2016 再開祭 | 馬酔木・結 前篇

 

 

疫病が開京で猛威を振るったのは、それから数年後のことだった。
私は出仕を始め、隊長と出会い、そして皇宮内は元という宗主国に揺さぶられ、王の首は毒など用いずとも既に幾度も挿げ替えられていた。

私の目にこの国の希望の光など、唯の一筋も見えなかった。
悍ましい薬室の方がまだ明るかったと思うのは皮肉なものだ。

ただ繰り返しの朝が来て、そして夜が来る。戦と疫病に疲れ果てた民も兵も、次々に斃れて行った。
稀に回廊で擦れ違う無表情な迂達赤隊長に、懲りずに声を掛ける。

「隊長」
そしてこう尋ねてみる。
「茶を飲みに、いらっしゃいませんか」

聞こえぬ風に受け流されるか、虫の居所が悪ければ鋭い目付きで一瞥されるか。
一言も言わずに回廊を離れていく隊長の鎧の背に溜息を吐く日々。

しかしその日だけは一体何があったのか、いつもの私の問い掛けに隊長は珍しくその沓を止めた。
いつもなら遠ざかる沓音に慣れていた耳は、静まり返った回廊に驚いたように聳った。
「・・・良かろう」

気紛れな方だ。
誘っておきながら私は密やかに苦笑を浮かべ、それが見つからぬように、はらりと広げた扇で口許を覆う。
そして此方の返答も待たず典医寺へ向かう隊長に並び、回廊の道を並んで戻り始めた。

 

*****

 

「疫病は」
典医寺の卓に向い合うや、前置きなしに隊長は切り出す。
成程。どうやらそれを確かめる為、誘いに乗って下さったのか。

私は頷き、卓にある東西大悲院から届いたばかりの報告書を隊長に向けて差し出した。
隊長は無表情のままそれを受け取り、開いて中に目を通す。
各郷の被害、死者、患者の数。
しかしそれらが正確とは限らない。実際にはもっと悲惨な状況という可能性も高い。

「医官の間に感染が多いのは仕方ありません。病人を絶えず診ておりますから」
「・・・・・・」
本当に口数の少ない人だ。口数どころかその低い不機嫌な唸り声を耳にする事すら難しい。
隊長は無言で頷くと、その書を最後にもう一度隅から隅まで読んで、こちらに向け卓上を滑らせた。

そして淹れたまま、未だに湯気の上がる茶碗を片掌で握ると、まるで酒盃でも煽るように唇を当てて顎を反らし、喉を鳴らして一気に流し込む。
そのまま音もなく茶碗を卓に戻し立ち上がった隊長を止めようと、私が口を開けた刹那。
私達が向き合っていた私室の扉が、遠慮がちに叩かれた。
「御医」

そこから一人の医官が顔を出すと、珍しい客人に慌てて深々と頭を下げた後、先刻の扉を叩いた音より控えめな囁き声で言った。
「御届け物でございます」

 

「・・・何だ」
届いた包の中には三冊の書。
黄帝内経や神農本草経、傷寒雑病論や本草経集注などという有名なものではない。
一冊目の表書には「毒歴上巻」と一言記されていた。

医官から受け取り中を確かめた私の顔色が変わった事に、目の前の鋭い迂達赤隊長が気付かぬ訳はない。
つい先刻まで茶を一気に呷り、今にも部屋を飛び出しそうに外だけ見ていた黒い瞳が、僅かに興味深そうに私と書とを行き来した。
「勘が外れていなければ・・・」

私はそれだけ言い、分厚い三冊の一冊に手を伸ばす。
「何だ」
再び問う迂達赤隊長の声が、苛立ちにささくれた。

勿体ぶる気など毛頭ない。
ただあの時この足許まで忍び寄った黴のような、澱のような黒い欲を再び目前にこうして突き付けられ、憂鬱な気分で肩を落とす。
あの折に明言した。読む気はない。手を染める気もないと。何故今になり、わざわざこうしてその書を送って来るのだろう。

一冊目を手に取って表紙の頁を捲ると、そこから一通の書簡が季節外れの枯葉のように床へと舞い落ちた。
私と隊長は同時にそれを目で追い、隊長は立ったまま御自分の沓の爪先にある書簡を拾い上げる。

封にすら収められていない、その剥き出しの文。
隊長の手許で光に透けて、其処に書かれた墨文字が裏から見えた。
拾い上げた隊長が此方へ返そうとして、偶然中身に目を止めるのも尤もだった。
「・・・侍医」

ざっと目を通すと、隊長は低く呟いた。
「迎えに行ってやれ」
ぶっきら棒にその書簡をぐいと私の手に押し付けると、隊長は今度こそ本当に何も言わず扉を出て行く。

私が呆気に取られているうちに、鎧姿は瞬く間に薬木の合間に紛れて消えた。
鎧が完全に消えてから己の目がそれを追っていたと気付き、私は我に返ると同時に、隊長に突き返された手許の文に目を通す。

そして次に音を立てて椅子から立ち上がると、部屋を駆け出た。

 

 

 

 

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3 件のコメント

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    ヨンとチャン・ビンの二人で、
    静かに茶を飲む時間…
    共に何を考え、次に何をしようとしているのか、
    想像すると、こちらの方が寡黙になりそう。
    でも、絵(画)になる二人。
    トギのお父さんの書物と手紙ですね。
    ヨンとチャン・ビンの二人が、考えを共にする瞬間かな。

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    こうして
    繋がって行くんですね(^^)
    ヨン。チャン侍医。
    テマン。トギ。そしてウンス。
    さらんさんのお話に
    いつも納得させられます(^^)

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