2016再開祭 | 桃李成蹊・番外 ~ 慶煕 2017・4

 

 

寒々しく滑る廊下を進み、期待を籠め最後の角を曲がる。
もしも高麗と同じならば、その廊下奥が光っている筈だ。
あの時皇宮の脇回廊の奥が出火と見間違うが如く光っていたように。

しかし廊下の突き当りは、深閑としてただ薄暗いだけだった。
ミンホは然程長くないその奥を覗き込み、次に俺を振り返る。
「ヨンさん?」
「此処だ」
「ここ?って、だって」

眸の前の光景が現実だ。
俺は無言で突き当りまで歩き、横に添う男に指で床を示して見せる。

見間違いではない証拠に、誰も立ち入らぬその廊下の最奥の床の上。
高麗の雪と泥で刻んだ己の沓跡が、確かに残っている。
往復していない証拠にその雪泥の沓跡は廊下の突き当りに突然刻まれ、其処から真直ぐ広い廊下の方へだけ、段々と掠れつつ伸びている。
ミンホは仄かな天井からの灯でその足跡を確かめ、ひと声唸った。
「・・・どうするの?」

如何する。こうして奥まで進み確かめても、あの風も光も何も無い。
今までとは明らかに違う。
俺にとって天門とは常に目前で口を開け、迷いなくその光へと踏み出せば行くべき処へ繋がるもの。
望んで踏み入った事はなく、行きたい場所があった訳でもない。
成すべき事があったから潜り、その先でそれを成し戻って来た。

此度俺は一体何を成しにこの天界へ来たのか。あの眩い光は俺に何をしろと伝えていたのか。
頭を抱えたい思いで俺はミンホと並び、薄暗い廊下に立っていた。
「ひとまず食事にしない?腹が減ってたら、いい考えも浮かばない」

ミンホは気遣うように、そしてそれを悟られぬように明るい声を上げ無理に笑いを浮かべて見せる。
その声に離れて廊下の角を守っていたちーふまねーじゃーが
「そうだな。ヨンさん、行きましょう。何が食べたいですか?何でも用意しますよ、ケータリングですけど」
沈んだ場の空気を取り繕うように言って、其処から俺達を手招く。

飯。あの方は喰っただろうか。確り喰わぬと機嫌の悪くなる方だ。
喰って、眠って、そして待っていて欲しい。俺はすぐに戻るから。

これ以上無為無策の状態で此処に居ても事態が好転するとは思えん。
肚を決めて頷くと踵を返し、今来た廊下を曲がり角へ向けて戻る。
一歩ずつ、天井に響く沓音に合わせて己を戒めながら。

戦と同じだ。焦れば負ける。何処を落とすべきか。其処への道は。
まず考えろ。そして探せ。己の落とすべき要と、その最短の道を。

 

*****

 

ちーふまねーじゃーの声に嘘はなかった。何でも用意しますよ。
言葉通り、先刻踏み入ったのとは別の部屋の中、目前には今迄に見た事もない程の大量の飯が並ぶ。

室内に滑り込んだ俺達に、其処に居た全員が立ち上がり頭を下げる。
ミンホは当然のようにその部屋奥、この王に相応しい大きな長椅子の置かれた一角へ歩み寄り、先に俺に向けて着席を促すよう掌で示す。
「座って、ヨンさん」
「楽にして下さい。何食べます?」
ちーふまねーじゃーの問う声に首を振る。腹が減るわけがない。
その卓上には、あの頃あの方が好んだという理由で喰った飯。
ぴざやらはんばーがーやらすしやら、とっぽっきやらきんぱやら、赤や緑や黄や茶色の得体の知れぬ菜ばかりだ。

「・・・あ、そうか」
ミンホは得心がいったか、小声でちーふまねーじゃーに囁いた。
「適当に見繕って来てくれる?韓食メインがいいかも」
「あ、ああ。分かった」

ちーふまねーじゃーは頷くと飯の並ぶ卓へ寄って行く。
その背が離れて行くのを見届け、ミンホは困ったように頭を下げた。
「ごめんヨンさん。気付くのが遅かった。こういう食べ物ないよね、高麗には。コチュカルが入って来たのだって、確か朝鮮時代だ」
「ああ」
「ここにいた頃も食べなかった?ウンスさんは問題ないでしょ」
「喰った」
「じゃあ、食べられないわけじゃないよね?」
「お前は」

思い返せばこの男が旨そうに飯を喰らう姿を一度も見た事が無い。
あの頃は言っていた。体を絞っていると。
あの天衣無縫な方ですら、こいつの前で飯を喰いにくいとおっしゃった程だ。

「最近は喰っているか」
「うん、ドラマも終わったし。その割には体形も維持してる」
さも可笑しそうに低く笑いながら
「あの時ヨンさんに鍛えられたのが良かったのかも。 腹の上に乗られたりさ。それで一気に代謝が上がったとか?」
思い出したのか、ミンホは自身の腹を衣の上から擦ってみせる。

「冗談抜きであの頃のトレーニングは理に適ってるって、トレーナーも言ってた。
必要な筋肉や体幹がちゃんと鍛えられるって。ただ俺はあんまり筋肉をつけすぎる事は出来ないから」
「くるまにだんべるは載せているか」
「うん。移動で暇がある時はやってるよ」
「善し」
「問題は、その暇がなかなかない事だ。乗り込むとまず寝ちゃうから」
「眠れるなら眠れ。鍛えられる時は鍛えろ。喰える時に喰っておけ」
「・・・・・・」

この顔をまじまじと凝視した後
「うーん。ヨンさんに言われると、すごく説得力がある」
ミンホはそう言って深く頷いた。
「今出来る事を優先順でやれって事でしょ」
「ああ」
「ムダがないよね、迷いも。夏の時も即決してくれた。羨ましいよ」

外から見れば瓜二つでも、やはりこの肚までは読めぬらしい。
迷ってばかりだと言いたいのを抑え、何食わぬ顔で俺は頷いた。
俺はお前が羨ましい。そして痛々しい。
悩みの中で己の迷いを認め、周囲の者たちの為に全て受け止めて進む。
その脆さも、そして強さも。

そして恐らくこいつもだろう。
周囲の者らを全て背負って、誰にも吐けぬ心の裡。積もるばかりの肚の声。
弱音は吐けん。己の一歩が周囲の運命を決め、一旦踏み間違えば後は無い。
その選び損ないが周囲の者を巻き添えにするのは火を見るよりも明らかだ。

俺にはあの方がいる。
己の全力で護りたい、その為なら何を犠牲にしても悔いはない。
こいつにもいるだろうか。
己の地位も名誉も擲ち、周囲の何も気にせずただ護りたい誰か。
その一人さえ居れば、己の全てを懸けて突き進んで行ける誰か。
心を吐き出した時、在りのまま受け止め抱き締めてくれる誰か。

天界の一言で胸の想いは全て伝わると教えてくれた、その声を伝えたい一人が居れば良い。この男にも。
己の最大の強み。そして唯一の弱み。
王様の御傍に王妃媽媽がおられるよう、この孤独な王を他の誰にも出来ぬやり方で支える誰かが必要だ。

両腕に器用に載せて運んだ皿を卓上に並べるちーふまねーじゃーの耳には届かぬよう、低く奴に問う。
「ミンホ」
「なに?ヨンさん」

だが俺が尋ねた処で、こいつは正直に答えるだろうか。
芝居の達者な男だ。俺を騙し果せるなど容易いだろう。
悲しくとも笑い、嬉しくとも涙を流すのが役者と、こいつは言った。
俺と居る時まで芝居をする事は無い。お前が倖せなら。
「・・・いや」

今考えねばならぬのは、俺はその愛しい方の許へどう戻るかだ。
泣かせてはならない。待たせてもならない。
悲しい声で呼ばせるのは一度きりで充分だ。
戻るその道も方法も、今はまだ判らぬのに。

「ヨンさん、食べて。食べてイベントが終わったら、一緒に考えよう」
言葉の続かぬ俺を気遣うように、奴が卓上の皿を示す。
その勧めに卓上の唯一見慣れたもの、湯気の立つ茶碗を取り上げる。

あの方が毎年冬になると拵えて下さる黄色く薫り高い甘い湯。
俺の取り上げた茶碗に安堵するようにミンホがそっと教える。
「ユジャ茶だよ」

柚子の香が鼻を掠めるたびに、あの方の声を思い出す。

体にいいのよ。温まるし、風邪を引きにくくなるの。びたみんしーが確り取れるから。

逢いたい。一刻も早く。吐きそうになる弱音と共に、その茶碗の中身を一口飲み下す。
あの方のいつも淹れて下さるものよりもずっと熱い湯が咽喉を焼く。
こうしてまた気付く。
あの方は何も聞かずとも、湯の温度にすら気を配っている。
俺の飲みやすいよう、そして火傷をせぬようにと。

見知らぬ天界の見知らぬ舘。知るのは眸の前の男のみ。
かといってこいつが俺の帰り道まで知るわけでもない。
途方に暮れて、長椅子へと深く沈み込んで眸を閉じる。

「・・・ミノ、そろそろ時間だ」
ちーふまねーじゃーが腕に巻く平たい板を覗き込み、奴にそう伝えるまで動けずに。

 

 

 

 

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