと踏み込む。
一歩遅れてこの方、そしてハナ殿が続く。

鎧戸で半分遮っても、春の陽射しはその影すら優しい色に変える力を持っているようだった。
淡い光と淡い影にと分けられた部屋内で、絹の布団に丸まった背中がこちらに向いていた。

如何に王様よりの御命令とはいえ、やんごとなき若い女人の寝姿を目にする気まずさは拭い難い。

大儀そうにその上で身を回し、起き上がろうとする姫へとハナ殿が慌てて寄り、その背を支える。
敬姫様は手櫛で髪を整え、頭を下げた。

「見苦しい姿での対面で、済ま」
「ああああ!!!!」
突然上がった突拍子もない声に、ハナ殿も姫もぎょっとしたように声の主のこの方へ目を当てる。

「急に起きちゃ駄目、脳貧血を起こしちゃう。 寝て下さい。静かにね?」
この方はそのままぺたりと尻餅をつくと、床を膝でいざりながらずりずりと姫へ寄る。
「いい、ハナさん。そおっと、キョンヒ様を横にして?」
「は、はい」

ハナ殿が支えていた姫の肩と背に回していた手でゆっくりと、そのお体を布団へと戻す。
「そうそう、上手上手。そしてキョンヒ様」
「・・・・・・はい」
「私はウンスです。初めまして。ユ・ウンスです」
「初めまして、ウンス」
「初めまして。そしてこっちの大きい人は、覚えてますか?昔一度、王様のところで会ったそうですね?」
「チュンソクの、上官の」
「そうです。チェ・ヨンさんです」
「チェ・ヨン」
「は」

呼ばれた俺は静かに腰を下ろし、眸を逸らして頭を下げた。
「覚えておる、王様の御前にて」
敬姫様は横になったまま俺を見ながら、懐かし気に笑われた。
「相変わらず虎の目をしておるのぅ。 チュンソクと、は・・・・・・」

そこまで言った敬姫様の目が潤み、涙が目尻から枕へ糸を引く。
「チュンソクのあの目とは、やはり、違うのお」
「あ奴の目は、特別にて」

俺は姫へと静かに告げる。
「先を見据え、最悪を予期し、最良の道を探す特別な目です。
誰でも持てるものではございません」

俺の肚を読み、状況を判じ、この眸と同じ場所を目指そうとするあの目が、誰にでも簡単に備わるはずがない。
そして恐らくこの姫の肚を読み、言いたくない言葉を先回りして告げるあの目が、誰にでも備わるわけもない。
姫は知ってか知らずか、ただ懐かし気に幾度も頷いた。

その声を聞きながら、この方が敬姫様へと手を伸ばす。
「キョンヒ様、少しだけ御手を。脈診します」
その細い指へと真白な手首を預け、誰にともなく姫はぽつりと問いかけた。

「チュンソクは、元気か」
「・・・姫様」
ハナ殿が詰まったような声で呼びかける。
「風邪など、ひいていないか」
「典医寺には来てないですよ」
安堵させるよう、この方が首を振る。
「しっかり食べておるだろうか」
「・・・んー。心配なら見に行きましょうか?」

突然のこの方の提案に俺もハナ殿も驚きの余り声を失くし、その悪戯を企んだ子のような大きな笑顔、立てた指を見た。
そして姫が絹布団に横たわったままで、この方を見上げる。
「チュンソクが、嫌がるかもしれぬ」

立てた指を唇へと当てると、この方は声を顰めた。
「ちょっとの間、内緒で見るだけです。だからハナさん」
「はい、ウンス様」
「キョンヒ様がお元気になるまで、典医寺でお預かりできませんか?」
「・・・お待ちください、すぐに聞いて参ります」
ハナ殿がすっくと腰を上げた。

翁主様は乳母殿の伝言を、二つ返事でお許し下さった。
お伺いの文が家人の手で王様へと運ばれる。
王様よりお許しの文が折り返しで到着する。

しかし連夜の不眠と、何も召し上がっておらぬお体で皇宮大門を超え、典医寺まで歩いて頂くわけにはいかん。

「チュンソク隊長を呼んで」
「・・・イムジャ」
どうしてそう厄介な事ばかりと、強い目で諌めるが
「やだ、あなたが抱えてくのはぜーーったい嫌」
「そんな場合では」

声を上げる俺をその目で黙らせ、この方が小さく首を振る。
そして姫へと向き直り
「ごめんなさい、キョンヒ様。この人は私の大切な人だから、たとえキョンヒ様でも、やっぱり抱っこは困ります。
だからチュンソク隊長を呼んでいいですか?分かって頂けますか?」
「もちろんだ、よく判る」
「私が駄目って言っているからこの人は、キョンヒ様を抱っこして運べないんです。だからチュンソク隊長しかいないんです。
堂々と抱っこしてもらって下さい。私が言ったんだって。何も気にしないで」
姫は白い頬で僅かに頷いた。そして
「ウンス」

布団に臥せたまま呟いた姫に、この方が優しく顔を寄せる。
長い髪が布団に臥せる姫へと、柔らかく落ちる。
それを白い指で掻き上げ、項から脇へと一つに纏め、
「はい?」
そう言って、にこりと笑う。

「・・・ありがとう」
姫が小さく仰った。
俺はチュンソクを呼びに行こうと、黙って腰を上げた。

 

******

 

医仙と共に康安殿を飛び出た大護軍が再び飛び込んで来るまで、然程の刻はかからなかった。
トクマンとチンドンを引き連れた大護軍は、
「急用にて、迂達赤隊長を連れて参ります。代わりにこの者共らがお守りします」

その背後でぜえぜえと息を切らせる迂達赤二人を示して言った。
大護軍の声に王様は頷くと
「分かった。隊長、参れ」
俺に振り向き短くおっしゃった。
「は」
そう言ってそれぞれ一礼し、俺は黙って康安殿を飛び出る大護軍の背に付いた。

「いい加減にしろ」
康安殿を飛び出し回廊を全力で走る大護軍が低く唸った。
「俺がどれ程走ったか」
「申し訳ありません」
「最初からやるな」
「申し訳ありません、ついでにもう一つ」
「何だ」
「先に行っても良いですか」
「・・・行けよ、行けるなら」
「では」

俺は初めて、走る大護軍の背を追い越した。
絶対に後で足が痛む。体中ぼろぼろに痛むかもしれん。
それでも今の痛みよりましだ。

回廊を全力で走る俺を、すれ違った武閣氏がどう見たか。
大門を駆け抜ける俺を、禁軍の守りの兵達がどう見たか。

そんな噂が聞こえてきたのは、それよりずっと後の話だ。

 

 

 

 

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