2016再開祭 | 夏白菊・肆

 

 

きな臭いとは物の例えかと思ったが、そうではなかった。
この臭いを嗅ぐだけで首の後の毛が逆立つ。

長閑で平穏な場所で嗅いだ事など一度もなかった。
この匂いの漂う場所はいつも危険と隣り合わせだ。
だからテマンとムソンと雁首並べこうして嗅ぐと、妙な気分になる。
己が平服を纏っているのも、鬼剣を抜かずに下げているのも、周囲に兵達の足音も馬の蹄の音も無いのも、総てが妙だ。

壺の中のそれはこうして見る限り、目の細かい黒砂のようだった。
鼻を衝くようなこの独特の臭いさえなければ。
「爆発の力が強くなってます。湿気に弱いのは相変わらずだけど、そんな時は一度乾かせばまた使えるようになった。
風に飛ばされないように笊に紙を敷いて薄く広げて、上から目の詰んだ薄麻を被せて」

ムソンは嬉しそうに俺達の顔を順に見ると机の上の竹筒を取り上げ、横に用意した紙を器用に丸めて漏斗を作る。
その漏斗の端を竹筒の口へ挿し込むと、壺を収めた箱の竹の小匙で壺の中の火薬を掬い、漏斗の中へ少量注ぐ。
&砂のような火薬は紙の漏斗の面を滑り、乾いた音を立てながら竹筒の中に落ちて行く。
音がしなくなるまで筒の中へ火薬を詰めると、最後に竹を削った蓋をその口へ強く押し入れながら
「揺れには強くなりました。その分榴弾みたいに使う為には、うんと薄く伸ばした鋼で包まないとならない。
そんな鋼を手に入れる方法を考えないと」

竹の込匙についた火薬の粉を丁寧に布で拭って箱へ仕舞いこみ、次に壺に蓋をすると隙間を油紙で覆い直す。
最後に壺を収める木箱の蓋を確りと閉め直し、それを棚奥へと入れて観音扉を閉め、竹筒を俺へと手渡した。
「持ってって試して下さい、大護軍様」
「薄い鋼か」
「はい。それも薄く均してないと駄目です。厚みに斑があるとうまく爆発しないんだ」
「巴巽の鍛冶と相談しろ。繋ぎを取る」

婚儀の折に顔合わせを済ませておいて幸甚だ。
あの女鍛冶ならどんな鋼でも自在に打てる。その腕は保証出来る。
しかし試弾を作るにも、この火の気も無く足の踏み場もない宅では、鍛冶が鋼を打つ事も延ばす事も丸める事も出来ん。
だが門外不出の鍛冶の技の伝わる巴巽村に、ムソンとは云え部外者を立ち入らせるわけにもいかん。

万一技が漏れた時、ムソンが要らぬ疑いを掛けられる元にもなる。
逆も然り。火薬の調合も作り方も、今はムソンしか知る者はない。
それが万一外に漏れれば、巴巽の面々が要らぬ疑いを掛けられる。

鍛冶が鋼を打てる、同時にムソンの火薬の試弾が作れる場所。
尚且つ互いの手にする秘法が、絶対に互いに露呈しない場所。

互いの秘法は明かし合わぬ距離がありしかし行き来が容易で、何方かに異変が起きれば即、守りの手が届く場所。
一箇所しか思い浮かばない。それは王様の御許し無しでは果たせない。
伏して願い出るには此度の火薬の出来如何だと、俺は奴に手渡された竹筒を握る。

説得するのは王様だけではない。鋼の質の為には絶対に意思を曲げぬ巴巽村の女鍛冶。
村人を守る為ならチェ・ヨン相手に迷いなく刀を向ける誇り高き若き領主、そして斧を振り回す血気盛んな門番。

王様は火薬を御目に掛ければ御願い出来ても、寧ろあいつらの信念を曲げる方が厄介か。
まずはこの男が倒れぬよう、飯を喰いに連れ出さねばならん。腹が減っては戦が出来ぬ。
「・・・行くぞ」

先が思いやられると息を吐き細長い部屋の最奥で踵を返す背に、ムソンとテマンが慌てて従いた。

 

*****

 

「先に始めろ」

碧瀾渡まで戻って、酒幕に入った。
酒を全然呑まない俺と、ろくに喰ってる様子のないムソンさんのために、たくさんの皿が並んだ卓。
大護軍がそう言って席を立った。その声に俺も腰を浮かす。
「用なら、俺が」
「いや」

ムソンさんに向かってすばやく走った大護軍の目の動きで分かる。
俺はここでムソンさんに付いてろってことだ。
そして懐から号牌を引っ張り出しながら、大護軍は店を出て行く。
あの号牌が手裏房との何かの合図って事以外、俺には分からない。
だけどきっと大護軍にしか使えないものだ。だから黙って座り直す。

大護軍の婚儀で顔を合わせただけで、今までまともに話した事もないムソンさんと差し向かいになる。
ムソンさんも気まずいんだろう。
出てく大護軍の背を目で追いかけ、見えなくなると、ふうと大きな息を吐いた。

 

 

 

 

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