2016再開祭 | 夏白菊・拾陸(終)

 

 

呼び声に戻った瞳に、視線を逸らして言うしかない。
「テマンだけです」
「はい?」
「そのように触れて良いのは」
「当たり前じゃないのー!他に誰をこんな風に触るのよ?」

あなたはテマンの髪から手を離すと、怒ったようにそう言った。
一先ずこの悋気は伝わったのだろう。触ったりしたら容赦せん。
医官として時には避けようがないかもしれんが、それ以外には。

「テマナ」
「は、はい大護軍」
「後ろから覆い被さる奴があるか」
「すみません、あの時は手刀を抜いたらムソンさんまで斬りそうで」
「まだまだだ」
「はい!」
「帰ったら鍛錬をつける。先ずは休め。良いな」
「はい!」
「ちょ、ちょっと待ってよ!」

テマンとこの方が同時に声を上げて俺を見た。
「私の弟でもあるのよ?勝手に決めないで。それに私が主治医だわ。帰ってすぐ鍛錬なんてダメ」
「いつならいいんですか、医仙」

俺が確かめる前に、テマンが自ら声を上げる。
「せめて1週間。7日。そこで創の具合を見るわ。完全にふさがってても、軽いスト・・・柔軟から。
その時期に無茶すると、後遺症が残る場合だってあるの。浅くたって簡単に考えちゃいけないの。
ヨンアが許しても、先に私に聞いてからよ」
「七日ください大護軍。その間は、ヒドヒョンに息を習います」
「ああ」

調息なら傷には響かんだろう。手裏房にはムソンも逗留する。
同じ場所に二人とも居るなら、迂達赤の守りも立たせやすい。
「待ってよ、だから経過を診てからだって!1週間とは限らないし」

慌てた大声と大きな手振りで、この方が俺達の話に割って入る。
「じゃあもっと早く治ることもありますよね、医仙」
珍しいテマンの正論に、その瞳が戸惑うように開く。
「そ、そりゃないとは言い切れないし、回復期間はあくまで平均値だから・・・でもね?」
「じゃあ俺は三日で治します。これくらいの傷は慣れてるから」
「だ、だけどねテマナ」

この方が言い淀むとは珍しい。やり込められる姿を見られるなど。
相手が怪我人のテマンでは、この方もいつもの調子が出ぬのだろう。
「大丈夫です。三日で治します」
やけに強情を張るテマンに
「無茶しちゃダメよ?3日したら、一度ちゃんと診せに来るのよ?もし来なかったら、私がトギと一緒に行くわよ?」

トギの威まで借りるとは、この方も切羽詰まっている訳か。
堪え切れずに込み上げる笑みを咳払いで誤魔化すと、鳶色の瞳が俺を睨んだ。
「何がおかしいの、ヨンア」
「・・・いえ」

仲の良い姉弟の遣り取りが。そう言いかけて唇を引き締める。
そして肝心のテマンは、トギの名を聞いて神妙な顔で頷いた。
「・・・無理は、しません。だからトギは・・・」
判り易い奴だ。俺もこの方も怖がらぬ男でも惚れた女人には弱いか。
困り果てたテマンの顔に笑い、横のこの方へ問い掛ける。

「今宵は此処に留まり、明日馬に乗れるようなら帰る。良いですか」
「明日の状態によるわね。あなたの敗血症の時みたいなこと、二度とイヤだもの」
「有り得ますか」
「外傷だから、よっぽどのことがなければ大丈夫だとは思うけど」

その声に安堵し寝台に伏せたテマンを見ると、奴も此度はそれ以上言わず、素直に頷き返して目を閉じる。
二度と斬られたりするな。俺の為に。そして大切なこの方の為に。
あんなに震える手で、二度と天界の医術の腕を揮わせたりするな。

目を瞑ったテマンを確かめて、窓外の雨音に耳を欹てる。
その中に不穏な足音は混じらない。ただ降り続く春の雨。
薄昏い部屋に静かに忍び込む湿った風。遠くない夏を感じさせる、肌に纏わりつく濡れた空気。

テマンの傷が治れば北方へ。夏前には国境隊への鍛錬が待っている。
その時もきっとこの方は俺の横、明るい声で奴らにも言うだろう。
生きろ、俺の為に。命を粗末にするな、俺の為を思うなら。
その温かい波紋は広がり続け、周囲に守る者は増えて行く。

そんな風に増え続け、気が付けば国中が家族だらけになりそうだ。
この方の声と医の腕を持ってすれば、そうなっても不思議はない。

「イムジャ」
「なぁに?」
思わず呼べば、何の思惑もない澄んだ声が返る。
この方は決して言わん。
それどころか思ってすらおらぬだろう、俺の為に大切な声を伝えているなどと。
「休んで下さい」

何度目かの声に、言い訳のしようもなくなった小さな頭が素直に頷く。
「うん、分かった」

まさかテマンと同室で、腕に抱いて眠らせるわけにもいかん。
部屋隅の空いた寝台を指すと素直に其処まで歩き、この方は横たわると瞼を閉じた。
「ヨンアも寝てね?」
「・・・はい」
「おやすみなさい。また明日ね」

何の気なしに明日を約束してくれる眠たげな声。
暗い部屋の中でも目に浮かぶ。
長い睫毛、白い頬、紅い唇、枕に流す亜麻色の髪の揺れる一本まで。
だから腕の中に居らずとも、今宵だけは辛抱する。

二人の静かな息を聞きながら椅子を持ち上げる。
二つの寝台の丁度真中へ置いて腰掛け、部屋向うの薬房の出入扉をじっと見る。
今はこうして護れる。怪我を負った弟、草臥れ果て仮初の休息を取るあなた。

しかし民の全てが家族になったら何処に立って護れば良いのか。
今まで考えた事すらない、そんな新たな悩みを頭の隅に抱えて。

 

雨交じりの風が、夏白菊の涼しい匂いを連れて来る。
その匂いのあふれる暗い部屋の中、医仙はすぐに眠ったみたいだ。

静かな息が聞こえて来て、どうすればいいか分からずに困る。
眠らなきゃ隊長を心配させる。でも二人のいる部屋に、俺もいてもいいのかが分からない。
分からないから寝台で、気配も息もひそめてみる。
枕元の椅子で石みたいにしてる大護軍ほどは上手くできないけど。

トギに告げ口されるのは困る。大護軍を悩ませるのはもっと困る。
だからせめて少しでも寝て、一日も早く治すしかない。
三日。俺なら治る。
山ではがけから落ちたり、怒った鹿の角に引っかけられて、もっとひどいけがをした時もあった。
今は姉さんみたいな医仙がこうして見てくれる。心配なんてない。

うつ伏せのままで見えるのは枕と、それが置かれた寝台だけだ。
鼻がくっつきそうなその寝台を、じっと見ながら考える。

家族。この世の誰より大切で、絶対に守りたいひと。
兄さんみたいな、父さんみたいな。
姉さんみたいな、母さんみたいな。
誰も代わりになれない、俺の命よりずっと大切な二人。

そのひとに寝ろと言われたから寝る。けがするなと言われたからもうしない。それに。
そこで思いついて、何だか胸がかゆくなる。
それに、ちゃんと治さないとあいつが来る。

医仙の言う通りだ。きっとあいつはすごく怒る。
怒られる分にはちゃんと謝れる。心配かけてごめんなって言える。
でもあいつはきっと泣く。怒りながら泣くんだ。
泣きながら怒って、背中まで向けられたら声が聞こえなくなる。
あの指の声まで聞こえなくなったら、謝ることも出来なくなる。
あいつに泣かれるって考えただけで、さっきまでかゆかったところが次にすごく痛くなる。

俺、どっか悪いんだろうか。斬られた背中より胸のほうが痛い。
医仙に胸が痛いんですって言ったら治るのかな。
医仙が間違えるわけなんてない。きっとすぐに治してくれる。

明日起きたら相談しよう。でも今晩は辛抱するしかない。
そして三日目にはちゃんと医仙に見てもらわないと、きっと本当にあいつを連れて来るだろうから、忘れないように。

それまであいつには秘密に、しといてくれるだろうか。
頭をかきむしりたいくらい困って、でもそんなことして医仙が起きるのも困って、どうしていいかわからない。
「・・・おい」
暗い部屋の中に、今まで全然聞こえなかった隊長の息が聞こえた。

「寝ろ」
俺が十年聞いて来た、たった一つの声。
兄さんみたいな、父さんみたいな、絶対間違えることのない短い声。

雨の音。夏白菊のにおい。隊長の声。あの時の山みたいだ。
変わったのはもう一人、俺の隊長が誰より大切にする家族が増えた、それだけだ。
「はい」

その声を追いかけてここにいる。今までも、そしてこれからも。
寝台の上でうなずいて、今度こそ迷惑をかけないように俺は目を閉じた。

 

 

【 2016 再開祭 | 夏白菊 ~ Fin ~ 】

 

 

 

 

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1 個のコメント

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    こんな時に 
    ヤキモチ焼いちゃう ヨン
    ( ´艸`) かわいいわね
    ウンスは 治療のためなら男性にも触るって
    わかってるし、 テマンは家族だし… 
    わかっちゃいるけどね
    でもさ テマンから ウンスに触れることは
    命が関わってる時以外 ないから~ 心配ご無用ね
    気になるあの娘には
    やっぱり 弱い? 
    ウンスよりも あの娘には…
    あ~ん はやく寝なさい!

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