2016再開祭 | 桃李成蹊・番外 ~ 慶煕 2017・3

 

 

「さすがに客席からじゃパニックになりますよね、社長」
「ええ。ただでさえ男性客は少なくて目立つし、ヨンさんだもの。
注目するなって言う方が無理よ。確実に騒ぎになってしまうでしょ」

慌ただしく行き来する人波の中、しゃちょうと呼ばれるあの女人とちーふまねーじゃーとが囁き交わす。
「緞帳裏のこの辺に椅子を置きましょうか」
「そうして下さい」

その様子を遠巻きに確かめながら、俺はミンホと並んで立っていた。
俺達の立つのは恐ろしいほど高い天井から吊り下げられた、天鵞絨幕の内側。
その先には大きな舞台が広がっている。
高い天井から、床から、そして舞台前に数え切れぬ程並ぶ小さな椅子の列の奥から、眩い条光が交叉する。

そこかしこで何か判らぬ言葉を叫び交わす者たち。
手にした書物を丸めて振り回し、大声で怒鳴る者。
光る銀の棒に様々な色や形の衣を掛け床を牽く者。
射す条光の角度を確かめるように見回している者。
数え切れぬ程の者らが右へ左へと動き回っている。

ミンホに気付くと必ず深く頭を下げ、次に横に佇む俺に息を呑み、この顔とミンホとの間で目が泳ぐ。
渡され着替えたミンホに映えそうな色と形の天界の衣は、誂えたように俺の体に丁度の大きさだった。
肩幅、首回り、腕の長さ、踝までの下衣の丈、履いた沓に至るまで。

「しかしこうして並ぶと、見れば見るほど」
話の折合いが付いたか、ちーふまねーじゃーが並び立つ俺達の許へ戻って来る。
「そうね。何回見ても驚くわ。スタッフも驚いてる。無理もないけれど」
続く女人がちーふまねーじゃーの声に呼応する。

「ヨンさんの方が少し日に焼けてるかな。男性っぽい」
「ええ。ミンホの方がソフトな印象ね」
「でも俺達は見慣れてるから判るだけで、他の奴じゃ区別はつかないですよ。
ヘアスタイルが少し変わったと思われるくらいでしょ」

並んだ俺達は二人の評に顔を見合わせ、同じように肩を竦める。
出会った経緯を考えれば致し方ない。 人違いで攫われた程だ。
あの頃俺達はこうして並ぶ事は許されず、俺は影として過ごした。
一つ屋根の下で過ごし、一挙手一投足を盗み、その口調を真似た。
今となっては不思議と他人には思えん。然程長く共に過ごした訳でもないのに。

この男を好ましく思う。そして同時に痛ましくも思う。
景色すら臨めぬ不自由さの中、崩れまいとする気概も。
唯一無二の存在として、必死に責を果たそうとする姿勢も。
手にする褒章より、遥かに多く払う犠牲を厭わぬ烈しさも。
己の事など一顧だにせず、周囲の笑顔のみを求める献身も。

面倒な講釈など不要だろう。判るからこそ言ってみる。
「苦労が絶えんな、お前は」
他人事だからそう言える。
奴も判っているかと思いきや、横の男は却って済まなそうな顔で俺に向けて呟いた。
「ヨンさんほどじゃないよ」

その声に眸で問う俺に
「疑ってないよ。違う世界から来た事。そう考える以外ないし、目の前でウンスさんと消えるのを見たし。
だから調べたんだ、あの後に。ヨンさんの事。
俺は想像できない。俺がたかだか2年くらいの不在で、弱音を吐いたら申し訳ない」
「それを止めろ」
「え?」

いつでもそうか。誰かに比べれば恵まれている。相手よりは己の方が気楽に楽しく過ごしている。
文句を言えば、天罰が下るとでも思っているのだろうか。
「肩の力を抜け」
武術もそうだ。戦場でも同じ事。体に無駄な力を入れては鍛錬通りの実力が出せん。
死ぬほど鍛錬したのなら自然体でいれば良い。
勝てぬ戦と判じれば逃げるのも一つの戦術だ。
最も厄介なのは己を見誤り、気負って負け戦に我武者羅に突込む事。
そんな事をしても、己にも周囲にも得は無い。

その言葉の意味は通じたかどうか。今は判らずとも良い。
この後の二年の間、考える時間はあるだろう。
奴は当惑するよう頷いて、そして思い出すよう微笑んだ。
「・・・何だ」
「ウンスさんに夏、言われた事があった」

何処か懐かし気に左腕に視線を落とし、緩く拳を握ると奴は呟いた。
「ケガを早く治すなら笑ってって。感情は表に出せって。それがいいって。そうしていいんだって」
「ああ」
「いつも大切な事を教わる、2人には。
そういう言葉って言ってもらえそうでもらえないし、知ってそうで一番見過ごしがちだから」

確かにおっしゃっていた。あの方らしいと思った。
俺にも常にそうしろと教える方だから。
笑って。怒ってもいいし、泣いてもいいの。気持ちを隠さないで。
私にだけは隠さずに全部見せて。全部教えて。

そして教えるのだ。光の中を行け。
振り向くな、変えられぬ昔を悔いるより明るい明日を進んで行け。
その声が聞こえてきそうで指を伸ばすのに、温かい細い指先に辿り着けない事に、不安が咽喉元までせり上がる。
いつもなら必ず指の先にいてくれる。
其処でこの指先を待っている筈なのに。

俺が消えた事は既に皇宮に知れ渡っているだろうか。
あの方の耳に届いただろうか。そうなればどれ程心配させるか。
俺の不在の所為で、あの方があの声で泣きながら探していたらと思うだけで。

居ても立ってもいられずに、先刻出て来た廊下奥に駆け戻りたくなる。

焦るだけが良いとは限らない。判ってはいる。冷静さを欠けば事態は悪化し兼ねん。
それでも焦らずにいられない。そもそも帰れる門が何処なのかも判らない。
どうやって帰れば良いのか見当もつかない。弥勒菩薩のような目印があるでも無い。

それでも確かめるしかない。 あの方と二度と離れ離れになる事など出来ん。
ましてや俺が天界にあの方が高麗に残るなど最悪だ。
あの時高麗では四年。しかしあの方の迷い込んだ世では一年。
その前はどうだった。俺があの方を天界から攫っい、高麗へ戻った時。

あの宿に戻った折、チャン侍医は半刻程と言った。丘の天門への往復路を含め半刻。
天界であの方を探し出し、俺の搔き斬った男の咽喉の手当てを終えて。
次にあの方を肩に抱え、閉じ込められた舘の窓を破って逃げて半刻。
天界と下界にどれ程の刻の違いが生じるのかすら見当がつかん。

俺が此処で過ごせば過ごす程、あの方との間を隔てる刻は長くなる。
あの方が遠ざかる。それがどれ程の時の違いを生むのかが恐ろしい。

予想以上に高麗でも刻が早く過ぎていれば。
戻る前に万一大きな戦が起きれば。思わぬ敵が現れれば。
そうなれば俺以外の誰が、命を懸けてあの方を護るのか。
テマンか、ヒドか、迂達赤か、手裏房か。
誰であろうと譲らない。頼むつもりもない。
俺が誓ったのだ。この口であの方に直接問うた。
この命尽きるまで護ると。だから傍に居てくれるかと。二度と誓いを違える気は無い。

「ミンホ」
「何?ヨンさん」
「付き合ってくれ」
「いいよ。どこに?」
「俺が出て来た処」
「判った。確かめてみよう。館内なんだよね?場所は?覚えてる?」

頷きつつ足早に歩き出した俺に添いながら、奴が確かめるように顔を覗き込む。
「お、おいミノ!ヨンさん!ちょっと待って」
突然歩き出した俺達に慌てたように、ちーふまねーじゃーの男が駈け寄った。

「ミンホ、リハまであと1時間ちょっとよ。忘れないで戻ってね!」
歩き始めた俺達三人に、最後にしゃちょうの女人が声を掛けた。

 

 

 

 

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