2016 再開祭 | 閨秀・拾柒

 

 

「隊長」
チュンソクの呼び掛けに足を止める。
振り向くと奴は難し気な顔で立ち尽くし、近寄るでもなくじっと見つめていた。

妙な隙間の空いた二つの姿を、吹抜天井からの朝陽が照らす。

「・・・何だ」
「いえ。この後王様に拝謁に伺います、征東行省の件で。何か王様に御伝言は」
「無い」
「判りました」

頭を下げるチュンソクに背を向ける。
勘の鋭い男だ。トルベとは違った意味で俺をよく知っている。
奴の目を避け歩き出した背を、じっと追われているのが判る。

 

「お早うございます、隊長」
「おう」
吹抜を出ようとした俺に擦れ違いざま頭を下げ、トルベが立ち止まる。

「夜の歩哨は、何も問題なく」
「そうか」
問題が無いのにわざわざ声を掛ける奴の肚裡。こいつも何か気付いているのか。
「医仙は、御一緒では」
「寝てる」
「判りました。今日はこのまま俺達が組みます」
「頼む」

それだけ残して立ち去ろうとする俺の横、トクマンがさり気なく従く。
「隊長」
隠しても不安げなその声で初めて気付く。もう遅いのかもしれんと。

こいつらは其々口には出さずとも、何か気付いているのかもしれん。
気付いているからこんな風に纏わりつくのかもしれん。
「持ち場につけ。非番は休め。この後鍛錬だ」
出来る限り変わらぬ声に聞こえるようにと、変な処で苦労する。

この先、いつ征東行省への出兵の王命が下ろうと不思議は無い。
下ればあの方を残して行く事になる。
下らぬとしても征東行省への行幸があれば、俺が先頭に守る。
あの徳興君の居る場所へ、俺抜きで王様を行かせるわけにはいかん。

握る鬼剣の柄。今、重いか。

確かめるように握り直す掌の中、鬼剣が鞘内で小さな音を立てる。

火女と笛男を捕らえる為に鬼剣を掲げたあの時のように。
侍医を弑した敵と判っていながら一思いに斬る事も叶わなかった。
己の腕でありながら、己で抑え切れなかった震える腕。

総てから目を逸らし、ただ考える。
心から護りたい、そして守らねばならん者たちの事だけを。

トルベらを置き去りに兵舎を歩き去る俺を、止める奴はもう居なかった。

 

*****

 

「てーじゃーーん!」

底抜けに明るい声に、鍛錬場で顔を上げる。
兵舎の方から一目散に駆けて来る小さな影、鍛錬前の奴らが顔を上げ満面の笑みで頭を下げる。
「お早うございます!」
「医仙、お早うございます」
「よく休めましたか」
「朝飯は」

そんな声に出迎えられながら、あの方はにこにこと周囲を見渡す。
そして俺を見上げて紅い唇を噛むと、照れ臭そうに小さく言った。
「ごめん、寝坊した」
「寝ていれば良いでしょう」
「でも鍛錬でしょ?私も見たいです、隊長」
「・・・判りました」

周囲に届かぬほどの囁き声に頷き、鍛錬場の隅の木の長椅子を顎先で示す。
「座って下さい」
「はい、隊長」
「もう朝飯は終わっている。鍛錬の後に飯屋にお連れします」
「え」

そこでトクマンが間抜けな声を上げ、慌てて俺へと一歩踏み出した。
「隊長、厨番に伝えます。医仙の朝餉ならす」
「煩い!黙ってろ!」

言いかけたトクマンに、トルベが槍を振り上げ強引に俺から引き剥す。
この方は不思議そうな顔で二人の遣り取りを見詰めた後、俺に瞳を戻した。
「待ってます、隊長」
「・・・我慢できますか」
「頑張ります、隊長!」

頷いて敬礼を返すこの方に小さく笑むと、周囲を振り返る。
その瞬間、微笑んで俺達を見ていた奴ら全員が慌てたようにそっぽを向いた。

 

*****

 

「まだ五巡だろうが!」

チンドンの張る声が鍛錬場中に響き渡る。

「そんなに胸が揺れてどうするんだ!」
「はい!」
「肩が落ちてる!それで当たる訳が無かろう!」
「はい!」

的前に立つ兵らを遠慮なく小突いて回りながら、奴は不満そうに鼻息を吐く。
「良いか、戦場で一番飛ぶのは弓だ。槍隊や騎馬隊を援護するのも弓隊だ。一矢が味方を救う事もある。
逆に一矢でも間違えて味方を射ってみろ、隊長が許しても俺がそいつを射ってやる。忘れるな!」
「はい!!」

チンドンの気持ちも判る。いつ出撃の王命が下るか判らん。
まして今朝の鍛錬場にはこの方が居る。
厳しい檄もその張り切り方も、平時と違って当然だろう。

鍛錬場中を歩き回るチンドンが、一人の的を見て眉を顰めた。
「この距離で二矢も外す馬鹿が何処に居る!」
「す、すみません。でも」

的前の兵が遠慮がちに視線で鍛錬場の隅を示す。
東から上った陽の中、あの方がうとうとと船を漕ぐ長椅子を。

「隊長、す、すみません。気づかずに、でかい声で」
途端にチンドンは掠れる程声を低くし、俺に向かって深々と頭を下げる。
辺りの奴らも矢を射る手を止めると、気勢を削がれたチンドンを何事かと眺める。

「終いまで射切れ。あと四本だろう」
「いや、もう充分です。少し静かにせんと、医仙が」
「やれ」
短く言うと奴らは慌てたように的へと向き直る。
チンドンは掠れ声のまま、的前に立つ兵達に聞こえぬ程の声で精一杯指示を飛ばす。

「さっさと終えるぞ」
身振りで手を振るチンドンに、的前の男達は声を上げずに頷いた。

 

 

 

 

2 件のコメント

  • SECRET: 0
    PASS:
    「・・・です。テジャン。」
    「・・・ました。テジャン。」
    と、ヨンを見つめながら、笑顔で、隊長ヨンの話に敬語で答えるウンス。
    このヨンとウンスの、言葉の掛け合い…
    好きです!
    迂達赤の隊員も、ヨンとウンスの様子…、話し声…に、目を皿のようにし、耳ダンボでくっついているみたいで(笑)
    そりゃあ、気になりますよ。
    弓隊が、的を外すほど…。
    でも、外しちゃダメですけれどね。命がかかっているのですから。
    ウンスが迂達赤の服を着て、ヨンを見つめながら返事する姿、本当に、可愛い!
    ヨンもそう感じるから、嬉しくてツライのかな。

  • コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です