2016 再開祭 | 晩餐・中篇

 

 

そうだろう、お前も呆れるだろう。
ならば俺は尚更呆れて当然だろう。
思わず目前のヨンの肩を、黒鋼手甲を嵌めた掌で叩く。

「さっきマンボ姐さんのところに寄ったら、出掛けたばっかりだって教えてもらって。
あわてて追い駆けて来たんですよ?暑かった。ね?ヨンア」
「・・・はい」

こ奴は汗一滴浮かべぬ涼しい顔で、女房に調子を合わせている。
何処まで惚れているのか、聞いている此方が気恥ずかしい程に。

咎めるようなこの視線に気まずげに眸を逸らす仕草も情け無い。
俺の知るお前は、赤月隊最年少部隊長だったろう。
今となっては高麗最高武官、迂達赤大護軍だろう。

若い頃に散々見た素直な小童のような眸をして、脇の女人を確かめる度それを緩める。
危うく俺まで久々に、その黒い髪を手甲の掌で搔き回してやりたくなる程だ。
そんな絵面の三十路の男同士、気味悪い事この上なかろう。

その心裡も知らぬ女人だけが、暢気に俺へ声を続ける。
「あのね、迎えに来たんです。ご飯」
「飯が何だ」
「ご飯、食べましょう。結婚式で約束してくれたし」
「約束」

一体何の事だとヨンを見れば、こ奴も首を振り返す。
お前の女房だ、どうにかしろ。此方を巻き込むな。
睨めば困った顔で肩を竦め、太い息だけで返される。

「何故」
「え?」
「何故飯だ」
「だって、結婚式で言ったでしょ?家族なんだもの、一緒にご飯食べましょう。こんなに暑いのにお酒ばっかりじゃ倒れます。
アルコールはいくら摂取しても利尿作用の方が高いし、肝臓で分解されるのに・・・ああ、ともかく。
お酒は水分にはカウントされないので」

暗い脇道の俺に明るい往来から遠慮なく歩み寄り、女人が正面から俺を真直ぐ見あげる。
「顔色が、あんまり良くないかも」
「日陰のせいだ」

突き放す声にヨンは此方を見上げる女人を確かめ、再び此方に眸を流す。
断って欲しいか、聞き入れて欲しいか。
眼で問うても声は返らん。
こ奴の事だ。応じれば悋気に荒れ、断れば女人に顔が立たん。

娶るまであれ程周囲に気を揉ませ、娶れば次はこれ程気を遣わせる。
人騒がせにも程があると、その眸を無言で見返す。
それでもこの二人が揉めれば、結局それが一番厄介だ。
周囲を巻き込む事にかけては、この二人の右に出る者は居らん。

「だからヒドさん。ご飯食べましょう」
そのだからは、一体何処から来るのか。
さっぱり判らずヨンを見れば、奴は申し訳無げに眉を顰めて見せた。
「じゃあ決まり、今晩うちでね?今から買い物するから、一緒に来て下さい」

身勝手な声と共にいきなり衣の上から腕を掴まれる。
眼を剥く此方など関知せぬと、狐を穴から引き摺り出すよう女人の手が俺を往来へと引き摺り出す。

往来の隅で手を振り払い、目の前の二人を順に睨む。
「ふざけ」
「だって知らないんです、ヒドさんの好み。嫌いなものは出したくないし、一緒に買い物に付き合ってもらうしかないもの」
「ヨンア!」
「・・・付き合ってくれ」
「お前らな」

どんな薄暗い物陰の裏道にも、等しく夏は来るらしい。
暗がりへの未練に脇道を振り返れば、昏い道端に小さな向日葵が揺れている。

 

*****

 

跳ねるよう歩くこの方を、そして左右に護る俺達を。
往来の中、焦げる真夏の陽射しが頭の真上から灼く。
「ヨンアと市なんて、久し振りね!」
「・・・はい」
「ならば二人で行って来い」
「ヒドさんが一緒なのは初めて!うれしい。本当に家族で買い物に来たみたいですね。オッパと、アッパと」

ヒドはこの方のはしゃぎ声に呆れたよう口を閉じ、眉間辺りに不機嫌さを露骨に漂わせている。
俺達の何方が父親かは、この際考えずにおく。

だいたい、どう刻が捩じれたのか。
最初に逢ったこの方は俺より幾つか齢上だった筈だ。
言うなら兄と弟だろう。

夏空の下、白磁の肌が照りつける陽に見る間に赤くなる。
肌理の細かすぎる所為か、その赤さが目に痛々しい。

せめて大路の建物の影へと道脇に寄ろうとしても、頑として往来のど真中を歩きたがる我儘な足取り。
逆脇のヒドだけが気付き、その口許に皮肉な笑みが浮かぶ。

別にお前の方に寄せようと押している訳では無い。
俺の睨みが可笑しいか、ヒドの咽喉が低く短い笑み声で揺れる。
「良いのか」

良い訳が無いだろう。
家族だろうが兄と慕おうが心から信じようが、この方の側へ寄る男は己以外は誰も同じだ。
たとえこの方の実の御父上だろうと、恐らく俺はこう思ってしまう。口には出さずとも。

出来るなら、あまり触れないで頂きたいと。
その分も必ず、自分が御護りしますからと。

そんな想いも知らずこの方は上機嫌で、今にも小さな両掌を伸ばし等分に双の袖口を握りそうな勢いだ。
「ヒドさん好き嫌いは?アレ・・・えーっと、体に合わないものとか」
「無い」
「じゃあ暑いから冷麺にしようかな?それともチャンオ?ああ、でも参鶏湯も良いかも!
煮るのに時間かかるかなあ・・・でも」

往来の真中で俺達の間から一歩出ると、その体が此方へ向けて振り返った。
そして夏の陽で明るい栗色へ色を薄くした瞳が、居並ぶ俺達の顔を交互に見遣る。

「決めた!以熱治熱よ!今日は参鶏湯と、ネンドゥブとチャプチェ、あとはうちのミッパンチャンにします!」
俺達の双の眸を各々見詰め、この方が満足気に高らかに告げる。
「ヨンア」

ヒドが低く呼び一歩横の俺へ寄ると、この耳元へ小さく問う。
「何だ」
「往来で夕餉の献立を叫ぶのは、天界の習わしか」
「・・・普段はせん」
「安心した。で、冷奴は料理か」
「さぁな」
「チャプチェとは」
「天界の飯だそうだ」
「成程」

ヒドはもう声がないのだろう。
呆れたようにそうだけ言って、後は無言で口を結ぶ。
「決して不味くは」

俺の妻、この方の手料理だ。妙な誤解を受けては困る。
喰えぬものを出すわけでは無い。
ただ天界の飯はこの世とは少々風合いが違うだけだと言おうとした処で。

「はいそこ、男同士がこそこそしない!出された料理にクレー・・・苦情、は受け付けません。
おいしい以外のコメ、えーと、感想も受け付けないから、2人ともそのつもりでね!」

この方は本気なのだろう。
居並ぶ俺達の鼻先にそれぞれ指を向け、等しく告げる。
少なくとも俺が断言出来る事。

今開京の往来、此方を振り向き笑いながら歩く奴は一人残らず、今宵の崔家の夕餉の献立を知った。

 

 

 

 

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