2016再開祭 | 茉莉花・廿伍

 

 

「・・・コム」
「はい、ヨンさん」

庭に吹く風に夏の匂いがする。
東空を淡紅藤と鴇色の斑に染めて、朝陽が上り始める。
今日は一体どんな口実を設ければ良いのか。
思いつかずにコムを呼んでも、チェ・ヨンはその後が続かない。

朝早い宅の庭の片隅、厩舎の前。
男二人は其処に並び、互いに中を覗き込む。
見慣れた愛馬の黒鹿毛の凛々しい姿はない。
あるのは早朝から騒々しく馬房の中を跳ね廻る、栗毛の仔馬の姿。

昨夜のウンスの落ち込みようも判ると、チェ・ヨンは晴れた夏の明け空には似合わぬ重い息を吐く。
この馬か、それともあの親子か。
いや、そもそも王、そして皇宮の仕来りを重んじるばかりに判院事に強く出る事を躊躇う自分の責。

しかし全てがうまく回っても、ウンスを悲しませては何の意味もない。
王の盤石の礎が揺るがず、公主と儀賓の面子も潰さず。
かつ判院事が王に絶対の服従を誓い、助力を惜しまぬような恩を売る。
そんな事を考えるから結局こうなったのにと、ヨンは未練事を考える己自身に呆れ果てる。
そんな事を考えるから今、自分は面倒な仔馬を厩舎に繋ぎ、煩い少女に付き纏われている。
一人きりの愛する女人を悲しませ、一頭きりの大切な愛馬を手放して。

コムは苛々と空を見るヨンの視線を追うように自分も空を見上げると、巨躯に相応しい大声を上げた。
「ヨンさん!」

普段は口数も少なく、穏やかで寡黙な男だ。
ヨンは突然の大声に驚いて、空を見上げていた視線を戻す。
コムは空を見上げたまま大きな両掌の指を組み合わせると、腕を頭の上へ思い切り伸ばし気持ち良さげに伸びをした。
唯でも上背があるところに長い両腕が加わり、その姿はまさしく昊天の青にまで届きそうだ。
うーん、と長い呻き声の後、ようやく腕を下ろしたコムはもう一度ヨンを見た。

「考え過ぎはいけません」

丈高い男は周囲に多いが、こうして目線を上げなければ顔が確かめられないのはコムだけだ。
顎まで上げる程ではないが、その目の高さは明らかに自分よりも上にある。
二つの目がかち合ってから、コムはその目で微笑んだ。

「昨日思いました。ヨンさんらしくない」
「・・・俺らしく」
「必要もない杭を打たせて。口実としては良いですが」

コムは昨日庭木の周囲に打ったばかりの木の杭を目で示すと、困ったように頭を掻く。
「ヨンさんらしく行かないと」
「俺らしく・・・」
「そうです。俺は迂達赤の皆さんのように、ヨンさんを長く知ってはいませんが」

コムは馬房の柵の上を超えて悠々と手を差し入れると、跳ねる仔馬の鼻面を優しく撫でる。
「仔馬に冷たいのも、口実を探すのも、俺の知るヨンさんらしくない」
大きな掌に撫でられて、跳ねていた仔馬はようやく脚を止めると、じっと大人しくなった。
そこで柵向こうから手を引くと、コムの微笑みが困ったように曇る。
「ましてウンス様を悲しませるなんて、一番ヨンさんらしくない」
「・・・そうだな」
「生意気言って、すみません」

頭を下げる巨きな男にヨンは首を振る。
そうだ。自分らしくないのが、この居心地の悪さと苛立ちの原因だ。
仔馬に罪がないのが判っていて八つ当たりのように冷たくするのも。
少女を侵入を拒む名分の為だけに、庭に必要のない柵を拵えるのも。

何よりウンスを泣かせるくらいなら、いつでも皇宮を出れば良い。
引き換えに出来るものなどこの世に何ひとつない。
王だろうが公主だろうが、ウンスとは比べるべくもない。

結局のところ父上の残した言葉通りなのだとヨンは思う。

答はいつも簡単に出来ている。

そして自分が取れる道も突き詰めればこれしかないのだ。

正面突破。

ヨンのそんな心中を慮ったか、コムに明るい笑顔が戻る。
「でもヨンさんらし過ぎるのも困りものです」
「何故」
「ヨンさんらし過ぎるから、ウンス様が怒る」

それが何の事を言っているのか、心当たりがあり過ぎる。
思い出したチェ・ヨンが思わず顔を顰めると、コムは再び明け始めた夏空を見上げ、大きな声を立てて笑った。

 

*****

 

「言ってみた」

朝餉の支度に追われる厨に裏口から入って伝えると、立ち働くタウンが手を止めてコムに頭を下げた。
「ありがとう、チャギヤ」
「うまく行ったかどうか・・・」
改まって妻に頭を下げられ、コムは頬を染め自信なさげに首を振る。
タウンは大きな夫が入って来たばかりの裏扉の先を心配げに見るのを確かめると、握っていた包丁を俎板の上に置き、その大きな手を握り締めた。

「大丈夫。私たちの知る御二人なら」
「そうだな」
「ウンスさまがあんなに泣くほど、大護軍の事を想っているんだから。あの時の大護軍の御顔・・・」
コムもタウンも思い出したか、高さの違い過ぎる目を見交わして思わず同時に笑いだす。

きっと酔いに任せて忘れているのはウンスだけだ。
そして知っているのは自分達だけだろう。
いや、もしかしたら手裏房も知っているのかもしれないと、タウンは思い当たる。
けれど大丈夫だ。タウンには確信がある。
チェ・ヨンとウンスの二人を知る者が、間違ってもヨンの恥になるような事を吹聴して回るなどあり得ない。
命懸けで二人を守る事はあっても、恥を晒すなど到底考えられない。

いつかお伝えする機会があれば。
朝の厨でタウンは夫と笑いあいながら思う。
機会があったら、ウンスに伝えたいと。

ウンスさまがどれだけ大護軍の事を愛おしく思っていらっしゃるのか知っていますと伝えたい。
天人だろうと医仙だろうと関係ない。愛する人と一緒にいたい気持ちはどんな女も変わらない。
それが判るからこそ、ウンスもあの少女に冷たくしきれないのかも知れないとすら思う。
あの夜あんなに泣いたウンスの方が、よほど少女のようなのに。
庇ってあげたい。守ってあげたい。大丈夫と言って差し上げたい。
大護軍は誰よりウンスさまを大切に、宝玉より大切に思っているだけなのですと教えて差し上げたいと。

思い出すだけで可愛らしくて、でも胸が苦しくなって、タウンが小さい息を吐く。
コムはその息に気付くと心配そうに、大きな掌でタウンの細い背をゆっくり摩る。
大きな掌に安心して身を委ねながら、タウンは思う。
御二人もすぐにこんな風になれますよ、ウンスさま。

 

 

 

 

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2 件のコメント

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    何故か?涙が出ました。読んでいくうちに、涙が出ました。何故なのか?言葉が見つからない。
    ウンスが羨ましいからか。二人が羨ましいからか?ヨンが道をみつけそうなのが安心したのか?
    ただ、胸が熱くなり涙が出ました。

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