2014-15 リクエスト Finale | 紅姫竜胆・前篇

 

 

【 紅姫竜胆 】

 

 

その声で、私を呼んで。
あなたのものだと、ちゃんとわからせて。
どこにも行くなと、その声で甘く縛って。

だって最初から、そう呼んでくれたでしょ?

 

******

 

「・・・はぁ・・・」

その無言の大きな溜息に、俺は副隊長を振り返る。
「疲れたなら交代します。少し休んでいてください」

そう言うと目の下に真黒な隈を作った副隊長は首を振り
「あまりにいろいろあった。疲れているわけじゃない」

そう言って卓に肘をつき、掌で頭を支えると宙を見上げた。
確かに副隊長の言う通りだと、俺は頷いた。
刺客に襲われた王妃媽媽を救うために隊長は天門をくぐり、赤い髪が目にも鮮やかな天界の医官をお連れした。
そのご本人が構えた鬼剣で腹を貫かれ、ところが刺した当のご本人が続いて今度は隊長を助けろと叫び出した。
俺達は担架を組んで隊長を宿へと連れ帰り、天の医官はチャン侍医と共にその傷を治したうえ、何故か今は皇宮典医寺にいらっしゃる。

 

チュソクにうっかり聞かれたが、溜息も出ると言うものだ。
情けない事に、此度は隊長の肚が全く読めない。
天の医官をお迎えに行ったのは王命だ。連れ帰り治療に当たらせたまではいつも通りだ。

しかしその後、あの細腕が構えた鬼剣を避ける事なくそのまま腹に受けたこと。
そして隊長を担架に乗せ運んでいる最中に苦し気な息の下、血を流す隊長が言った言葉。

「イムジャに俺のことが、殺せるはずがない」

あれは俺の聞き間違えか、空耳だったのだろうか。
いや、そんな些末な事を考えるゆとりなど今はない。
隠してはいるが、相当悪そうな腹の傷。馬上の帰途、土気色だったその顔色。
心配が募り、頭の痛い事ばかりだ。

 

何で隊長は、あんな女の事をイムジャなんて呼んだんだ。
担架で運んで来た時も、翌日目が覚めて、俺達に命を出す時も。

約束どおり返さなきゃいけないから、それまでは俺のものだから。
ものならものらしく大人しくしておけって意味だよな。
きっと、そうだよな。それ以外の意味が、あるわけないよな。

俺は登った木の上で、万一にもあの女が兵舎に現れないように門の方角に目を凝らし、じっと睨み付ける。

 

突然小説だか、映画みたいな嵐に巻き込まれたことが不満。
時代劇がかった登場人物も不満だし、その設定だって不満。
食事が不満。寝床も不満。トイレも不満。不便な全部が不満。
私への扱いも、ぶつけて怪我した膝も、破れたパンツも不満。
何もかも不満。何もかも腹が立つ。

でもね、何が一番腹が立つって、患者が病院に来ない事よ。
医者がわざわざ、頼まれもせず、歩いて出向いて診察に行くなんて。
そんな状況が何より一番不満で、何より一番腹が立つのよ。

破れたパンツの膝下をクーパーでちょん切ると、世にも不格好な即席のサブリナパンツが出来上がる。

「いいわ、行ってやろうじゃない」

私はDAKSの青いバッグを、ぶんと振り回し腕へと掛けた。

 

あの天界の医員さまが脚を剥き出しに兵舎へやって来て、それだけでも度肝を抜かれるほどに驚いたのに。
無口な隊長がいきなりその方を怒鳴り、医官さまがぼろぼろ泣き、持っていた荷を隊長に向けて投げつけたのには正真正銘驚いた。

追い出された兵舎の外、テマンが悔しそうに唇を噛む。
「何だよ、どうしたんだよ」
俺の問いにテマンは首を振って
「何でもない」
そう言ってふいと背を向け、木に登ってしまった。

 

畜生。本当なら通したくなんてなかった。
あの女が兵舎に入って来ても俺が強く止めなかったのは、隊長を診るって言ったからだ。
隊長が血を流してると知っていたからだ。
部屋で見つけた布きれに血膿がべっとりついていたからだ。

もしも隊長に何かあったらどうしよう。
もしも父さんや母さんみたいに、隊長がいなくなったら。
二度と俺の名を呼んでくれなくなったら俺はどうしよう。
うるさいトクマンの声を避け木に登って一人になってから、ようやく俺は小さく震えだした。

 

医官様が消え、隊長が消え、チュソクが消えてからもう何日経った。
一日一日が気が遠くなるほど待ち遠しい。
なの俺たちは何もできず閉じ込められ、手足とも呼べる武器を全て取りあげられ、悔しさに立ち尽くしている。

こんなことなら副隊長に背いても此処を破り、隊長に合流して大盗賊になった方が余程ましだ。

あの隊長のことだ、治ったばかりの体で無理をしてるに違いない。
外に出入りできるテマンが朗報をもたらすと信じるしかない。
そう信じていたのに戻ったあいつが言ったのは、隊長が江華島で官軍と捕えられたという信じたく無い話だった。

俺なんかどうなったっていい。隊長のところに駆けつけてそこから救い出すのが先なんじゃないのかよ。
いや、俺たちが騒げばその責は隊長に回る。
結局は隊長の首を絞めてしまう。だったら黙って、こうして待つしかないのか。
考えるのは得意じゃない。俺は槍を振り回し、隊長の背を追いかける事しかできない。

隊長。頼むから早く無事で戻って、もう一度短く命を下してほしい。
そうすれば何も考えず、それを聞いて、その背を追って、走る事ができるのに。

 

頭の良い人だ、必要ならばそれを下げる事も知っている。
自分を守る言葉や世辞は知らなくとも。
必要なものを見究めそこへ向かって走る、その足の速さは天下一だ。

なのに戻って以来の隊長の変わりようは一体何だ。
何故あの目が、いつも医仙を見ているのだ。
気付かれていないと思っているのだろうか。
いや、気付いていない奴も大勢いる。しかし気付いている奴もいる。

イムジャ。

あの時苦しい息を吐きながらそう呼んだ、あれは隊長の予感だったのだろうか。

 

俺はもう医仙を悪く言わない。医仙は隊長を生き返らせた。
その息を口づけで分け与えて、胸を押して生き返らせてくれた。
それだけでいいんだ。
もうそれだけで、医仙に一生かかっても返せない恩ができた。

隊長はいつだって、医仙を追ってる。
あの目で追いかけて陰から護ってる。
それだけでいいんだ。
もうそれだけで、命を懸けて医仙を守る理由になる。

 

あの方が苦しんでいる。
皇宮に連れ帰って以来。
もう笑わぬのか、俺のせいかと問うても絶対に口を割らない。
笑顔が減り、あの明るい声が途絶え、いつでも硬い声で。

焦りと胸が潰えそうな辛さに、深く息を吐く。

もうあの時死ねば良かったなどと思わない。
イムジャ、あなたを返すまでは絶体に護る。
生きて護り、必ず約束を果たす。
義務などではない。ただ幸せになってほしい。
例え俺のこの後の、全ての笑顔と引き換えでも良いから。
その分イムジャ、あなたに笑顔が戻ればそれで良いから。

一日一日深まっていく想いに、一日一日離れていく距離に、今日もあなたの笑顔を見たいと望み姿を探す。
一日一日すれ違う心に、一日一日減っていく残された刻に、今日もあの声を、赤い髪の影を追い掛け走る。

もう一度肩に寄り掛かり息を吐き、光る夜の雷の中に浮かぶ横顔を見つめたい。
慶昌君媽媽を笑わせたあの明るい声を聞き、調子外れの歌声を聞いてみたい。

俺達を笑わせる為に陰で泣いているなら、二人で雨の中を歩きたい。
頬に落ちた雨粒を拭くふりをして、拭ってやりたい。
雨で冷えた体を温めるふりをして、抱き締めたい。
この生き方しか知らぬ俺は、あなたにはふさわしくない。
敵を斬る事しか知らぬこの手は、あなたに触れられない。

それでも誰にも触れさせない。誰にも傷つけさせない。
あの瓶に閉じ込めて隠した、一輪の黄色い花のように。
殺風景なこの心に咲いたこの想いと一緒に、イムジャ、あなたを返すその日まで護る。
だからそれまで俺のもので、俺だけのものでいてくれないか。

 

 

 

 

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1 個のコメント

  • こんにちは。
    「殺風景なこの心」という表現に心動かされました。
    歌に出てくるフレーズのようです。
    今まで気が付かなかっただけで、自分の心もそうかもしれないな・・・・なんて。
    さらんさんの作品も大分読ませていだきました。
    一般公開の作品は、もうあまり残っていないです。
    いつか私にも非公開のお話しを読める機会がめぐってきますように。

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