2014-15 リクエスト | 香雪蘭・13

 

 

軽くなってしまった体を抱き、典医寺へと向かう。
春の夕日の中スゲチマを深く被り、顔を隠した腕の中の方はただ何もおっしゃらず、小さく浅く息をしている。
眠っているか起きているかも、スゲチマ越しには分からない。

大門を超える時も既に連絡済なのだろう。
門の守りの誰一人、女人を抱えた俺の足を止める兵はない。

辿り着いた典医寺、診察室とは別に設えられた寝室の寝台の上に、抱えて来たキョンヒ様をそっと静かに置く。

「チュンソク」
寝台に臥せた小さい体から、囁き声がする。

「明日、会いに来てくれるか?」
部屋を出ようとしていた俺は、そこで足を止め振り返る。

「顔を洗って待っていてください」
その声に
「・・・果し合いか」
大護軍がぼそりと呟く。
「それなら洗って待つのは顔ではなく、首です」
憮然として返すと、部屋の皆が吹きだした。

部屋を出たこの背に大護軍の声がかかる。
「これであの方も、しばらく典医寺で付ききりだ」
「ありがとうございました」
その声に俺は頭を下げた。
「俺も暫し兵舎で寝泊まりする」
「は」

春の夜。こうして歩いても空気は温かい。朧月が東の空の雲間から覗いている。

俺の一歩前を歩きながら、大護軍が静かに問うた。
「何を言おうとした」
「は?」
「あの時、姫の前で」
「医仙が飛び込む直前ですか」
「ああ」
「元気になれば、相応しい方とお倖せにと」
「・・・そうか」

温かい春の闇の中へと、大護軍は息を吐く。
その後にそれ以上言葉が続く事はなかった。

朧月の下で俺達は二人、兵舎への帰途を無言で辿る。

 

******

 

「医仙」
翌日の昼。典医寺のキョンヒ様の寝室を設えた棟の入口で声を掛けると、扉が開き医仙が静かに出てきた。

「チュンソク隊長」
囁いた医仙が人差し指を口に当てる。
目で問うと医仙は視線であの方の寝室の扉を示し、こちらにやって来る。

そして目の前でいったん止まり
「今、うとうとしてらっしゃる。チュンソク隊長にはキム先生の話を聞いてほしいの、一緒に来てもらっていい?」

そう囁いて先に立ち、診察棟へと歩きだした。
後に従い歩きだす前に一瞬、部屋の扉を確かめる。
離れてしまって大丈夫だろうか。ハナ殿もおらず、慣れん典医寺の部屋に一人で置いて。

「チュンソク隊長?」
数歩離れていた医仙が後に続かぬ俺に気付き、声を掛ける。
「はい」
返答し、最後にもう一度扉を見てから踵を返す。
そして前を行く医仙の背に追いつくと、その後に俺は黙って従った。

「今は帰脾湯を処方しています。食欲の回復を助け、寝つきを良くし、心の緊張を解きます」
キム御医の声に頷く。
「併せて鍼治療も行っています。お若いので、それほど待たずに効果は出てくると思います。ご安心ください」

典医寺の治療室で二人きり、向かい合うキム御医はこちらに微笑んだ。
医仙は離れた逆奥の診察台で、何やら盛んに手を動かしている。

「むしろ隊長の治療が必要そうですね。緊張していらっしゃるようです。脈診しても良いですか」
御医の問いかけに首を振って断る。
「結構です」
「辛くなったら、いつでもお越しください」
御医は椅子から腰を上げ、俺もつられて立ち上がる。

「まずよく眠って頂く事と、徐々にでも召し上がって頂く事。
今はそこまでを目標に。ウンス殿がおられるとはいえ、慣れぬところでお一人ではお寂しいかもしれません。
隊長もお時間があれば、なるべくお顔を見せてあげて下さい」
「顔を見せる、ですか」
「お嫌でしたら無理してはいけません」
「いえ、そういうわけではなく・・・」

キム御医の声に首を振る。決して嫌なわけではない。
そうではなく、あの時の話が原因でこうなったのだ。
その俺が目の前にいては逆効果ではないのだろうか。

この肚の戸惑いを見透かすかのように、キム御医が息を吐く。
「隊長」
静かな声に御医へと目を遣ると
「もうしなければいいのです。悔いていらっしゃるなら」
「え」
「委細は存じません。けれど隊長が気鬱でおられる事だけは、拝見していて判ります。顔色からも、目の色からも」

千里眼だろうか、この御医は。
その時トギが膳を抱えて、診察棟へ入って来る。
そして医仙にそれを見せると医仙はトギへと頷き返し、続いてこちらへ首を回した。
「チュンソク隊長」
「はい」

呼ばれて振り向くと
「ごめん、私はこれから診察があるの。これキョンヒ様に持ってって、食べさせてあげて」
トギがその声にこちらへすたすた歩いてくると、俺の両手へ膳を渡す。
そして空になったその手をしきりに動かし、何か言っている。

詳しくは分からん。
「とにかく全部、召し上がって頂けば良いんだな」
確かめるとトギはこくりと頷いた。
俺は渡された膳を捧げ持ったまま、御医へと頭を下げた。御医は深く礼を返し、最後に微笑んだ。
「よろしくねー」
医仙の長閑な声に
「・・・はい」
頷いて頭を下げる。
温かいうちに。冷めぬうちに。そう思いながら俺は診察室を出た。

 

あの寝室へと急ぐ足を宥め宥め、ゆっくり歩を進める。
こぼしてはならん。腕に抱えた膳が揺れてしまわぬように慎重に。
それだけ考えながら、典医寺の薬園を進む。
キョンヒ様の寝室の棟の扉を肩で開き、膳を抱えたまま寝室の扉前へ立つ。
「・・・キョンヒ様」
外から小さく声を掛ける。声は返らん。
しかし召し上がって頂くよう言われた以上、膳を抱えて逃げる事も出来ん。
「失礼いたします」

どうにか片腕で膳を抱え込み、空いた指先で扉を開く。
万一にも失礼に当たらぬよう目を伏せ、室内へと静かに踏み込み
「キョンヒ様、膳が」
そう言っても一向に返らん反応に、そろりそろりと顔を上げる。

返らぬはずだ。寝台の上、キョンヒ様は目を閉じて眠っていた。
御医も言っていた。眠れるように、そして召し上がるように。

その寝顔を見、次に腕に抱えた膳を見て思案に暮れる。
どちらが先だろうか。
寝かせたままにするか、冷める前に召し上がって頂くか。

そう思いつつ音を立てんよう、静かに寝台の横の台へ膳を置く。
その後忍び足で椅子へと腰掛け、寝顔をそこから眺めた。
ハナ殿が傍に居らずとも、眠れるご様子なのは何よりだ。しかし寝てばかりでも体が持つまい。

静かな寝息を立てる寝台上のお姿へ、そっと声を掛ける。
「キョンヒ様」
呼び掛けに静かな寝息がふと止んだ。寝台の上、目がゆっくり開き、視線が俺へ流れてくる。

「チュンソクだ」
囁き声に俺は立ち上がり、頭を下げる。
「膳が届きました。召し上がれますか」
考えるキョンヒ様にじっと目を当てる。
キョンヒ様はこの目を見てから、うん、と小声でおっしゃった。

そして体を起こそうとしてまだ力が入らんのか、辛そうにしていらっしゃる。
「失礼します」
見ていられずにこの手で背を支えると、腕の中で笑って
「ありがとう」
礼を返すお声に首を振り、その背に枕を当てる。
「どうですか」
「うん、楽だ」

そのお膝に膳を載せようと試みるが、揺れるばかりで安定しない。
仕方ない。
俺は台を引き寄せてそこへと膳を置き直し、己の手で膳に添えた杓文字を持つ。

「申し訳ありませんが、お口に運びます」
その声に、頬を紅くしてキョンヒ様が頷く。
俺は膳の上の粥を杓文字に小さく掬い、桃色の口許に運んだ。

 

 

 

 

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