2016 再開祭 | 彷徨・前篇

 

 

【 彷徨 】

 

 

月も昇らぬ昏い夜。灯を落とした暗い部屋。

何も見えぬように掌で眸を覆い、匂いを頼りに盃を握る。

窓の外では虫が鳴き、胸の中では女が泣く。

何故こんな事を繰り返すのだと、恨みがましい声がする。

今更恨み言を言われても困る。俺の声などもう届かない。

お前が彷徨うその彼岸、俺には決して立ち入れん。

何故なら俺が堕ちるのはその極楽で無く、黒い奈落の底だから。

 

*****

 

「ねえ、いつまで呑むの」

下らん事を尋ねる女だ。甘ったれた声に息を吐いて首を振る。

潰れるまでに決まっている。
強過ぎる酒に頭をぶん殴られ、昏倒するように倒れ込むまで。

部屋の中なら床の上、明けの帰路なら道端で。

開かない眸、立たない膝、少なくとも数刻は使い物にならない脚。
それがたまたま自分の上だからと、圧し掛かるのは止めて欲しい。

酒の匂いに混ざった白粉の匂いが鼻をつく。

酒に強過ぎるのも考えものだ。
吐き気がするのに吐けなくて、押し退けたいのに面倒で、目の前の首筋に噛みつく。

噛んで確かめ、そして咬まれて思い出す。

目の前の白い首にみるみる浮かぶ、夜目にも鮮やかな紫の汚点。
ああ、血が流れている。あれは肌の下の血の色だ。

そして咬まれたこの体を巡る鈍い痛みに思い出す。
ああ、心の痛みだ。体の痛みは薬で治すが心は何で治せば良い。

 

眠りの先はただ温かく、これ以上傷つけるものは無い。
俺を、お前を、逝った仲間を、そして師父を。

続く暗闇。あの頃の俺達が駆け抜けたような永遠の夜。
どれ程待とうとその空に、紅い月は昇らない。

 

何故こんな事になったのか、酔いの中で思い出す。

呑んだ。確かにぶっ倒れるほど呑みはした。
途中で女が含み笑いで何かを酒に入れた時。

盃の匂いを確かめて、毒でない事だけは判った。
女は言った。酔いでなく艶の滲んだその声で。

「死んだりしないわ。死ぬほど気持ち良いだけ」

判っていながら盃を煽った。死ねないのだけが残念だと。
この何処が死ぬほど気持ちが良いのか。
気持ちが良いのは上に跨った女だけだ。

「惚れ惚れするほど良い男」

跨って動く女が掠れた声で囁きながら、水音の中で息を切らせる。

闇夜の部屋内で貌が見えるか。
この眸にはもう何も映らない、あの頃は全て見えていた筈なのに。
叢に潜む刺客の影、抜く前に握る鞘の形、帆桁に仕込んだ隠し弓。

利かない鼻、働かない勘、聞きたい声だけいつまでも届かない耳。

勝手に独りで動き回る女が空を仰ぐ顎を下から見上げる。
揺さぶられる躰、髪が眸に刺さる。

鬱陶しさに顔を振る。
ついでに上の女も払い除けるように躰を起こせば、女から立ち昇る水音が深くなる。

因業だな。刺さる角度が変わっただけか。

その水音はあの頃皆と歩いた、真夜中の黒い沼地を想い出させる。

音がしていれば安心できた。皆生きて歩いている。
気を開けば、その足音の数さえ数える事が出来た。

良かった、皆がいる。数は減っていない。今夜は全員砦に帰れる。

闇夜の濡れた水音の中、女の最後の高い声がする。

勝手に逝け。女とはそういうものだろう。

そうして逝くと教えてくれたら、絶対に置き去りにはしなかった。
たとえ一瞬でも一人にはせず、必ず離れずに横で守っていたのに。

戻ると言った言葉を信用しなかったんだろ。
重荷なんかじゃないと心から伝えた筈だろ。

俺達は幼馴染で、そして家族だと思ってた。
いつだって俺の背はお前が守ると信じてた。

勝手に果てた女を今度こそ払い除け、夜中の部屋で腰を上げる。

開けただけの上衣を袷せ、眺める窓外に広がる空。
あの鞭のように撓る黒髪とそっくり同じの闇の色。

お前が憎い。あの声も笑顔も残した香も全て憎い。

胸に刻まれ癒えない思い出全て、受け継いだこの剣で斬れれば。

いっそ斬れればこの胸は、どれ程楽になるだろう。

 

 

 

 

ずっと気になってた事を是非リク版で…
何度もヨンが言っていた
ウンスを『今までの女とは同列に扱わぬ』と言っていた真意
今までの女はどんな扱いで…
若気の至り
ウンスに出会う前の女性遍歴(majuさま)

 

 

5 件のコメント

  • SECRET: 0
    PASS:
    さらんさん、こんばんは。
    リクに応えて下さりありがとうございますm(__)m
    読み手の皆様のヨンのイメージもあるので無理難題でしたよね(゚o゚;;
    ごめんなさい(´・_・`)
    心して大切に読ませて頂きます!!
    心の傷が痛々しいですね。
    酔えるはずもないのに思い出すのは先に逝ったメヒや赤月隊の仲間の事
    傷心で酒に溺れるヨンに漬け込む女… いそうですね
    酒に薬を仕込まれても、身体を繋がれても厭わない
    勿論女の顔なんて覚えていない そんな事に興味も無い
    癒やせる薬のない心に傷を負った無気力の中、日々酒だけを煽る痛々しい日々の光景が目に浮かびます…

  • SECRET: 0
    PASS:
    昨夜、このお話が載り読みました…。
    十分過ぎる大人の私が…大人のヨンだなあ…と、情景を浮かべました。
    赤月隊隊長の無念の死に哀しみ、仲間を喪い、メヒを喪い、哀しみに包まれるヨンが愛しく感じました。
    ウンスを愛する前の、男…としてのヨン。
    ヨンが、ウンスではない女と…
    でも、淫らなところは感じません。
    ただただ、ヨンの哀しみだけ感じました。
    酒を呑む目的だけで、酒のある店に寄っても、女はいる。
    媚薬…、飲まされたのでしょうか。
    それでも、ヨンの心は乾いている。女を求める心にならない。なれない。
    ヨンも、男…。心とは関係なく、自身が反応しているだけなのでしょう。赤月隊で仲間を喪ったのは、ヨンが22歳で迂達赤隊長になる前…。
    若い……ヨン。
    この後も、酒を求めると、女も寄ってきますね。
    また、ヨンの心と関係なく、自身は、一時その女のものになるのでしょう。
    さらんさんの描いたこの場面、難しい描写だったと思います。
    でも、ずしっと、ヨンの空虚な心を感じました。
    昨夜はコメントできませんでした。
    ヨンが愛しくて…。

  • コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です