2016再開祭 | 茉莉花・卅伍

 

 

「王様」
「うむ」
チェ・ヨンが声を改めて呼ぶと、王はゆっくりとその眸を見る。
「人貢について」
「雇い主に収める、奴婢の税だな」
「今一度お改めの機会を」
「人貢・・・」

呟く王が玉座の肘掛に頬杖を突いた。
「確かにな。所詮納めるのは、主が奴婢に支払ったものだ。結局は主はそれを掠めて、奴婢をただ働きさせている計算になる」
「は」
「課税の線も曖昧だ。今一度枢密院で僉議しよう」
「は」
「しかし此度は人貢を払う馬なのか、大護軍」

何と意地の悪い王だ。
無表情で石のよう固まる椅子の上のチェ・ヨンの耳に、楽し気な笑い声が響き渡った。

誰も知らないままで良い。裏でどれ程馬鹿げた取引があったかは。
面倒な娘との縁は切れ、判院事を王の側につけたまでは良いが、結局迂達赤に我儘な仔馬が一頭増えた。

今は休みたい。
虎でなく仔猫のように咽喉を鳴らすウンスを腕に、何も考えず眠りたいとチェ・ヨンは願う。
少なくとも底意地の悪い王の追及の手を逃れ、チュンソクが感謝の目で自分を見つめて来ない処で。

 

*****

 

人払いの王命で扉から離れて康安殿の廊下を守る迂達赤は、部屋の中から届く朗らかな王の笑い声に安堵の胸を撫で下ろし、互いに隣に立つ朋と笑顔を見交わしあった。
やはり俺たちの大護軍だ。どこか気難しいところのある王様を、ああして明るく笑わせて下さる。
だから俺たちはあの人について行く。御口にはせずとも王様ご自身が、笑って示して下さる。

その時廊下を慌ただしく駆けて来る太った姿に気が付くと、自分達の目の前を走る判院事を全員が目で追う。
危険な者ではない。しかしこれ程焦っているのは不思議だ。
転がるように走った判院事は最後の関門、康安殿の廊下の最奥でチョモとトクマンに行く手を阻まれると、目の前に立ちはだかる二人に
「大護軍が、い、いらしているのか」
丸い顔を青くして、顎も声も震わせながら尋ねた。

王と誰が面会しているかなど、この際問題ではないだろう。二人の男はそれには答えず黙って半歩前に出る。
トクマンの上げた大槍とチョモの剣と、何より無言の二人の視線に圧倒されて、判院事が廊下を一歩下がる。
私室の入り口から一切の気配が届かない場所まで離れた処で、トクマンが義理程度に頭を下げて口を開いた。
「判院事大監。お帰り下さい」
「大護軍と王様は、何の話をしておられる」
「王命にてお人払い中です。我々には一切判りかねます」

判院事は青い顔を更に歪めて、体まで震わせ始める。
「お、お人払い・・・」
トクマンとチョモは、不審な判院事の様子に顔を見合わせる。

その時廊下に立つ全員の目の先で、康安殿の扉が開く。
出てきたチェ・ヨンの姿にそれぞれが深く頭を下げた。
「大護軍!」

ヨンの眸に飛び込んで来る、迂達赤に足止めされた判院事。
全く煩い男だと、黒い眉が隠しようもないほど険しく寄る。
その足止めしているチョモとトクマンの許まで廊下を歩き
「お放ししろ」

短い声に二人が警戒姿勢を解き、それぞれ深く頭を下げると廊下の衛の立ち位置へ戻る。
そのまま判院事に黙礼し脇を通り過ぎたチェ・ヨンの背に
「待ってくれ、大護軍!」
判院事は叫ぶと、急いで後を追い康安殿の廊下を出て行った。

何なんだ、あの男は。行ったり来たり騒がしい。
迂達赤の精鋭らは遠くなる判院事の赤い官服の下、揺れる背中の肉を見ながら、不思議そうに首を傾げた。

 

「大護軍、大護軍」
煩いと怒鳴る事は出来ない。少なくとも皇宮内では。
苛々とその声を聞きながら、ヨンは無言で廊下を進む。
「大護軍、待ってくれ」

この男は自分の立場について、一切の衒いがないのだろうか。
恥も外聞もかなぐり捨て、人前で自分より下位の者の背を追うなど。

背に呼び掛ける判院事を無視して歩き続け、康安殿を離れて表回廊に出て。
ようやくチェ・ヨンは足を止めると振り返った。
「は」
「王様と、一体何のお話を・・・」

それが心配で転がるように駆け付けて、しつこく追って来た訳か。
ヨンは判院事の顔から視線を逸らし、肉の波打つ赤い官服の胸許に眸を下げる。

馬鹿にするな。一度忘れると口にしたからには、既に忘れている。
後先を考えられぬくせに執念深い。正にこの父にしてあの娘あり。
内心で呆れ返りながら、チェ・ヨンは初めて真直ぐ判院事と向き合う。

今まで見たいつとも違う鋭い眼光。
判院事は静かに振り向いただけのヨンに圧倒されるように後退った。

 

 

 

 

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