2016再開祭 | 桃李成蹊・番外 ~ 慶煕 2017・7

 

 

「館内は全部探したんだよね?」
控の間に戻り奥に消えたと思えば、瞬く間に戻って来たミンホが問う。

先刻までの服とは違うゆったりとした黒衣の上下、毛先から盛大に滴る水を分厚く大きな手拭いで拭いつつ。
俺も人のことは言えんが、こいつも烏の行水だ。
奴は焦りの余りか髪が乱れるのも気にせぬ様子で、手拭いで乱暴に頭をかき乱す。
「ああ」
「ねえ。思ったんだけど、ヨンさん」

奴は次に手拭いを頭から被ると、長い両脚を投げ出すよう長椅子へと腰を落とした。
待ち構えるように控える者に差し出された、水と思しき瓶に手を伸ばしつつ、半ば顔を覆う手拭いの隙間から視線を向ける。

「帰り道っていくつもあるの?いろんな場所から行き来できるの?」
「そうらしい」

あの方を迎えに来た折の天門。奇轍から逃げたあの方が消えた天門。
確かに同じ場所だった。だからと言って一箇所だけだとは限らん。
それが証に俺は此度違う門を潜り、こうして違う場所から出て来た。
まさか皇宮の中にまで天門があるなど、噂すら聞いた事はなかった。

けれどこうして己が天界に居る、それが何よりの証。
別の処にも天門はあったと言うしかないだろう。
「もしも今他の所に道があれば、そこからでも向こうに帰れるの?」
「・・・判らん」

有る無しなど考えた事すらない。
天門は元との境の邑、あの山中にしかないと思い込んでいた。
だからこそあの四年、事ある毎に座り込み待ち続けたのだ。
他にもあるかも知れぬとなど思いもせずに。

あの方のように、潜っても高麗とは他の場所に出るのかも知れん。
何も判らん。判るのは必ずあの方の許へ帰る事、それも一刻も早く。
何処でも良い。高麗にさえ戻れれば。
夜通し走り、河を渡るなら筏を拵え、山を越えるなら熊でも虎でも斬って通る。
しかし戻れねば、走りようも拵えようも斬りようもない。

「今までヨンさんが使った道は、ここと奉恩寺だけ?」
「ぽんうんさ」
「ああ、あの大仏のお寺。ここと、あのお寺だけ?」
「そうだ」

それ以外にあるなら、広い天界でどう探して良いか見当もつかん。
此処はあらゆる処が眩し過ぎ、全てが開いた天門に見える。

俺の表情に不安が過ったのか、ミンホは励ますように言った。
「大丈夫だ、ヨンさん。1つずつ可能性のある場所をつぶそう。ここで見つからないなら、奉恩寺に行こう。
もし前の知り合いに会ったら、仕事絡みで来てもらったって俺から説明する。
長くなるなら、本当に何か仕事を紹介するし」
「遠慮する」

仕事など熟すつもりはない。そんなに長居をするなど真平だ。
首を振る俺に息を吐くと、奴は折衷案を捜すように声を改める。
「じゃあ最後にもう一回だけ館内を探して、それでダメなら奉恩寺に行こう。それでいい?」
「・・・ああ」
「あと探してないところは?」
「舞台周り」
「ああそうか、リハから本番までずっと人がいたからね。行こう」

ミンホは待ち切れぬように頷くと長椅子から立ち上がり、先に扉へ歩き始める。
「マネージャー、悪いけど先に荷物、車に積んで置いてくれる?俺はヨンさんとステージ周りを見てから行くよ」
部屋を横切り告げる奴の声に、従いたちーふまねーじゃーが頷いた。

「判った。まだ出待ちが残ってるだろうから、時間はある」
「でも見つからなかったらすぐ移動する。時間はムダに出来ないよ。
ヨンさんを一刻も早く帰したい。ウンスさんが待ってる」

俺より寧ろ気が急くように、ミンホは大股で歩を進める。
従いたちーふまねーじゃーは半ば駆けるようにその背を追いつつ
「そうしよう。後でな。ヨンさんも」

最後に俺に目礼し、一人部屋内に残る。開いた扉からミンホと俺だけが廊下を歩き出す。
「余程早く帰したそうだな」

其処を歩きながら発する己の声が、思ったよりも大きく響く。
思った通りだ。
人の気配の薄くなった廊下は先刻までの熱が消え、壁と言わず床と言わず冷気が忍び込んで来る。

熱を味わった後の冷たさが骨に沁みる。
ふと不安になる。これがこの男の過ごす日々かと。
待たれる熱、あの圧し掛かる熱、それが引いた後の冷気と静けさに晒される、その繰り返し。

「ミンホ」
「うん?」
耐えられるのか。こうして待たれた熱が引いた後の寒さに。
それともその静けさと寒さがあるからこそ、人心地がつけるのか。

問うて如何する。耐えられぬと返答されたら俺に何をしてやれる。
この男の望まぬ留守中二年、此処に一人留まり影武者を演ずるか。
馬鹿馬鹿しい。出来る筈が無い。あの時とは状況が全く違うのだ。
この男が留守にする事は既に周知の事実。俺の存在は尚更の厄介。

王の不在には何が起きる。高麗と変わらぬとすれば、覇権争いだ。
僅かでも王権を主張できるなら、あらゆる者が担ぎ出される。
血筋、家系、政の手腕、地縁血縁、あらゆる屁理屈を名分として。
時には己で、時には他者が、有象無象を率いて現れる。
不在を良い事に足許を掬おうと、時にあらゆる罠を仕掛けられる。

そして次の王が生まれるか、若しくは真の王の帰還を待つか。
それは一時といえ、去った王の人徳に由る。
どれ程の臣が心から王に尽くしたか、善き民として仕えたか。
待たれるか待たれぬかはそれで決まる。
この若き王がどれ程に民を愛したか、民の為に心を砕いたか。
それによって、王の今後の道が決まる。

最後になって判る。己が何を成したか、何を残して来たかが。

それは残酷とも言えるだろうし、己を振り返る好機にもなろう。
己では無く民が己を評価する。言い訳も名分も挟む余地はない。

俺は英雄伝に興味はない。死後に何が残ろうとどうでも良い。
ただ今を望む。生きたい。生きてあの方の心の中に残りたい。
そして誇って欲しい。俺という男と共に生きると望んで欲しい。

尋ねたい事は山ほどある。お前は誰の記憶に残りたいのか。
掛けたい声も山ほどある。成した事に悔いが無いなら懼れるな。
何方も下らぬ事だから、声はこの咽喉元に詰まったままだ。

そしてあの時、ちーふまねーじゃーの男は言った。
好きで選んだ道ではない。逃げた訳ではない。
それなら俺が尋ねて良い事なのかどうか判らない。
尋ねた処で興味本位にしか聞こえん。出来る事が無い以上。

「王は、戦ってはならん。王の為に戦う民を傍に置け」

何処であれどのの世であれ、その戦の基本は変わらない。
王が倒れれば百戦錬磨の将が居ろうが居るまいが負ける。
王が戻るまで民を、国を、そして愛する者らを守る者。
その信頼に足る者が、一人でも多いに越した事はない。

「・・・うん、俺は公益勤務だから・・・戦いはしないんだけど」
俺の真意は悉く伝わらんらしい。ミンホは首を傾げると、曖昧な口調でそれだけ言った。

 

 

 

 

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