2016再開祭 | 茉莉花・廿陸

 

 

「チュンソク」

早朝の兵舎の吹抜けで、この刻には聞き慣れない声に呼び止められる。
最近のチェ・ヨンの出仕は、早すぎるのではなかろうか。
今日も普段より早く現れた鎧姿にチュンソクの眉が曇る。
愛馬を迂達赤厩舎に預けているとはいえ余りに早すぎる。
未だ朝の歩哨の交代前だ。
起床の刻を知らせる法螺の後、迂達赤兵舎は朝餉に向かう兵と早々に終えた兵とが入り交じる。
表の庭で交わす兵の騒めきの声が、朝陽の吹抜け内にまで届いている。
「大護軍」
しかし自分が早出の訳を問い質すのもおかしいと、思慮深すぎる男はそれ以上言えず口を噤む。

「おはようございます」
「おう」
チェ・ヨンの様子は、しかし昨日までと明らかに違う。
何かを吹切ったような清々しい顔でチュンソクを見ると、唇の片端を上げて見せる。
「悪いな」
「・・・は?」

突然言われても、続けるべき返答が判らない。
チュンソクは声を切ると、向かい合った無口過ぎるヨンの顔をじっと見つめる。

長い付き合いだ。いい加減、読心術の一つも使えるようになりたい。
この大護軍の副官を名乗り出る以上、他の誰より読まねばならない。
十のうち一しか口にしない男の心裡を。テマン程とは望めなくても、せめて迂達赤の中では誰より読めねばならない。

それなのに朝っぱらからこれだ。
滅多に、それどころかチュンソクの記憶にある限り、まず詫びる事などないチェ・ヨンの詫び。
稀有な態度の理由が判らないなど、あってはならない。
焦る気持ちで黒い眸を見詰めるチュンソクは、次にもっと信じられないものを見る。
チェ・ヨンが、先刻その片頬だけで笑んだチェ・ヨンが笑った顔を。
「て、護軍」

チュンソクは思わず息を呑んだ。
そんな様子を確かめたヨンは、却ってそれすら楽しむように頷く。
「おう」
「何があったのですか。悪いものでも食いましたか」
「・・・何故」

その声がいつものようぶっきら棒になった事に、逆に安堵する。
詫びも、笑みも、何もかもです。
言いたいが余りに失礼と思い、チュンソクは急いで口を閉じた。

「お前にも、敬姫様にも」
チェ・ヨンはまるで何かの諷示のように言う。
ということは恐らくここ数日チェ・ヨンを悩ませていた福々しい判院事と、娘に関わる事だろう。
チュンソクは当たりを付ける。そうでなくばチェ・ヨンの口から、突然敬姫の名が出る訳がない。
「大護軍」
「何だよ」
「俺達は、一向に構いません」

自分は勿論の事、きっと敬姫も同じ気持ちの筈だ。チュンソクは確信しヨンへ伝える。
皇位返上の騒動の一件以来、敬姫がどれ程ウンスを頼りにし慕っているか、誰よりも知るのは自分だと自負がある。
そして。

こんな事は口が裂けても言えないと、チュンソクは唇を引き結んだ。
そして恐らく自分が決めた道なら、あの天真爛漫で明るい姫は笑って頷き言うだろう。

チュンソクが幸せなら、それだけで良いのだ。

ヨンが珍しく詫びる以上、銀主公主や儀賓大監にも関わりのある事に違いない。
チュンソクは確信する。恐らく判院事に、そして娘に対し何か行動を起こすのだ。

自分達の事などどうとでもなる。自分達が足枷にだけはなりたくない。
もしそれが理由で敬姫が両親と仲違いをするなら、すぐにでも自分が仲介に出向く。
どんな事をしても詫びる。しかしもし万一、それでも許してもらえぬ時はそのまま
「チュンソク」
「・・・は」

ヨンの声に我に返り、チュンソクが彷徨っていた視点を合わせる。
瞬きをしたチュンソクの目を確かめたヨンが低く笑う。
「お前今、とんでもない事を考えたろう」

この人はいつでもそうだ。
肚裡を読むのはこれ程難しいのに、自分の肚裡はこれ程容易く読んでくる。
勝てるわけがないと息を吐き
「いえ」
チュンソクは首を振ると、精一杯の虚勢を張った。

考えたりしない。だから好きにして欲しいと思う。
いや、寧ろそれは願いに似ている。
どうか好きにして欲しい。何にも囚われず心のまま動いて欲しい。
大護軍が一旦決めた以上、その道に間違いがあるわけがないと。

長い付き合いだ。副官として厭という程よく知っている。
憧れて止まぬ目の前の男は、正面突破を決めた時が最も輝いている。
途中でどれ程こちらの肝を冷やしても、最後には判るのだ。
チェ・ヨンの正面突破こそが、唯一の正しい道だったのだと。

 

 

 

 

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