2016 再開祭 | 桃李成蹊・23

 

 

「寺って、どの寺ですか。弥勒って一体」

呆気に取られた奴の顔。寺の名が判らぬ。何の手掛かりにもならん。
そこが肝要だろう。天界にも寺が一つな訳が無い。
かといって眠るあの方を叩き起こし、寺の名を確かめるなど。

「此処からもそう遠くない。大きなびるに囲まれ、寺の前には広い道がある。
鉄の・・・くるまやばいくが始終行き交う広い道だ。白石の、天を突くほど高い弥勒菩薩像」
「ソウル市内でビルに囲まれた寺・・・白い弥勒像って、奉恩寺じゃないですか?」
「奉恩寺」
「待って」

奴は卓上に置かれた薄いこんぴゅーたを取り上げ、膝に乗せると右の指先だけで器用にきーぼーどを弾く。
すぐにその画面を此方へ向けて卓上へ戻し、無言で確かめるように俺へ首を傾げて見せた。

あの菩薩像だけではない。
境内の中で目印とした、見慣れた伽藍の絵までが載っている。
「此処だ」
「ビンゴか」

奴は嬉し気に微笑むと、すぐにその目許を引き締める。
「それは構わない。場所ならいくらでも探します。だけどあの辺は江南だし、家賃は安くないですよ?
もちろん出来る限りのことは俺も協力するけど」
「長居する気はない。この十月に賭ける」

あの方は言った。開くとすれば十月。その後は下手をすれば十数年、いつ開くか判らぬと。
賭ける。あの方の読み。あの方が助けたがった男との入れ替わり。
俺とあの方の成すべき事、王様の叶えたき夢半ばの我が故国。

「10月って、ちょうど俺のギプスが外れる頃です」
「ああ」
「それを気にして出てくって言ってるわけじゃないんですか?」
「残念だな」

どこまで素直だ、この男は。
顔は瓜二つでも心根の在り方は全く違う。
「俺はお前ほど真直ぐではない」
「いや、俺も歪んでると思うけど・・・相当」

芯から歪んだ者は己を歪んでいるとは思わん。
その歪みが正しいと信じるからこそ歪んでいるのだ。
お前はただ揺れている。惑い、それでも己の足で立とうとしている。

「体を作れ」
「今はこの腕だから、腹筋とトレッドミルくらいしか出来ない」
「構わん」

あの白い浜で幾度か衣を着替えさせられた。
腹に据え兼ねる、得体の知れぬ女達の手で。
この咽喉元から肩先までは見られている。
入れ替わった折に肉付きが違えば、こ奴に疑いの目が向く事になる。

「必要なら鍛錬をつけてやる。死なぬ程度にな」
「え?」
「よく訊け」

刻は迫っている。
互いに腹を割りこうして二人きりで話せる機会が、あと幾度あるか。

「俺には双親がおらん」
「・・・ヨンさん?」
「母を亡くしたのは幼い頃。夏。足許で揺れた木の影を憶えている」
「そんな、プライベートな事」
「父を亡くしたのは十六。見金如石の遺言を遺された。月桂樹の香る夜だった」
「見金如石・・・それって」
「俺を武の道へと導いた叔母が一人いる。頑固で口煩い親代わりだ。
父と慕う師、幼い頃から共に鍛錬を重ねた幼馴染の女人、そして家族同然の仲間がいた」
「待って!急にどうしたんですか、ヨンさん」
「黙って聞け」

声を聞き、想像してみろ。それが役者だと言うなら。
そんな男がお前の役を生きれば、その時どんな眸をするか。

「初めて慕った女人と父と慕った師は、同じ男に弑された」
「・・・・・・はい」
「正確には己の所為で師が殺され、女人は耐え切れず自ら命を絶った」

こうして口にすれば、余りに簡単な事だ。
どれ程心が痛もうと血を流そうと、事実として淡々と語られる。
それに命を吹き込む事が、同じ傷をかめらの前で幾度となく晒すのが役者だと言うなら。

「家族同然の仲間たちも次々と亡くした。俺は独りだった」
「はい」
「数えていた。待っていた」
「・・・自分も死ねる日を?」

どうやら呑み込みは群を抜いて早いらしい。
それとも己を俺という役に投影しているか。

「そうだ」
「それで、ウンスさんに出逢った?」
「ああ」
「温かかったでしょう、ヨンさん。ウンスさんが温かかった」
「・・・ああ」
「もういいです。十分だ。友達としてお礼を言わせて」

奴は一度だけ固く眼を閉じると、深く頭を下げた。
「ありがとう。絶対無駄にしない」
「何よりだ」

俺達は今、これまでのいつよりも互いに似ているだろう。
少なくとも己の歩んだ道の僅かな一片が、この男の中に残った。
信じようと信じまいと、嘘は一言も吐いておらん。

「残るつもりなら話さん」
「うん、分かってます。そういうので同情されるのが、一番嫌いなタイプに見える」
「脅す気も無い」
「それなら今やってると思うしね。何しろここなら1対1だし、俺はこんなケガ人だし」

奴は笑って己の左腕を視線で示す。その姿に片頬で笑う。
「まあな」
「だけどそれなら、どうして急にそんな話したりしたんですか?」
「知りたかった」

お前はその傷を晒せと求められ、どうやって乗り越えるのか。
その乗り越え方とに齟齬が生じれば、れんずに見抜かれる事になる。

「お前はいつでもれんずの前で、己の傷を晒すのか」
「え?」
「俺は言われた。愛する女人を初めて見た時を思い出せと。それであの様だ」
「・・・ウンスさんがいたのか」

奴はようやく得心したように頷いた。
「あの時カメラの向こうにウンスさんがいたんだ。そうでしょう」
「・・・ああ」
「ヨンさん、それは違う」
奴は突如、威厳に満ちた声で言い切ると首を振った。

「俺はそんな風に演じない。そんな事したら自分と役が混同する。
見るべきなのは相手の女優さんだ。自分の愛する女性じゃないです。それは相手の女優さんに失礼だ」
「成程」
「俺はドラマのシナプシスをもらったら、そこに書かれていないその人物像を想像する。
役の人生、起きて来た事。自分に役を合わせるんじゃなく、その役の人生を生きる。
ねえヨンさん、詐欺師じゃないのに詐欺師を演じるのは大変でしょう」
「ああ」
「それは素のヨンさんだからだ。そうじゃない、詐欺師じゃなきゃ。
何で詐欺師になんかなったのか。何がそうさせたのか。事情があったのか、それとも天性のものか。
それが演技です。正しくイメージ出来た時には、ケミストリーが起きる」
「けみすとりー」
「そうです。俺は愛する人を見る時に、あんな切ない目は出来ない。
それはヨンさんがウンスさんを見たからだ。それなら納得だ。
ただ今回のドラマ設定にはあの視線がぴったりだった。結ばれるのがすごく難しい2人の設定だから」
「ややこしいな」
「当たり前でしょう」

奴は活き活きした顔で言うと、幼子のように無邪気に笑った。
「これでも役者10年目です。最初から同じ事されたら、立場がない」

 

 

 

 

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