お父上と呼ばれた判院事が、内から開いた扉を振り返る。
立ち上がって判院事と向かい合っていたウンス、立ったままウンスの横を守るチェ・ヨンが続き、そこにいる少女を確かめる。
「チェ・ヨン様!」
父親を呼んだ尖り声と同一人物とは思えない。
そこにヨンを見つけると、クムジュの声が急に華やかに甘くなった。
「おいでだったのですか!」
チェ・ヨンは怒鳴りつけたい心を抑えて、言葉もなく顎で頷いた。
馬の事も言いたい。ウンスへの詫びもさせる。
しかし今為すべきは、縁側に腰かけ傷を洗ったばかりの家人の手当と判っている。
片をつけるのはその後だ。
だからこそ判院事にも余計な事を言わずにいる。
父親の高官に話をつける前に娘に話す事など、何一つない。
「琴珠!」
突然の娘の登場は予想外だったのか。
判院事は慌てて娘に阿るよう猫撫で声でその名を呼んだ。
「先生がまだおいでだろう。部屋に戻って千字本を続けなさい」
「何故です。チェ・ヨン様がいらっしゃるのに」
この娘は、状況を見る目はないのだろうか。
齢六を過ぎたなら今どんな事になっているか、どれ程愚かでも判る。
家人が酷い火傷を負って、目の前で傷口を晒しているのだ。
その家人に労りの言葉を掛けるのが先だろう。
チェ・ヨンはそれでも奥歯を噛み締め、黙ったまま眸を逸らす。
気を散らしてはならない。今のウンスの気を乱してはならない。
馬鹿の一つ覚えのように、心で唱えながら。
しかしこの恥知らずの娘に、ヨンの苛立ちが通じる訳もない。
「お父上にも話しました。チェ・ヨン様のお嫁さんになりたいって。それで来て下さったのですか?そうなのですか?」
「琴珠、静かにしなさい。これ、誰か!琴珠を奥へ」
自分にしがみつきそうに馴れ馴れしく側に寄る娘。
その娘を奥へ連れ戻そうと、大声を上げる判院事。
俄に喧しくなった庭先で、厩の脇に繋いだ仔馬が頭を上げ地を掻く。
「お嫁さんになるなら学も必要だと思ったのです。チェ・ヨン様はとても立派なお家の方ですから」
「く、琴珠や。いい子だから奥に」
「卑しい奴婢の面倒など、卑しい医官に任せておけば良いのです。チェ・ヨン様、奥でお茶でも」
卑しい奴婢、卑しい医官。
「・・・卑しい奴婢、卑しい、医官」
自分で口に出してみれば、その言葉に頭も腸も煮えかえる。
もう駄目だ。堪忍袋の緒が切れたと、チェ・ヨンは真直ぐクムジュを睨みつけた。
「卑しいのは」
ヨンが口を開いた瞬間、怒鳴り声は思わぬ処から響いた。
「ふざけんじゃないわよっっ!!」
震える声、振り立てた亜麻色の髪。
夏の庭の中、鳶色の瞳を爛々と輝かせるのは陽射しではなく怒りだ。
ウンスはクムジュを真直ぐ指すと、鼻先が付くほど側に寄った。
「う、医仙、申し訳ない。この子は何も知らぬのだ、あなた様がどれ程の高位の方か」
「うるさいですよ、お父さん!!」
額に汗をかき取成す判院事を一喝の許に黙らせ、ウンスはクムジュの頭から足先までを確かめるように睥睨する。
「お嬢ちゃん、あなたがどれだけ偉いか知らないけどね」
腰に手を当てゆっくり言うと、次にウンスは家人の横の縁側を差す。
「謝んなさい。そこに正座して、手をついて」
ここまで来てもクムジュには妙な特権意識があるのだろう。
自分の母程年上のウンスに睨まれても、却って意地を張るように顎を上げて見せる。
「私が何を謝るのです。昔から人の傷を見る医官は卑しいと」
「私にじゃないわよ、このバカ娘!あんたの大切な家を守ってくれてる、この人に謝れって言ってんのよ!!」
さすがにその一言は意外だったのだろう。
判院事とクムジュは呆気に取られたように口を開けた。
「あんた1人で何が出来るの?ご飯の支度、家の掃除、子馬の世話、そのうち1つでもいいわ、出来るなら言ってみなさい。
出来ないんなら、代わりにそれをやってくれてる立派な人を馬鹿にするんじゃない!」
ウンスの正論の怒声に、クムジュの声が大きくなった。
「そうするのが当然でしょう!その為に置いてやっているのです!」
「置いてやってる?は、冗談じゃないわよ」
クムジュが何を言おうとウンスには全く堪えない。
その反論をいかにも馬鹿にするように鼻で嗤うと、
「この人がいてくれてるのよ、この家の為に!!こんなひどい熱傷を負ってまで、薬も塗らずに働いてくれてるのよ!!」
「火傷したのはこの者が愚かだからでしょう!鍋が揺れたくらいで油がかかるほど火の近くにいるなど、下働きとして」
居並んだウンス、チェ・ヨン、そして判院事。
その場の空気が、クムジュの一言で凍り付いた。
「・・・ちょっと待ちなさい。あんた今、なんて言った?」
ウンスが打って変った低い声でクムジュを諫める。
語るに落ちたか。追い詰められた娘の一言が総てを物語っていた。
さすがの判院事も知らなかったのだろう、娘の一言に顔色を変える。

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沈黙をやぶったウンス!
このバカ娘に学ばせることができるのは
ウンスただ一人です( ̄ー ̄)ニヤリ
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ウンス、いいぞ!
言ってやって、どんどん言ってやっちゃって!
我儘お嬢さんは、心に人としての思いを持っていないのね。
卑しい、医官…
とまで言われたウンス。
でも、ウンスの怒りはそれじゃない。
傷ついた家人が目の前にいても、労りの言葉一つかけられない…という、娘。
次から次へと吐かれる暴言。
ウンスは、人の命を大切にする女性なのだからね。あんた…みたいなダメ娘、人として最低。
かなり言っちゃいましたね、ウンス。
娘も、語るに落ちた…?
どうなるのかな、この後…
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あ~あ ウンスブチ切れ。
ある意味 ヨンの怖さと違うものが…
ヨンも ぽか~ん
でも ウンスが正しい。
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続き楽しみです(^O^)
サラン様、いつもありがとうございます