「はい、住職様」
息を弾ませて本堂の軒先に立ち、その女は住職に向けて頭を下げた。
その拍子に雨で濡れた頬に、長い髪が一束張り付いた。
「こちらのお客様はヒド様とおっしゃって、以前この寺にご逗留された事もある方だ」
「ヒド様、初めまして。パニャと申します」
女は次に此方へ向き直ると、俺にも素直に頭を下げる。
そしてその目が上がったのを確かめた時、頭の隅に引掛かるものがある。
この女の目を俺は何処かで知っている。
余程の事がなければ、斬る相手の事など調べたりはせぬ。
相手の命を背負うなど殊勝な事は思わぬし、まして相手の背負ったものを肩代わりしようなどとは夢にも考えぬ。
頼みを受け、話が折り合えば斬った。それだけの事だった。
其処には己の尺度だけがあった。他人の物差しは関係なかった。
ただ、一度だけ。斬った相手の野辺送りの葬列に偶然出喰わした事がある。
今日の雨景色よりぼんやり霞んだ灰色の記憶を辿る。
その中を老いた女の手を引き、少女とも若い女人ともつかぬ年頃の女が歩いていた。
「辻斬りだってよ」
「物騒だねえ」
「悪徳な真似をするからだ。自業自得ってもんさ」
俺と同じようにその列に行き会った通行人らは葬列の外で足を止め、忌むものを眺める目付きで口々に囁いた。
「あの男に野辺送りなんて」
「他人を泣かせて、自分は貯めこんでたって言うじゃないか」
「あの家族らも、それで良い思いをしたんだろう」
斬った己に正義はないが、ここまで罵られる犠牲者も珍しい。
しかしそぼ降る雨の中、家族に顔を見られて良い事などない。
笠を被り直そうとその縁に指先を掛けた時だった。
葬列の中で老女の手を引く娘が、ふと顔を上げた。
そして遠巻きに葬列を見る人波の中、確かに俺の目を捉えた。
あの男を斬ったのは夜中。周囲に人がいた筈がない。
いたならば必ず気付く。気付けばその者も生かすわけもない。
まして家族が斬られたのを見たなら、必ず騒ぎになったろう。
あの夜、周囲には誰もいなかった。
赤い飛沫が深夜の雨のように、密やかに地に落ちる音すら聞こえる静寂に包まれていた。
俺が斬った相手だと知っているのではないのか。
その目は俺を捉えた後に、確かに安堵したように目礼した。
確かにあの時の女の目だ。今よりも少しだけ幼かった頃の。
「パニャ」
住職は石のように黙り込んだ火鉢の前の俺を思わし気に見た後、軒下の女を呼んだ。
「はい」
「ヒド様が女人を一人探しておられる。お前、お手伝いをしてみるつもりはないかい」
「私で良いのですか」
女は少し驚いたように俺を見た。住職が勧めるからには、伝えた条件に合うのはこの女なのだろう。
遍照を知らぬ女。条件はそれだけだ。しかし、もしかしたら俺の過去を知る女。
少なくとも俺が斬ったであろう男の娘。
あの時の葬列の中の視線がそれを意味していたなら、そして覚えているなら、父を斬った仇について来るわけがない。
しかしパニャと呼ばれた女は嬉し気に俺を振り向くと、驚いた事にその顔に微笑みを浮かべ、弾む心を抑えきれぬ様子で頷いた。
「私で良ければ。何をすれば良いのでしょうか」
「本気か」
「勿論です、ヒド様」
問い掛けに迷いなく頷くと、浮かんでいた笑みが急に曇る。
「もしかして、私では駄目でしょうか」
「・・・いや」
「では、すぐに支度をして参ります!」
何故そんなに嬉し気なのか。あの葬列で俺を見たのは偶然か。
俺が頷くと女は一目散に、雨の庭を駆け出した。
そしてその途中、何を思ったか足を止め、くるりと此方を振り返る。
無表情の俺と鷹揚に頷いた住職を確かめると、次こそは振り返らずその背が精舎の方へと小さくなって行った。

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パニャは 気が付いているのかいないのか?
ヒドも気になるけど 聞けないわね
う~ん
パニャも 気が付いたんじゃないかな…