2016再開祭 | 竹秋・拾陸(終)

 

 

筍の皮は剥き過ぎる、焚火を囲んで漢詩を口遊む。
鬼剣を握れば武神の如し、気短で焔のような質ではあるが何処までも育ちの良い男。

奴の詠じた春風は竹藪を抜ける風に髪を躍らせ、焚火に頬を光らせ、飯を喰う俺達を嬉し気に見廻している。

難儀な相手を選んだものだ。昔なら絶対に選ばなかったろう。
喧しく身勝手で常に騒ぎを起こし、世話焼きの過ぎる女人など。

奴だけを追い、その声だけを聞き、無口で従順な女が好みとばかり思っていた。
娶る女人が正反対だとはまさか思いもしなかった。
惚れたらぶん殴る。冗談めかしてはいたが、あれが本音だろう。
俺を殴ってでも自分だけのものにしたい、今までならば間違ってもそんな事は言わなかった男が。

死んでも有り得ん。
下らん色恋沙汰で生き死にを口に出すなどそもそも馬鹿馬鹿しいが、それが偽らざる本心だ。
お前が生きる為に仕方なくあの女人を受け入れた。余地はなかった。
俺にも好みというものがある。あんな騒がしい女、お前の連れ合いでなくば決して側には寄らぬ。

「ヒドヒョン」
その時俺の側に寄って来たテマンに呼ばれ
「何だ」
「あ、の・・・」

奴は聞きとれぬ程小さな声で、迷うように続けた。
「あの、とトギが・・・」
「トギ」

てっきりヨンの事か、若しくは女人の事だとばかり思っていた。
息を教えろ、そう言って犬猿の仲だった俺に頭を下げ教えを乞いに来た初めての日にすぐに判った。
こいつは調息を憶えヨンを護りたいのだ。息を整えている間のヨンの側、従いて万一に備えたいのだと。

俺にとっても願ったり叶ったりな申し出だった。
内功遣いの力が最も弱まる運気調息の間、俺がいつでも付いて護れるとは限らん。
寧ろ常にヨンと共に居る私兵のテマンの方が確実に守れる。
ましてこれ程奴に忠誠を誓う男なら、役に不足無しと。

あの初めての日から今日まで、こいつの口からヨンと女人以外の名を聞いた事は殆どない。
どれ程奴らを慕っているのか、褒められれば相好を崩し、叱られれば肩を落としてやって来るからすぐに判った。

だから思い込んでいた。その口から出て来るのはヨンか、精々女人の呼び名、医仙くらいのものなのだと。
それ以外の名が出た事に驚いて、伏したテマンの顔をじっと見る。
しかしテマンは気まずそうに、この視線から眼を逸らす。

「ヒドヒョンは、と、ぎのこと」
「何だ」
「あの・・・あの、トギのこと、もしかして」
「もしかして」
「すすすいて、いますか」

すすす。すいて。好いて。

やっと頭が追い付いたテマンの問いに声すら失くした己の手から、若布汁の椀が滑って落ちた。

「俺、あの、ヒョンがそういう気持ちなら」
此方の心中などお構いなしに、テマンは一人で先走る。
「だけどそれじゃ、どうすればいいのかわ、分らないから」
「・・・テマン」

中身がすっかり零れた椀をようやく思い出して拾い上げ、呼び掛けてみるものの声が続かない。
ヨンもヨンだが、此処にもっと馬鹿が居った。
俺が。トギを。あの夜一度だけ酒楼で顔を合わせただけの娘を。
何処の何を如何捻くれば、そんな突拍子もない事を考え付けるのか。

「だってヒドヒョンはな、な名前を、トギって名前を」
「・・・そうだな」
「名を教えるのも、それを呼び合うのも、大切なことだって。俺は隊長にそう教わったから。
だからヒョンがトギを好いてるならおおれ、俺」

名を呼ぶのは大切な事だ。奴はそう教えたわけだ。あの真直ぐさで。
あ奴ならそうだろう。名を呼ぶ事で通じ合う互いの何かを信じるかも知れん。
生憎俺にそんな真直ぐさはない。特別扱いはせん。
頼みたい事があるなら名乗れ、そう思ったから聞いた迄。
口が利けなくとも唇を動かせ。
言いたい事があるなら自分だけが判る方法でなく、相手に伝わる方法で示せ。

名を訊いただけで惚れた腫れたの話になるなら、開京の市井だけでも恋に浮かれた奴らだらけになる。
しかし奴の顔。ヒョンが好いているならと言う言葉とは裏腹に何故か怒ったような、得心いかなげな。

「・・・ヒド」
今まで無言でテマンの囁き声を聞いていたのだろう。
ヨンが静かに呼んで脇のテマンを、次に少し離れ俺とテマンを見ているトギを順に眸で示して見せた。
物言いたげなその眸に思い当たる。まさか、テマンの意中の女は。

惚れてるのか。

俺が唇の動きで尋ねると、ヨンは片頬で笑みほんの小さく頷いた。
つまり俺は、惚れたどころか二度しか顔を合わせておらんトギに懸想した恋敵と思われているのか。
「・・・テマン!」

絞り出した低い声に、奴の伏せていた顔が上がる。
「はい」
「チホ!」

続けて呼んだ声に、焚火の向うで女人の拵えた筍の皿を突ついていた奴が顔を上げた。
「どうした、ヒョン」
「シウル!」
「何だー」
「ヨンア」
「おう」
「トギ」
声を返せぬ娘は頷くと、俺の方へ顔を向けた。

「良いかテマン。俺は名で呼ぶ。どう思われようとそれが流儀だ」
「・・・あれ?」
上がった間の抜けた声に、俺に向かっていた視線が全て其処へ移る。

「私は?ヒドさん」

・・・そうでは無い。そんな場合ではない。俺は着せられた濡れ衣を。
「私はー?」
「イムジャ」
ヨンが窘めようと肩に手を掛けるが、女人は不満げに言い募る。
「私の名前、知ってますよね?」
「・・・・・・」

頼む。滅多に頭は下げん俺だが、今だけは頼む。
黙っていろ。お前が口を挟むと纏まる話も纏まらん。
俺は着せられた濡れ衣を晴らさねばならん。

「ねえねえヒドさん、みんなは呼んだのに私だけ仲間外れは」
「・・・・・・う」
「はい!」

煩い、そう怒鳴る前に 女人は勢い良く右手を振り上げる。
この女、本当に馬鹿だ。いや、案外馬鹿の振りをしているのか。
「テマン」
「はい」
「こうして名を呼んだら、俺はこいつらを好いておると言う事か」
「何だよ。俺は本当に好きだぞ、ヒドヒョン!」

シウルが慌てたようにそう言って、焚火の向うから駆け寄った。
「だから呼ぶんだぞ、ヒドヒョンって」
「俺だって好きだぞ、ヒョン!勿論ヨンの旦那もな」

騒ぎに乗り遅れまいと、チホも座っていた岩から飛び降りて大声で叫んだ。
「・・・俺は結構だ」

巻き込まれた格好のヨンは、厭そうに言うと地面から腰を上げる。
「お前らだけでやってくれ」
そして座ったままの女人の手を掴むと立ち上がらせ、牽くようにして歩き出す。
「あ、どこ行くんだよ旦那!」
「待てよー!」
「大護軍!」

駄目だ。相手がこいつらでは竹秋の静けさも寂しさも無縁のものだ。
底抜けに明るく騒がしく、我先にと纏わりついて来る。
笑い声しか聞こえない。悲しさも暗さも、辛さもない。
悲しさや辛さを目にしてしまった時は、俺達の誰かが支えねばならん。
その程度の覚悟もないまま、相手に名を名乗れと言える訳が無い。

ヨンア、お前の粘り勝ちかもしれん。
失くしたものは取り戻せない。それでも新しい季節は巡る。
今また吹いて来た春風の中で、共に焚火を囲む奴らが居る。
思わず眉を顰める程、大きく響き渡る笑い声がある。

吹いて来た春風に感謝しながら、その風を連れ去る男の背を俺は無言で見送った。
この目許がいつもより少し緩んでいる事に、己が一番驚きながら。

 

 

【 2016再開祭 | 竹秋 ~ Fin ~ 】

 

 

 

 

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2 件のコメント

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    筍美味そうでした( º﹃º` )
    少しずつヒドとの距離も近づけたと思っていいのかな??
    しかし、やっぱりウンスだけ呼んでもらえなかったですね、何故か焦れったい(苦笑)
    本当にウンスって呼ばないままなのか気になります。
    周りにウンス以外の女性が数人いたらどうするんだろうって興味が
    流石にテマンからトギをすいてるのか質問に茶碗落とすとはヒドにとっては予想外だったでしょうね
    またいつかヒドの話が読みたいです
    毎日更新ありがとうございました!!!

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    さらん様
    いつも楽しみに読ませて頂いております。
    ヒドの心がようやく前を向いて来たような、今回のお話、とても素敵でした。
    なんだかほっとしてしまいました。
    これからもお話楽しみにしています。

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