2016 再開祭 | 閨秀・拾参

 

 

「其処まで!」

隊長も副隊長も慌ただしい。
徳興君の動向も、チャン御医たちをあんな目に遭わせた奇轍たちも、断事官の動きも予測できない。
昼の間は奴らの動向を探ろうと外出の多い隊長達が、俺達に鍛錬を付けて下さる刻は日々遅くなる。

今日の鍛錬が終わる頃。
すっかり陽が落ち肌寒い暗さの中で、鍛錬場の四隅に焚いた大きな篝火が最後の秋風に揺れている。
「先ず道具を片付けろ。組頭が許可するまで、誰も湯屋には近寄るな」
「はい!」

篝火に照らされた副隊長の声に、俺達は全員で頷いた。
いつも誰より厳しい鍛錬の声を飛ばす隊長はいらっしゃらず、医仙の姿もテマンの姿もない。

下手に湯屋に近付いたら最後、どうなるかよく判っている。
見慣れている筈の湯屋の景色が、まざまざと眼前に浮かぶ。
きっと今、俺達の使う刻とずらして、その湯気の向こうに。

あらぬ向きへと走りそうな頭を振り、頭の景色を追い払う。
違う違う。あの天の女人、医仙は俺達の隊長の大切な方だ。
うっかり考えるだけでも軽んじているような、汚してしまいそうな胸糞悪い気持ちで、腹から深い息を吐く。
自分の関わる女なら幾ら想像しても良い。医仙だけは絶対に駄目だ。

道具の片付けの後、鍛錬場から歩き出した俺は大槍の柄を掌で弄ぶ。

あの時の隊長の素早さ。落とした槍をあれだけ早く拾えれば、次の一打を出すにも苦労しない。
ただし隊長はあの時、相当怒っていた筈だ。
医仙を助けたと知っているから、殴り飛ばされずに済んだ。
あれが意味もなく手を握っただけなら、蹴りの一発二発では済まん。

「・・・今頃は医仙様が」
「馬鹿な事を考えるなよ」
「俺達と同じ湯屋をお使いなんだな」
「この後許可が出たら、すぐに入るぞ」
「手が届かなくても、せめて同じ湯を」
「今日は皆、どんな顔で湯を使うのか」

周囲の奴らが口々に囁き交わしつつ、俺の横を過ぎていく。
掌の中に弄んでいた槍の柄を握り直すと不埒な囁きを交わす奴らの頭に一発ずつ、石突の一撃を喰らわせた。
兵舎への道脇、点々と灯された篝火の薄暗い帳の中に、鈍い音が人数分響く。

「い!」
「痛っ!!」
「何だよトルベ、急に」
「痛いだろうが!」
「お前らな、それを聞いて怒るのが隊長だけだと思うなよ、あ!」
「だからっていきなり」
「第一そういう話が得手なのは、お前だろうが」
「新入りだけは違うんだよ!もしこれ以上下らない事を言ってみろ、次は槍穂で突くぞ!」
「判ったよ」
「そんなに怒るなって」
「軽口が過ぎた、済まん」

急に怒り出した俺の剣幕に圧され、奴らは頷くと兵舎への道を足早に戻る。
畜生。迂達赤に長く居た奴らですら、あの体たらくだ。
最近入隊した若い奴らなど、何を考えているのか知れたものではない。

兵舎の帰路を示す篝火の列から逸れ、俺は湯屋への近道を一目散に駆け出した。

 

*****

 

闇の中、軍沓の小さな音が石畳を打つ。
目前を通り過ぎようと過った影の目の前を遮るように、大槍で塞ぐ。
「何処へ行く」

目の前を塞がれた若い新入りが、闇中から突き付けられた槍に仰天顔で足を止める。
「と、トルベ先輩。歩哨の充足に」
「此処は通るな。表道へ廻れ」
「は、はい!!」

新入りは頷くとそのまま踵を返し、来た道を駆け戻る。
周囲がまた耳の痛いほどの静けさに包まれる。

秋の虫の頃もとうに終わった。
枝にしがみ付く乾いた赤い葉を、夜風が散らす音だけがする。

しばらくその音に耳を傾けていると、次の足音が遠くから響く。
同じように目前まで来た処で、闇中から大槍を突き出して止める。
「何用だ」
「何だ、トルベか!驚かせるなよ。弓弦を取りに兵站に行くところだ」

弓隊のチンドンが突き出した大槍に目を剥いて、闇中の俺をじっと見つめ返した。
「お前まで此処を通ってどうするんだよ!遠回りしろよ!」
「そう言われても、此処は湯屋への道じゃなかろう」
「それでも近いんだよ!」
「お前なあ・・・」

チンドンは呆れたように俺を眺めると、それ以上言っても無駄と悟ったか
「判ったよ、別道にする」
そう言って苦笑いを浮かべ、そのまま今来た道をまた戻る。

「チンドン」
「他の奴にも言っておく、安心しろ」
「頼んだぞ」

ようやく息を吐き闇の中に戻ると、次の不逞の輩を待つ。
いくら女人の入浴とはいえ、それほど長くお使いにはなるまい。
そう思いながら寄り掛かる木の、枝越しの暗い空を見上げた時。

今迄の誰より軽く素早い足音が、湯屋の方から近づいて来る。
「テマナか」
「あ、ほ本当にいた」
寄り掛かった幹から起きて声を投げた闇の中、姿が見える前にテマンの声が先に響いた。

「隊長がもういいって。みんな風呂に入れって」
「・・・俺が此処に居るのをご存じなのか、隊長は」
「知ってる。こっちから誰も来なくなったって。きっとトルベがいるはずだって」

ただでさえ鋭い人だが、医仙が絡むとなると、隊長の勘働きは空恐ろしい。
さすが俺の目指す人だけの事はある。
頷くと槍を肩へ担ぎ、闇の中を兵舎へと歩き出す。

「トルベ」
歩き出した俺の背にテマンが大声で呼び掛ける。
「何だ」
「隊長が、礼を言ってた」
「判ってますと、お伝えしてくれ」

テマンの声に肩越しに振り返り、槍を上げて笑って見せる。
奴も何もかも知っているよう手を振ると、元の道を駆け戻って行った。

 

 

 

 

2 件のコメント

  • SECRET: 0
    PASS:
    ちゃーんと わかってるのね。
    テジャンとトルベの 素敵な関係。
    そうでなくっちゃ (๑⊙ლ⊙)ぷ
    テジャンにも 余計な気を回させないよう
    あとは トルベにお任せね。
    あー大変 (๑´ლ`๑)フフ♡

  • SECRET: 0
    PASS:
    トルベ!なんていいやつ( TДT)
    ウンスを慕う気持ちが痛い……(。>д<)
    ヨンはもちろんトルベの気持ちに気がついてる
    訳で、それも信頼する部下ならヨンも切ないね。
    おきらくウンスに救われるわ(笑)

  • コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です