同時にクォン・ユジがそこから転がるように飛び出してくるのをどうにか抱き止める。
彼女は何故かあのテディベアを抱えていて、そのままボロボロと涙を零した。
真っ青な顔に乱れた髪、パジャマのままで、靴下裸足で。
「・・・っ、て、うさん」
「遅くなりました。ケガは?」
「てう、さん」
「申し訳ありませんが、まずこいつを」
右手に提げたままの重く冷たい鉄の塊の安全装置を掛け、胸のホルスターへ納め直して、ようやく彼女と向かい合う。
「無事ですか」
「はい・・・」
「帰りましょう」
しかし靴下だけの風邪ひきの彼女に、雪の道路を歩かせるのも。
空いた両腕で彼女を掬い上げるように抱き上げて、そのまま車へ歩き出す。
「キム事務官!」
ああ、そうだった。まだそう呼ばれる立場だった。
大声に振り向くと彼女を攫った張本人は胸からIDカードを取り出して、こっちに向けて示して見せる。
「我々の事を、聞いていないのかね」
「聞いています」
「ならば彼女を保護する理由も知っているだろう!!」
「保護?」
彼女を先輩の車の助手席まで送り届け、座らせてシートベルトを掛ける。
不安そうに俺を見上げる瞳に首を振って、最後に一度その乱れた髪を撫でて、そして静かにドアを閉め再び彼らへ向き合う。
「保護とは認めない。あなた方が行った越権行為は国情院職員宅への家宅侵入。一般人拉致。そして警察官への暴行。
若い刑事は肋骨を2本骨折している。傷害事件です」
一言ずつ噛み締めるように言いながら、ゆっくりその前まで戻る。
説明してやれるのもここまでが限界だ。
最後に奴らの鼻先まで寄ると、二組のその目を順に見据える。
「自分は休暇中です。もう調べはついてるでしょうが。ですから国家情報院事務官ではなく、個人として最後にお伝えします」
殴り飛ばしてやりたいのを堪えて、その顔の前で吐き捨てる。
「他国に尻尾を振って、自国の一般人を犠牲にしないで下さい。
恥辱を隠すのではなく、あの日何が起きたのか正々堂々と国民の前で明かして下さい。
公式発表通り疚しい事がないなら尚更に。
そうでなければ、死んだ学生たちが浮かばれない。もう誰一人、この国の未来を信じない」
話は終わった。最後に小さく顎だけ下げて、彼らの前から先輩の車に向かって戻る。
「今なら不問に処す。彼女を引き渡したまえ」
体の良い取引だと、思わず嘲り嗤いで唇が歪む。
「嫌です」
「君にも処分が下るぞ!」
背中から飛んでくる威しに、振り向かず応える。
「望む処です」
場所なら世界中どこにでもある。行きたいところに行ける。俺1人でも、そしてもしも一緒に来てくれるなら彼女と2人でも。
開拓精神は両親から受け継いだ。どこででも生きていける。
夢も見られず先もない場所で嘘に縛られて生きるなら、どんなに貧しくても心だけは豊かになれる場所で生きたい。
幸い両親からもらった頭脳があるから、本気で何かに打ち込めばきっとそれなりにやっていけるだろう。
少なくとも大切な、守りたい人たちを困らせる事はしないで済む。
目の前に広がる世界は大きい。そしてどこにでも飛んで行ける。もしもそれが2人なら、こんなに嬉しい事はない。
彼女のご家族や俺の家族。先輩を始め、巻き込んだ全ての人々。周囲に守るべき人はまだまだ多い。
但し敵はもう判っている。そして敵も身許が明らかな以上、露骨な接触はしにくくなると祈りたい。
たとえそれがこの前のような甘い夢に終わったとしても、それでも信じたい。
まだこの国のどこかに情や、思い遣りや、正義が隠れて息づいていることを。
「お待たせしました。帰りましょう」
先輩の乗っている運転席のドアを開け、頭を下げる。
「先輩、運転代わります。病院まで」
「クォン・ユジさんの隣に乗りたいんだろうが」
「ああ、そうだ。そうですね」
「・・・勝手にしろ」
先輩はシートベルトを外すと、痛そうに顔を歪めて運転席を出てリアドアを開け、体を投げ出すようにシートへ座った。
クォン・ユジは助手席から心配そうにその様子を見詰め
「ユン刑事さん、ごめんなさい。本当にありがとうございます」
と、震える声を抑えて言った。
「この程度は日常茶飯事です。気にしないで下さい。ユジさんが無事で何よりです」
「そうですよ、ユジさん」
「お前は黙って運転しろ、テウ」
「ああ・・・でも、ちょっと待ってください」
無線機を取り上げボタンを押して声を掛ける。
「こちら013、本部、応答願います」
こちら本部。どうなりましたか。
「国情院捜査事務官、キム・テウです。被害者を確保。ユン刑事が負傷の為、運転不可能。
国情院特権として運転交代し、病院に直行します。許可願います」
数秒の沈黙の後、無線から聞き慣れた課長の声が戻って来る。
「勝手にしろ、安全運転でな!どうぞ?!」
そのふてくされた声に先輩が笑い、いててと脇腹を押さえた。
「で」
俺は先輩ほど運転はうまくない。
雪道の基本は急を避ける事。急発進、急停車、急ハンドルは厳禁、だよな?
慎重に車を発進させながら、助手席のテディベアとクォン・ユジを見比べる。
「何故テディベアが一緒なんですか?」
「・・・ああ。これを抱っこしてる時に、急にあんな風に」
「そうだったんですか。あの時は気が付かなかった」
先輩もそう言って頷いた。クォン・ユジは頷いて、テディベアと鼻先を合わせた。
拉致現場でも離さず、抱き締めてたのか。それは・・・
「すごく嬉しい声が聞こえたから。だからずっと聞いてて」
「嬉しい?」
「・・・ユジさん」
「その熊は録音機能付きですか?」
「はい、ユン刑事さん」
「ユジさん」
「テウ、黙ってろ。ユジさん、少し聞いても構いませんか?」
「え・・・?」
クォン・ユジは初めて気付いたように、苦い顔の俺とリアシートの先輩を見比べる。
「捜査上の秘密にします。少しだけ、構いませんか?」
「捜査には関係ないですよ、先輩」
「国情院の方はお黙り下さい。構いませんか、ユジさん?」
グッド・コップの本領発揮だ。
穏やかな先輩の声と物腰に、ユジは抱いたテディベアの胸のボタンを指先で押した。
心配させるな。早く、良くなれ。
イヤと言う程知っている声が、テディベアから流れ出す。
「お?」
先輩もすぐに気づいて、運転席の俺を見た。
熱いチキンヌードルスープを冷ます間、抱えてたテディベアに録音した自分の声。
スープと一緒に運んでベッドサイドに置いておいた。まさかこんなに早く気が付くとは予想もしなかった。
そのテディベアと一緒に拉致されるくらい抱き締めてたなんて。
「良いですね・・・ありがとうございます、クォン・ユジさん」
先輩は微笑んで、静かに目を閉じた。
「心配か、テウ?」
「は?」
「俺の事も心配か?」
「勿論です。俺も、奥さんも、お子さんたちも、課長や課の奴らもみんな心配するに決まって」
「心配してくれよ、こんな風に優しい声で」
「俺の役目じゃないですよ。それは奥さんの」
「じゃあユジさんは、お前の役目なんだな」
「先輩!」
「そうか、そうなんだなぁ。だそうですよ、クォン・ユジさん」
「え、あの、ユン刑事さん」
「女房との恋愛期間を思い出すな。うらやましい。ああ、そうだ。ユジさん、さっきテウが前職の上司に」
「先輩!!」
今日捲ったアドヴェントカレンダーの窓の中。
見つけたのは世話焼きの大切な先輩と、待ち続けた大切な未来。
毎日捲っていく。俺も知らなかった何かを見つける為に。
菓子やおもちゃばかりが出て来る訳じゃなくても、一緒にいればいつだってクリスマスだ。
使い古された歌の歌詞みたいだけど。
I don’t want a lot for Christmas・・・
「マライア・キャリーかよ。オールアイウォントフォークリスマスイズ、ユーか?浮かれてるな、テウ」
口ずさんだ俺に、先輩の鋭いツッコミが入る。クォン・ユジも困ったみたいに、照れたみたいにクスクス笑う。
クリスマス精神を乗せた捜査車輌は積もる雪の中を、最寄りの救急病院へまっしぐらに加速した。
【 2016 再開祭 | Advent calendar ~ Fin ~ 】

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