2016 再開祭 | 逐電・再

 

 

「・・・大護軍さま」

翌の明け方。
白み始めた初夏の空の下、晨鶏の声と共に門前に立った俺に比丘尼は静かに目を下げる。

「夜が明けたな」
「大護軍さま」
昨日比丘尼にされた通りに、今朝は俺が顎で白藍の空を示す。

「間違いなく」

そのまま比丘尼の声を待てば、心から申し訳なさげに頭を下げられ慌てて制す。
「止めてくれ、ただあの方に逢いたいだけだ」
「大護軍さま・・・」
「無理に連れ戻す事は無い。話だけで良い」
「大護軍さま、実は」

比丘尼はようやく顔を上げると、黒衣の袷を握り締めて言った。
「昨夜遅くか、今朝明け前か。奥方様が出奔されました。刻もはっきり致しません。
夜明けに御声を掛けた時には、僧坊は蛻の殻で・・・」

思いがけない報せの声に、思わず息を詰める。
「俺が昨夜、此処を訪れたことは」
「すぐにお伝え致しました」

昨日の口論だけならば、勢いで言葉が過ぎたと言えたろう。
互いに想いが先走り、ただすれ違ったのだと言えたろう。
頭が冷えれば。ただその想いで、一晩待ったというのに。

けれどこうして知りながら逃げたとすれば、話が変わる。
知っていて逐電したという事だ。間違いなく俺から逃げている。
俺が突き止めたと知る限り、あの方は此処には二度と戻らない。

「確りお預かりすると約束しておきながら、どのように御詫びをして良いか。
到底顔向けもできません」
「・・・気にしないでくれ」

典医寺で待っていれば良かったか。
いや、確実に訪れるだろう坤成殿で待つべきだったか。
いっそこのまま酒楼へ駆け込み、手裏房の手を借りて探し出すか。

一刻も早く逢うために其方を後回しにした事を、今更悔やむ。
後悔先に立たず。今からでも廻るしか無かろう。
「比丘尼」
「はい、大護軍さま」
「万一あの方が戻れば」
「必ず、大護軍さまにお伝えに参ります」

望みは薄い。それでもこうして当たりをつけるしかない。
少しでも立寄りそうな処には全て。

逃げられるものなら逃げてみれば良い。

追い駆ける。地の涯まで追い駆けて、必ずもう一度掴まえる。

昨夜の石段を今一度、此度は振り向かず走り下りる。
朝の陽の下、昨夜より余程暗い心を抱いて。

 

*****

 

窓の外の皇庭を覆う空は梅雨雲を拭ったように晴れ渡り、夏のような鮮藍に光っている。
「よく晴れたな」
「はい、王様」

窓の外からの陽射しに、眩し気に御目を細めたのが気に掛かる。
その御目を傷めぬよう、窓の薄紗を引こうと立ち上がった処で
「王妃媽媽」

扉向うから掛かるチェ尚宮の声に目を向ける。
「キム御医が参りました」
医仙がいらっしゃると思っていた妾の耳に届いた声に、横の王様の御顔も怪訝に曇る。
「・・・入って頂け」

妾の返答に扉が開き、キム侍医が静かに室内へと滑り込む。
そして卓を囲む王様と妾に気付き、その目が驚きに開く。
しかしすぐに平静を取り戻した侍医はいつもの如く穏やかな表情で王様へ、そして妾へと一礼した。

「王様がいらっしゃるとは知らず、御無礼を」
「いや、構わぬが・・・」
侍医はそもそも、王様の専属医。
医仙は妾を、侍医は王様を診察するものと、いつもならば役割が振られている。

侍医が妾を診察する時はよほどの大病や急病、さもなくば医仙が御留守の時と限られる。
「医仙はお留守なのか」

王様も同じ事をお思いになられたのであろう。
妾の胸裡を読むよう侍医に向けて尋ねられる。
「・・・はい、王様」
「大護軍は出仕しているようだが」
「・・・はい」
「では医仙のみがお留守か。典医寺での急用か」
「いえ」
「王妃は御存知だったか」
「いいえ、今初めて知りました。医仙は何も・・・」

王様の御下問に首を振ると、王様は先を促されるようにキム侍医を静かにご覧になった。
その視線に逡巡していたキム侍医が、意を決したように目を上げる。
「王様、実は」
「・・・どうした」

予想より遥かに深刻な侍医の声音に、嫌な予感で胸が軋む。
唯のお休みであれば、冷静な侍医がこんな声を上げるだろうか。
「医仙は、暫く伺えぬかもしれません」
「暫くとは」
「・・・王様」
「はっきり申せ。一体何なのだ」

棘を帯びた王様の御声に、キム侍医が諦めたように呟いた。
「医仙はどうやら、御邸を出奔したようです。現在は足取りすら掴めておりません」

侍医の声に王様と妾は同時に息を呑み、互いに目を見交わした。

 

 

 

 

7 件のコメント

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    さらんさん、おはヨンございます❤️
    あ….王妃様も知らなかったのね。
    些細?な夫婦喧嘩が周りを巻き込み始めてる!
    ウンス~お寺出てどこに行ってしまったんでしょうか…
    ヨン心配ですよね。
    ただでさえ目立つし…鼻っぱしも強いし問題起こさないといいけど…

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    あらまぁ ウンス 逃走!
    ヨンも(•́ε•̀;ก) 参ったなぁ…
    今に始まった事じゃないけど
    夫婦漫才?な 掛け合いから…
    ウンス家出! い、言えない
    (¯―¯٥) でも、 はやく 見つけないとね
    困った奥さまです。
    ウンスヤ~ 出てらっしゃい!

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    いつも楽しみ&癒しにさせて頂いています。
    先の見えないジェットコースターみたいですごく楽しみにしています。沢山のワクワクと、ドキドキ。でも、最後はスタート地点に帰れると信じています。
    暑くなりましたが、ご無理のない範囲で長く続けていただけると嬉しいです。

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    ウンス、やりますね……
    その気になったら、江南の美容整形外科で、いろいろな人と立ち向かってきた「女」ですから、思ったことはやり通しますよね。
    でも、昨夜、「二人はどんなに喧嘩しても一緒に寝る」「何でも話す」を思い出し、暗い夜道を帰っていったヨンを心配していました……。
    そんなウンスの出奔するところ・・、
    勝手に想像すると、○○に、○○る?
    可愛いウンスが、塀の外から、ヨンを心配していたりして。

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    ウンス 本気で怒ってる?
    あまり度を越すと 戻り辛くなる
    あ~でもあの性格
    後には引けない 戻れない
    ヨン早く探してあげて~

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    ウンスさん…何処に?
    この高麗で、ヨンから隠れる場所は?
    ヨンもお仕事が、手につかないでしょうね(^_^;)
    王様と王妃様にも知れてしまったし・・・
    さぁ~ヨンはどうする?
    さらんさん❤
    暑い日が続いてますが、お身体を労ってご無理なさらないようにね❤

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    さらんさま、お手の具合は如何ですか。。。
    今日も更新ありがとうございます♪
    でも、新しいお話の『逐電』におろおろしています
    しかも、出奔...家出以上ですわぁ(汗)
    何が原因か?興味津々です
    ヨン、しっかり探さないと大変ですよ!
    わたしの老Vistaちゃん
    きのう期限切れー?で、途を見失い?
    必死に探して、やっと伺えました。怖かったです。。。

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