「悔やむって、何を?」
私の深刻な声に表情を改めた医仙に問う。
「医官になって、悔やんだ事はありますか」
あの頃。
父との放浪の旅を終え、その間に得た医術の腕が高麗まで知られていると聞かされた時。
知らない世界を見るのが楽しく、知らない言葉を学ぶのが楽しく、楽しいだけで学んできた筈の医術が、私を皇宮に縛りつけた時。
医の道を選んだ事をほんの僅かでも悔やまなかったと、胸を張って断言できるだろうか。
医官でさえなければ、ここに縛られる事も無かったのに。
天の医官でなければ隊長が探す事もなく、隊長と出逢わねば高麗へ連れ去られる事もなかっただろう。
高麗にいらっしゃらねば、こんな外出で自由だとおっしゃる事もなかったに違いない。
しかし私の問いに、その声はきっぱりと言い切った。
「ううん。私はずっと医者になる、って思ってた」
「何故ですか」
「え?」
「仁ですか。正義感ですか。それとも義務感ですか」
「まーさかあ」
医仙は大きく笑うと、濡れ髪を横に振る。
「あのね、チャン先生はこういうの嫌いかも知れないけど、正直お金よ。医者は儲かると思ったの。
幸い、なれる頭もあった。実際やったら体ばっかりきつくて、すぐ整形外科に移った。
整形外科ならよっぽど下手しない限り、人の生死には関係ないし。チャン先生こそ何で?」
そうだ、隊長が瀕死の時も同じようにおっしゃっていた。
「私は」
何故話そうとなどするのだろう。今まで誰にも話そうと思いもしなかったのに。
医仙が先刻おっしゃっていた、小さな声のせいなのか。
「自分の力を求めて欲しかったのかもしれません。救えるならば、一人でも多く救いたかった」
「先生らしいわ」
私の声に頷く医仙に、今度は私が独り言のように呟く。
「父と放浪していました。いろいろな国を。言葉を学び、人を学び、最も興味が持てたのが医術でした」
「そうだったのね」
「流れて行くのが好きでした。いろいろな景色を見るのが。
河が堰き止められれば淀むように・・・止まりたくなかった」
「でも今は、ここにいるのね?なにか理由があった?」
眼を逸らしたままの私の横顔に、医仙の視線が当たるのが判る。
それでもそちらを見る勇気はない。
荒れた廃屋の中。烈しい雨音。夜ほど暗い窓の外。濡れたままの衣。
今のうちに火をつけておかねば難儀する。
私は答えずに立ちあがり、部屋隅の煤だらけの竈へ歩く。
その横に辛うじて残る薪をくべ、懐内の火打石で火をつける。
雨で湿っていたのだろう。薪は煙を上げ、医仙が盛大に咳込んだ。
「こちらにいらして下さい。風上ですから」
私の声に咳込みながら、医仙が横へやって来る。
「火をつけるなら、そう言ってよ!」
煙のせいで涙を浮かべた目で睨まれて頭を下げると、医仙は何故か声を上げて笑い出した。
涙ぐんだり笑われたり、相も変わらず忙しい方だ。
笑う理由が判らずに、呆気に取られてその笑顔を見つめる。
「まじめすぎるのよ、先生。友達でしょ?正直に向き合うのが友達じゃない。
私が怒ったら、お前がそこにいるのが悪いんだろって言って良いのよ。
先生は火をつけてくれたんだから。何で頭を下げるの?」
「・・・それは」
「偉そうにしてて良いのよ。火をつけてやったんだ、って言えば良いのよ。悪くもないのに頭下げるなんておかしい」
「はい」
私が静かに頷くと、医仙は笑顔のままで真直ぐに目を覗き込む。
「ここにいるのが、つらいの?」
「そうではないのです」
「それなら良かった」
「辛いのは」
躊躇いに声を止める。
向かい合う医仙は燃え始めた薪の赤い火に照らされ、不思議そうに首を傾げる。
「辛いのは、医仙ではないのですか」
「え?」
思いもかけぬ事を聞いたかのように目を開いた医仙に、私は正面から尋ねた。
「先程、自由だ、自由だと」
「ああ、市で?」
「はい」
「だって自由でしょ?先生は優しいから買い物にも買い食いにもああやってすぐ付き合ってくれる。
チェ・ヨンさんじゃ、絶対無理。絶対怒り出すのよ。何が欲しいのですか、何故買い物などって」
その声音が余りにも似ていて、やっと気付く。
この方がどれ程に注意して隊長の声を聴いているのか。
そしてこの方は気付いていない。
「医仙」
「うん?」
「隊長は、他の者には絶対にそんな事をおっしゃったりしません」
そうだ。隊長は市に付き合えと言われれば黙って従うだろう。
その胸の裡で下らないと呟きつつ、黙って付き合うだろう。
そして終われば、無言のままで立ち去るだろう。
それが今までの隊長だ。私のよく知る迂達赤隊長だ。
何故と確かめるのは、知りたいからだ。怒っている訳ではない。
けれどそれを教えられる程には、まだ広い心になれない。
私の渡れない川を渡らせる橋を架ける程、親切な人間になれない。

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「友達でしょ…」 は そうなんだけど
チクッと 刺さるねー 侍医。
知らず知らず ヨンと侍医と比べる感じで
あぁ そうなんだ… って
テジャンもウンスも お互い想いあってるんだなーって
色んな話を語り合えても なんだか
せつないね。
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さらん様、いつも読ませていただいてありがとうございます。
さらんさんの言葉の表現力いつも、何て素敵なんだろうと私よりずーっと年下のさらんさんに感心することばかりです。
チャン先生の想い最後の私の渡れない川を渡らせる橋を架ける程、親切な人間になれないこのひと言に現れていますね。
切ないなぁ
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くーーー。・°°・(>_<)・°°・。
ヨン&ウンスが好きな私ですが、
チャン侍医も大好きな私(≧∇≦)
このお話は
もーもーーー
たまりません。
さらんさん、さすがです(≧∇≦)
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さらんさん、こんばんは♪
皇宮内では普段は話せない心の内を話したり、医者になる経緯やいきさつ、医者同士ならではの話もありますよね。
うん、ヨンはウンスになら悪態ついても付き合ってくれるでしょうね~
何故と聞くのは知りたいから、興味があるから!
確かに~
他の女の人にはそんな事思わないんだろうけどね*(\´∀`\)*:
「私の渡れない川を渡らせる橋を架ける程、親切な人間にはなれない」って言葉にぐっときました。チャン先生の心の奥の奥の声を聞けた気がしました。そして、ちょっとホッとしました。チャン先生の本心がずっと知りたかったからです。
とても良かったです。