2016再開祭 | 夏白菊・壱

 

 

【 夏白菊 】

 

 

「・・・振り向くな」

相当癇に障っているのだろう。
先刻から振り向くなと幾度言っても、奴は鋭い視線を投げそうになる。

温く強い夜風の中に、濃い新緑と雨の匂いがする。

はっきりとそう嗅ぎ取れるのは、周囲が一寸先も見えぬ闇のせいだ。
朝はあれ程の好天だったが今の雲は分厚く空を覆い、月も星も姿を見せる気配すら無い。
この墨夜では振り向き睨んだ処で、相手から見える筈もないが。

「で、でも大護軍」
「まだ判らん」

判らん。単に闇夜で行き合った唯の通行人かもしれん。
碧瀾渡の市中へ続く道。闇夜であれ人がいても不思議はない。

確かめる為に表通りを逸れ、細い脇道へと踏み込んでみる。
追跡の足跡がついて来るのを確かめ、疑心は確信へ変わる。

川石交じりのごろごろと不安定な足許で、相手は足音を忍ばせるのに苦労している。
こう派手に足音を立てるなら、少なくとも内功遣いではあるまい。

甘く考えていた。まだ完成までには暫し間があると踏んだ。
完成した処で王様へ奏上し、実物を御確認頂き、試射を重ねる。
その段まで漕ぎつければ、ムソンを外に置く訳にはいかぬと。

調合の秘法を知るのは、高麗広しといえど奴だけだ。
高麗にとっては咽喉から手が出る程欲しく、元にすれば如何なる手を使っても入手を阻止したいもの。
高麗では未だに独力では手に入れた事がなく、元にすれば高麗には絶対に渡す訳には行かぬもの。

火薬。
今この懐にはその逸物を詰めた筒が収まっている。
火矢でも射掛けられれば俺も、横のテマンも、恐らくは射掛けた当の刺客らも無事では済まんだろう。
敢えて川石を踏んで音を立て、狙いは此処だと追手に報せる。
そうしながら瞬時に考える。
「テマン」
「はい」
「ムソンの宅へ戻れ。奴を連れ出せ、急げ」

追手の可能性は三つ。
闇に紛れた夜盗であれば、ムソンのみすぼらしい宅は狙わん。
この懐の火薬が目当てならば、真直ぐに俺を狙って来る筈だ。
最悪なのは二手に別れ一方は此方を、他方はムソンを狙う事。

まずはムソンを守るのが先決だと判じ、テマンへ声を掛ける。
奴は無言で頷くと、脇道の端から伸びた太い枝を掴み、一息に登る。

折良く再び吹きつけた強い風に周囲の樹々がざわりと揺れる。
その音に紛れ闇の中、テマンは枝を飛び移って行った。

 

*****

 

「碧瀾渡?良いなあ。ねえねえ、私も連れてってくれる?薬房が見たいの」

あの方が浮き浮きと声を弾ませたのは今朝、向かい合う朝餉の卓だった。

「今日の予定は?」
そう尋ねられ
「碧瀾渡へ」

告げた途端、庭に向け開け放った扉から射し込む春の光の中、もっと明るい声が響いた。
「碧瀾渡?良いなあ。ねえねえ、私も連れてってくれる?薬房が見たいの」
「・・・次の折に」

首を振った俺の前、白い頬が不満で膨らむ。
この方は時折、思いも掛けぬ小事で機嫌を損ねる。
眸の前の茶器を脇に退かし、卓越しに腕を伸ばす。
両掌で膨らんだままのそれを包み、小さく眸を下げる。
「申し訳ありません。急の役目故、市を覗く暇は」

すっぽりと頬を包まれたまま、卓越しの俺を見る瞳が曇る。
「碧瀾渡で急ぎのお役目?どんな?」
「火薬屋に」
「ああ、ムソンさん」

それ以上言えず黙って頷けば、掌に納めたままの小さな顔が傾ぐ。
触れたままだからすぐに気付く。こんな一言だけで不安にさせる。
「危ない役目じゃないの?大丈夫?」

この方はこれ程正直だ。たとえ隠そうと声音で、視線で露見する。
「問題ありません」
「何か隠したり、してないわよね?私たちの間で隠し事はなしよ?」
「しておりません」

触れたままだからすぐ気付かれる。俺に関しては妙に勘の良い方だ。
包んだままの頬、逃げられぬのを良い事にもう少し乗り出して、その額へ唇を触れる。

口づけで誤魔化すようで気が引ける。但し嘘は吐いておらん。
まだ完成しておらん火薬については、危険になりようがない。
しかしあの火薬屋の絡む一件に、絶対の安全など有り得ない。

いつ火薬が完成するか、どの段で元に露見するか。
何方が遅いか早いか、それだけの問題だ。
あなたは何も知らなくて良い。知らねば嘘を吐く必要はない。
この方が知らぬなら名分が無い。相手も迂闊に手出しは出来ん。

「じゃあ今度は一緒に行こう、ね?」
額への押印で機嫌が直ったか、その声音が穏やかに戻る。
「はい」
「お早うござ」

俺が頷いたのと、朗らかな声が庭先に聞こえたのはほぼ同時。
この方の頬を包み、鼻同士が触れ合う距離で俺達が振り向くのと、縁側から覗くテマンの満面の笑顔が凍りついたのもほぼ同時。

「あ、おはようテマナ」
慌てて背を向け走り去ろうとしたテマンに、頬を包まれたままでこの方が声を掛ける。
「朝ご飯は?」

朝飯。この気まずい雰囲気で何故そんな長閑な言葉が飛び出すのか。
「お俺、大護軍をむむ迎えに。一緒にぴょぴょ、碧瀾渡に」

時既に遅し。その頬を包む掌を退き何も無かった顔で卓へ座り直す。
そんな俺も、答にならぬ声でしどろもどろに返すテマンも気にせぬように
「食べた?食べてない?」
この方はもう一度、根気強く諭すように尋ね返す。

「食、べてません。でも」
「じゃあ一緒に食べてから出かけて。朝ご飯抜きは体に悪いのよ?
特に今日は遠出するみたいだから、ちゃんと食べないと」

この方は満面の笑顔で平然と言って、俺とテマンを比べ見た。

 

 

 

 

ヨンを守ってケガしてしまうテマン
それを命がけで助けるヨンとウンス
二人にとって大事な家族のテマン…
愛をいっぱいふりかけて欲しい~!
ヨンに抱きしめて欲しい~!
テマン…嬉しくて幸せいっぱい! (katapy-hさま)
 

皆さまのぽちっとが励みです。
お楽しみ頂けたときは、押して頂けたら嬉しいです。

にほんブログ村 小説ブログ 韓ドラ二次小説へ
にほんブログ村
今日もクリックありがとうございます。

にほんブログ村 小説ブログ 韓ドラ二次小説へ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です